「小さな奇跡の粒を味わう人生」を選ぼう
人生という単位で何かを求めて、未来を仰いで、毎日を駆け抜けていた日々。
毎日、毎瞬という粒で、こみ上げる愛おしさと幸せに目がかすむ日々。
これは同じ私の人生だろうか。
希望という無数の光に人生を照らされているような感覚は、豪華なご飯でも、パーティーでも、達成の瞬間でもなく、今日の昼前のベット、お昼寝をする我が子の後頭部にあった。
挑戦することや成果をだすことが、人生のすべてのようにストイックに生きてきた私に、人生という長距離走はプロセスにこそ価値があるのだと教えてくれた人。
自分の価値を疑い続けた私に、生まれた時、「存在しているだけで特別だ」と私が思ったように私も特別な存在として生まれてきたことを教えてくれた人。
変化を恐れて30歳からなかなか手放せなかった価値観やいろんなものを吹き飛ばして、私を別人にしてくれたようで調和の中で変に蓄えてきた本当の私以外を、削ぎおとしてくれた人。
今ここにあるのは、
小さな我が子のほわほわした髪の毛の頭。
確かめるように私に延びる手。
差し込む午前のゆるい光。
時折思い出したようにおっぱいを飲もうと、もごもご動く口元。
毎日繰り返される何気ないルーティーンなのに意識すると、簡単に、瞬間に、この奇跡に涙がにじむ。
妊娠して、子供を産んで、子育てをして知った、
「人は皆、有限の瞬間の連続を無限だと勘違いして生きている。」ということ。
34歳まで知ることがなかった、この「小さな奇跡の粒を味わう人生」を、私は選ぼう。
そして、
この小さくて偉大な希望があるから怖いものが無くなった私は、今までよりも大きな未来を、気合いではなく笑、穏やかに描こう。
不思議とすごい未来は、がむしゃらに走っていたあの頃よりも、鮮明にイメージできて、ぐっと近づいている気がするのだ。
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