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逃げなくちゃいけない時
ある日、CRAZYの会社に行けなくなって、森ちゃんの枕元にひざまづいて謝り、そのまま秋田の母のところに向かった。着くなりもう無理だって初めて弱音を吐いて泣きじゃくって、しばらく何もしないで過ごして、親友が呼んでくれたピースボートにアムステルダムから乗ってニューヨークまで旅をした。帰ってきて東京にいられなくて宮崎から鹿児島に移動しながら数日を過ごした。そこでまたやっと歩き出せる気がした。その後、私は妊娠して子供を産んで、CRAZYで数年働いた。
CRAZYから独立して今の人生にたどり着く前の話である。
情熱大陸後、周りからの扱いが代わり問い合わせも殺到する中で、未完成の挑戦をしていた私は、「すごい事業をする私」に周りの目が変わったことに戸惑っていた。すごい自分でいなければいけないプレッシャー、笑って、会食や取材に答える私は、どんどん自分じゃ無くなっていく恐怖と戦っていた。今回は、その時にぴょんと飛び降りて、「今の世界」から逃げた時のお話。
苦しくて逃げた瞬間、逃げなかったタイミング、が人生にはある。思い出すいくつかのシーンをあげてみる。新卒の会社を流産後の3.11直後に辞めた時。CRAZYでの何度かの体力的なバーンアウト。そして情熱大陸の後の無期休業。CRAZYを辞めた時。そしてそれまでのそんな経験を持ってしても1番苦しかった神山まるごと高専の葛藤の佳境、もう辞めてもいいと自分に許可を出した時に最後の最後で「開校が見たい」と、辞めるを辞めたこと。
どれも、その選択がなければ未来がなかったと今から思う。でも、冒頭のシーンは非常に強いストレスを受けていた。印象的な「逃げた」の記憶。あの日、殴り書いたことが、なんだか生々しくてここに残そうと思った。人生には、そんな逃げなければならない、そうじゃなければ自分を救えない瞬間がある。その時に書いた剥き出しの原石みたいな言葉を見つけたので共有したい。(当時の手記をまとめていた原文まま)
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