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失恋小説を読んだら、同姓アイドルへの恋心に気付いた話


「読んで欲しい本があるの、くまちゃん、知ってる?」

そう言って勧められた小説はどうやら失恋オムニバスらしかった。
くまちゃんを勧めてくれたそのお姉さんとは、思い立ったように会っては一気に会話をして、一軒目で解散する、そういうルーティンと距離感を保っている。
私は10代の頃からお姉さんに懐いているので、勧められたのがどんな本でも必ずチェックしていたのだけれど、よりによって、失恋の本か、と少し苦い気持ちにはなっていた。

私には交際して7年の異性がいる。
知り合った頃の彼は、何をしているのかよく分からないフリーターで、たまに見かけると少し長めの髪が青や緑になっていた。
今では好きを仕事にして楽しそうにしているし、私もそんな彼を好ましく思っている。
だけど、結婚の話は上手くまとまる気配がないのだ。
カップル以上にはなれない関係なのかもしれないという予感は、もう随分と前から、ビンビンとしている。

そんな私に、失恋の本を勧めるだなんて。
どうするんだ、この時折存在感を増す不安な気持ちが加速してしまったら。ミドルエイジクライシスを拗らせて急に別れを決断しちゃうかもしれないじゃないか。
いや、ミドルエイジはミスマッチな気がする。アラサーの強い不安にも、名前はあるんだろうか。知っている人がいたら教えて欲しい。

そんな不安を胸に、私はくまちゃんのページを巡った。

そしてくまちゃんは予想を外れず、深く突き刺さった。
心の深くて柔らかい所にブッ刺さってしまって、それはもう、狼狽えて、その結果私はこの文章を書いている。
だからくまちゃんは、まだ読み終えてない。

だけど、突き刺さったのは過去の失恋でも、結婚を決断しない今の彼でもなかった。

私の心の深く柔らかい所にいたのは、アイドル工藤遥だった。


あの頃私はなんだか大変だった。
正直細かい事は覚えていないんだけれど、大きなストレスがかかると脳が勝手に記憶を曖昧にすると、何かで読んだ気がする。
覚えているのは、帰ってこなくなった母と、水しか出なくなったシャワー、灯りやテレビを点さなくなった部屋くらい。
学校が終わったら近くのカフェでバイトをして、終電に揺られ少し遠くのコンカフェに向かっては朝まで愛想の良い女を提供をした。
そうやってしばらくは生活を回した。

工藤遥に出会ったのは、多分、その頃だった。

始発待ちがてら飲食店でそばを啜っていた時、朝のニュースでアイドルの卒業発表を報じていた。
なんとなく顔を上げた時、一瞬で世界が変わった。
卒業を報じられるその子はとても綺麗で、輝いていて、しかも顔が可愛かった。

そんな生活になる少し前から、彼女の所属するアイドルグループ モーニング娘。の存在は認識していた。なっち可愛い!辻加護可愛い!と見ていた頃とは随分とメンバーや雰囲気が様変わりして、へー、こんな感じになってんだ、と画面を眺めた。
その時知ったお気に入りの曲もあったけど、アイドルグループというのは人数が多いもので、一人一人の顔や名前を覚えるのは正直ハードルが高かった。

だけど、朝のニュースに映った工藤遥は眩しくて、テレビの周りは白くぼやけてよく見えなくなった。
彼女しか視界に入らない。
くどうはるか、多分呟いたんだと思う。
忘れられない名前になった。

もう少しすると、母は時折ふらりと帰ってくるようになった。1ヶ月もしないうちにまた音信不通にはなるけれど、家賃はしっかり払ってくれていたようで、おかげで部屋を追い出されることはなかった。
いつか借金取りが脅しにくるのではないかと不安に怯える事も、いつしかなくなっていた。

工藤遥を、この目で見てみたい。
その欲求が沸いたのも多分この頃だったんじゃないかと思う。
それとも、不安の中で強い欲求だけ抱えていたのかもしれない。正直時系列はよく分からない。

欲求に従うまま、その時購入できた唯一の一般チケットを手に、1人新幹線に乗り込んだ。
案外小さかったその会場で、私は初めて、彼女を目にした。
モニターもなければ大きなセットもないそこに、工藤遥は存在していた。
気がつけば涙で顔や襟ぐりがびしょびしょ。しゃくり声を上げながらAmazonで買った双眼鏡で必死に喰らい付いた。モーニング娘。は立ち位置の移動が多くて、すぐに酔った。モニター、なんでなかったんだろう。
工藤遥が存在した、ちゃんといた、それに涙が止まらなかった。
何かに救われた気持ちだった。

そんなキラキラの彼女は、日本武道館で華々しくアイドルを卒業した。
私はその日、運良く卒業コンサートに行くことが出来た。
メンバーカラーのオレンジに、ふんだんにハートが散りばめられた衣装は彼女にとてもよく似合っていたし、その頃には多少曲にも詳しくなっていたので、セトリも存分に楽しんだ。
卒業後は女優になるという彼女に、がんばれ、できるよ、と心で唱えていた。この頃は。

真っ直ぐに応援できなくなったのは、いつからだろう。
卒業後もしばらくは、彼女の活躍を追っていたように思う。
だけど、だからこそ、じわりじわりと気がついてしまった。
彼女はアイドルを辞めたのだと。

そりゃあそうだ、何を言ってると思われるかもしれないが、ただグループを辞めたのではなかった。
ファンに見せる一面も少しずつ変化をしていった、ように見えた。
彼女はアイドルという偶像を売ることを辞め、1人の人間として女優という仕事に向き合っていた。

アイドルは偶像商売とはよく言ったもので、私たちファンは夢にお金を払っている。
その夢はアイドルに自分を重ねた何かかもしれないし、可愛い女の子と接触イベントで楽しい気分になることかもしれない。
私のそれは、現実逃避だった。
夢中にさせてくれたらそれで良かった。
最早あれは崇拝に近かった。

だけど、はるちゃんは、夢を売ることを辞めた。
あれらはいつか消える夢だったのだと、偶像だったのだと、私は少しずつ自覚をする事になった。
アイドルじゃないんだよ、女優の私も応援して、と言われている気分になって、混乱した。
私が好きだったのは、彼女じゃなくて、偶像だった。
大好きだった彼女は、もうそこに存在しなかった。

下記はくまちゃんのネタバレになるが、
くまちゃんでは、誰1人恋が実らない。(途中まで読んだ限りは)
冒頭の案内通り、失恋オムニバスなのだ。
まさか失恋話を立て続けに読んで、思い起こされるのが同性のアイドルだなんて思いもしなかった。面食らっている。
そこでやっと気付いた。
私は工藤遥の偶像に恋をしていたのだと。

恋は、ほとんど信仰に近いと思う。
相手がどんな人間かよく知りもしないうちに勝手に魅力を見出して、刹那的な高まりを楽しむ。
恋の始まりなんて大抵そんなもの。
私はあの日々の中で、勝手に彼女に魅力を見出して、あまつさえ神様とまで決めてしまったのだと思う。
私を救う神様に、仕立て上げてしまった。
アイドルと信仰はまあ相性が良かった。
違和感に気が付きにくい。
だからこそ、卒業後精力的に活動する彼女を見て、自分の神様じゃなくなった事が受け入れ難かったのではないか。

そこから数日経った頃。
Xを眺めていたら、工藤遥のカレンダー発売イベントの情報が解禁されていた。
こんなタイミングで、直接姿を見る機会があるなんて。発売開始と同時にアクセスして、必要な分購入した。

当日は、もういない神様にさよならを告げるつもりだ。
短い時間でそんな事を言われては怯えさせてしまうかもしれないし、流石に気持ち悪過ぎるので、感謝を伝えるに留める予定。

心の中でそっとさよならが出来れば、それで良い。
辛かった過去を支えてくれた偶像の神様に、お世話になりましたと唱えるのだ。


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