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やっぱり母親には、向いていない。

「私は子育て向いていない」、と私は何度子育てをしながら嘆いただろう。子育てに命懸けで、狂気の日々。未体験ゾーンの希望と絶望の間を右往左往しながら、私は子育ての日々を走り抜いてきた。「ここまでやってあげたい」と「もう無理」の間を、何度も超特急で行き来しながら。 

離婚した時、親権は森ちゃんだよね、と2人とも即座に合意したのは、その方が絶対、娘も私も森ちゃんも幸せだと確信できたから。私は、娘の英(ハナ)が7歳までの間に一生分の、満遍なくそばにいる力を使い果たしてしまったとも思う。 

大切すぎて可愛すぎて、死んじゃったらどうしよう、いなくなってしまったらどうしよう、と思いながらも、このまま子育てが永遠に終わらなかったらどうしよう、もう無理かもしれない・・・とも思い、もがき続けていた日々。仲の良い知人はもう、山川咲のプレイスタイルと呼ばれているが、私は至って真面目だ。

離乳食から始まった狂気の日々を思い出す。 

無添加・オーガニック、冷凍しないで毎日手作りにこだわった離乳食。それがいいと聞けば、3歳まで母乳を飲ませた日々(粉ミルクは飲んだことがなく完全母乳)。5歳まで白砂糖は一切食べさせず、保育園行事の山登りのお楽しみの飴さえNGにしていた。

母親があの時代にどうやったのだろうと思うほど、オーガニック・手作り思考で育ててもらったことが私の基礎を作っていると思えて、それを娘にも繋いであげたかった。また子供が産まれることがあれば、今度はもう少しソフトにしたいけど、常に最高を目指し、時に血眼で、時に疲弊して、命懸けだったジェットコースターの日々。

多くを望まず、もう少し気楽にやればいいのにできなくて。長かった7歳までの、永遠のような一瞬の日々。 これからもずっとずっと一緒だけれど、一緒にいるスタイル少し変えて、これからも変わらず君との日々を生きたいと願う。小学校の入学の年2024年で、子育ても一旦一区切り。その時の卒園文集にも、一旦のラストスパートでこれまた命をかけたお話。

デザイナーさんをアサインし、仕事をしながら深夜早朝に、時に笑って大体泣きながら書き続けた卒園文集。「ハナの話かと思ったら自分の誕生から始まるんかい!」とつっこまれながら、作り切った卒園文集。

私にとってこれは、娘が6歳までの記憶がない時間の全て、母親から愛されていたという証拠であり、もしこれから自分に何かあったら、娘にそれを伝える遺書でもある、とこれに取り組む前に設定した。そんなとんでもない覚悟で、私は卒園文集に向かったのだ。

何ページ書いてもいいのがうちの保育園の卒園文集の特徴で、みんなが思い思いに創作するそれは、本当に重たい。笑 重たくて尊い。私も好きなだけやりきらせてもらった。子育ての一旦の集大成として、2024年のうちに、その全文を公開したいと思う。

(個人情報満載だが、もう引越してしまった既に思い入れのある記憶だ。)

(中略)

英はきっと6歳までのほとんど全てを忘れて、それ以上にたくさんのものをたくさん経験して・吸収して、生きていくでしょう。

そしてママはきっと永遠みたいにママに残る、この英との日々の欠片を何度も思い出して、その光に助けられて生きていくのだろうと思います。

生まれた頃から、毎日唱えていた「大切な大切な宝物、英さん」、それはずっと変わりません。

生まれてきてくれてありがとう。

ママ 咲

卒園文章ラストメッセージより

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