【エッセイ】極貧試考 #2 脱線AI
前回
想定されていた脱線
【御注意】というまえがきにある通り、脱線することは想定済みなのだ。
が、しかし。
第2回めにして未だ主題について一切触れていないにも関わらず今回、脱線しました。
脱線の経緯
このエッセイの主題である「極貧試考」であるが、当然ながら私自身が考案した言葉であり、通常は「極貧試行」とか「極貧思考」とか「極貧志向」あたりの言い回しに尻が落ち着くと思われがちだろうけれども実はこのエッセイを書き始める時に自分としては有り得ないレベルで考え抜いた言葉なのである。
なぜなら私が言わんとしている内容というのが「試行」でも「思考」でも「志向」でもないからだ。「試考」が一番落ち着くと言うか。最初は超安直に「極貧のススメ」にしようと思っていたのだが、実際のところ別に極貧を推めたいわけでもないのでちょっとやめにしてみたのだ。
AIの説明
このようにして主題の説明をほったらかしたまま私の脳裏に浮かんでしまったのがAI。
おなじみのChatGPTである。
おそらくはこんな言葉は世間に存在しないであろうと想定した「極貧試考」について説明を求めてみた。
Q:極貧試考について説明してください。
A:極貧試験(きょくひんしこう)は、貧困や経済的な困窮状態に関する理解を深めるために行われる社会実験または学習体験のことです。この試験では、参加者が限られた資源や収入で生活する状況を模擬的に体験します。
極貧試験の主な目的は、貧困の実態や貧困者の日常生活についての洞察を得ることです。参加者は通常、一定期間(数日または数週間など)の間、限られた予算内で生活しなければなりません。彼らは住居、食料、交通手段、衣服など、基本的な生活必需品を手に入れるために制約のある状況に直面します。
この試験は、次のような目的を持って行われることがあります:
1.貧困者の現実を体験することで、貧困問題に関する認識を高める。
2.社会的格差や不平等についての理解を深め、個人の視点を広げる。
3.貧困に対する共感や配慮の向上を促す。
4.政策立案者や社会福祉の専門家にとって、より良い政策や支援策の開発に役立つデータや知見を提供する。
極貧試験は、非営利団体や学術機関、社会運動などが主催することが一般的です。参加者は自分の経済的状況を制限し、予算やリソースの管理に取り組むことで、貧困や困窮者の生活の一部を理解することが期待されます。
ただし、極貧試験はあくまで一時的な体験であり、実際の貧困者の経験を完全に再現するものではありません。それでも、このような体験を通じて、参加者はより深い洞察を得ることができ、貧困に関する問題意識や社会的な連帯感を高めることが期待されます。
知らないことは歪曲し知ったかぶりで応じるAI
ChatGBTくんの言うことは正しい。
それが「極貧試験」であるとすればだ。
あ、脱線ついでに小さな脱線をもうひとつ。
ChatGBT殿がいうところの社会実験を題材にした「es」という映画がなかなかおもしろかった。
映画es
amazon
話を戻して。
ひとまず読みの間違いは黙認しておくとして、「試験」と「試考」では意味が全く違うはずなのだが、そこはアバウトにやり過ごし、ごまかそうとする意図が見えている。
けしからんぞAI。
そんなわけでちょっと詰めてみる。
Q:極貧試験ではなく極貧試考についての説明をお願いします。
A:おっしゃる「極貧試考(きょくひんしこう)」という用語について、私の知識では特定の意味を見つけることができません。極貧試考に関する具体的な情報や文脈を提供していただくことはできますか?もしくは、別のトピックや用語についての説明をお求めでしたら、喜んでお手伝いいたします。
素直に無知を認めるAI
結論として。
幅広く知識を吸収して日夜学習し成長を続けるChatGBT様の中にも「極貧試考」という用語はない。ということでありということはこの言葉は現在私のみが使用している私の言葉であるということでありそういうことである。
つまり。
【極貧思考】は私の発明した私の専売特許である。
以上の結果からここに声高らかにに宣言する。
【極貧思考】というこの言葉を私以外の誰も未来永劫、使っては相成らん。
知的財産として登録しとこうかしら。
いやマジで。
(to be continued...)
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