環境活動は正義ではない
気候変動は科学的見地から述べられるものであり、変動の阻止が正義であるかのように語られてはなりません。
度々拝見するのが、人類による気候変動は起こっていないと主張する人々は金銭を受け取っている。他方、気候変動の阻止を訴える環境活動家は無償で活動している。だから環境活動家が正しい、という主張です。
しかし環境活動家は、「環境のため」という錦の旗を振りかざし、正義に酔いしれていらっしゃらないでしょうか?
確かに人類は環境を変えてきました。ですがその停止を絶対の正義とし、活動原理にする事は危険です。人は金を貰って人を殺しませんが(余程の大金は別かもしれませんが)、正義のためには人を殺します。
第二次世界大戦の最中、モンロー主義のアメリカは、一夜にして「真珠湾を忘れるな」の斉唱と共に参戦に走りました。ツァーリの圧政からロシアを奪還する共産主義運動は、血みどろの内戦を経てソ連を生みました。
人は純粋な金目当てでは、中々動かないものです。正しい、と思った事に対して、その身を捧げます。
環境活動家は、戦争に訴えるつもりでないなら、話し合い、対話を重視していただきたい。芸術作品に塗料をぶちまけるテロリストは、その塗料や容器をどこで入手したのでしょう?
環境に配慮した取り組みのためには、わずかな時間さえ惜しいものです。しかしそのための取り組みがテロ活動では、環境活動家はテロリストになってしまいます。そんな善人の集団は拝見したくありません。
「この国から秋が消えたのは寂しい限りだよ」
そんな台詞を呟かなくて住む社会は、科学的観点から追求されるのが筋ではないでしょうか?
以上です。
引用:株式会社カラー『新世紀エヴァンゲリオン』