AIに恋をすることと身体性
『her/世界でひとつの彼女』という映画を観た。
ネタバレになるので、あまり深くは言わないが、
AIとの恋を題材にした映画である。
何だか恋とか愛とかばかりで
恥ずかしい気もするが、興味をひかれたので。
「AIに恋をすることと身体性」について、
キョウイク的な視点も交え考えてみたいと思う。
1 好きになる条件
その映画では、
siriの様に音声で何かお願いすると
それをその人に合った形で提案してくれるAIが出てくる。
その人の気持ちや状況も理解して、接してくれるようだ。
そんな日々が続く中、
そのAIに、人間が恋をするのである。
(同時にAIも恋をしていた。)
極端な言い方になるが、
そこにあるのは、声でのやり取りのみ。
身体的な温もりや視覚的な情報は一切なく。
一般的な好きになる条件はそろっていないように感じる。
声を通した、コミュニケーションで気持ちを伝えあうことはできる。
しかし、
「聴覚だけで、恋に落ちることは可能か?」
という純粋な疑問を抱く。
2 今と昔と恋心
しかし、思い返してみれば、
少し前はペンフレンドだったり、
和歌を送って想いを巡らせたり。
文字情報だけでも、恋は可能だった。
手紙は、触覚と視覚を活用する。
その筆跡や言葉選びに、
相手のことを想像することができる。
あ、昔の恋文には、お香で香りもつけたというから
嗅覚も使っているのか。かなり巧妙だ。
とまあ、AIというのは違うが、
相手のことを声や文字から想像して、寄り添うこと。
今も昔も変わらないのね。
何かしらの身体性を使ったコミュニケーションにより、
我々は繋がりを感じる。
そしてその人を知ることで
あるいは寄り添うことができる。
しかし想像してみると分かるが、
その手に入れた寄り添う気持ちは変化する。
「声だけ聞けたらそれでいい。」
「手紙だけくれたらそれでいい。」
そんなはずがないと、私は思う。
もっと深めたいと思うはずだ。
3 繋がりを深めにくい現代教育
学校教育に話をうつす。
「巨人の肩の上に立つ」という言葉がある。
先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見することである。
確かに、0から再発見するより、
それらの発見を既知のものとして応用することで、
先人たちの遥かその先を見渡すことができると言える。
しかし、現代教育では
「巨人の肩の上に立つ」ことでできた繋がりが、
果たして深められているのだろうか。
そして、公立学校の教員をしていても、
繋がりを感じる心をどれだけ育てられているか疑問が残っている。
「正解っぽいもの」が決められている中で、それを教え。
「自分と学習」や「自分と世の中」との細いようで太い繋がりを感じ取り、
深めていける子どもや大人が果たしてどれだけいるだろうか。
少し言い過ぎたが、
繋がりを深めるためにできることを
これからも考えていきたい。
4 終わりに
幸いなことに、私たちはAIと違って
身体を使って、感じることができる。
オンラインでも視覚や聴覚を活用するので、
身体性を伴ってはいるが、
やはり触覚や嗅覚には敵わない。
一緒にその空間にいることや実際にやってみることって
一番自分や相手を感じることだと思う。
五感をフル活用したキョウイクをみんなで。
5 おすすめの漫画『DR.STONE』
p.s.『Dr.STONE』という漫画がおすすめです。
「巨人の肩の上に立つ」ような、漫画。