トラジのカラーボール
港の近くの広い空地に寅二の働く工場はある。
寅二の仕事は工場の中での雑用とか、廃材の処理で、作業の下働きと言ったところ。
そんな作業の中でカラー塗料の廃材が毎日多く出る。
寅二は綺麗な色の廃材塗料を見つけると、工場の裏で乾かし粘土状にすると、それでお団子を作った。
それは様々な色が混ざり合い、見ようによっては芸術的なカラーボールになった。
ソフトボールくらいの大きさになった時、寅二は自慢そうに工場の先輩達にそれを披露した。
工場の人達は目を丸くし、その綺麗なカラーボールを眺めては、寅二を褒めた。
「おー、なんか綺麗やないか!」
「カラー廃材でこんなん作れるんか、すごいやないか、寅二」
工場の労働者達は寅二の作ったカラーボールを見ては、寅二を褒め称えた。
中には普段、寅二をウスノロ呼ばわりする輩もいたが、そのカラーボールの見事な出来栄えに対しては、誰もからかったりやっかみを言う者はいなかった。
工場長も工員達の騒ぎを聞きつけ、 寅二の元へやって来て、カラーボールをうっとりと見つめた。
「おお、これは、すごい才能や! まさに芸術作品だな」
みんなが言う通り、寅二のカラーボールは、まるで宇宙にある惑星みたいに神秘的な色合いで、その模様と形態は他に類を見ないほど、人々の心を惹きつけた。
その後も廃材塗料が出ると、寅二はこれと思う色を選んでカラーボールに更なる色彩を加えた。
その結果、カラーボールはどんどんその大きさを増して、梅雨入り前にはバスケットボール程の大きさに肥大していた。
その頃になると徐々に工場の関係者や近隣の人達(と言っても近くにそんなにたくさん民家はない)がジョギングや散歩がてらに工場を訪れる様になり、その人数は増え始めた。
噂を聞いて一度そのカラーボールを見てみたかったと工場を訪れる人は口々にそう話した。
そして、それを見る度、人々は想像以上の美しさに魅入られ、時を忘れてその場に立ち尽くすのだった。
ここまで評判を呼ぶと、工場長もそのカラーボールの存在に気を配る様になり、それまでは工場の裏の出入口付近の野外に置きっぱなしであったものを工場の片隅に作業机を出して、屋内で大切に保管するよう指示した。
寅二がそれを制作するのは一日の労働が終わってからなので、その時には台車を用意して、それにカラーボールを乗せて工場裏の廃材置場の隅まで行き、さらにまた色を積み重ね、模様を織りなしていくのだった。
みんなの関心は、それがいつを持って最終形となるのかと、固唾を呑んで寅二のその製作過程を見守った。
日に日にそれは色を積み重ねられ輝きを増し、夏が近付く頃には、もうそれはバランスボールくらいの大きさになっていた。
そうなると、もう工場内を移動させるのも大変になり、今度は工場長は裏庭に仕切りを設け、その中にカラーボールを設置した。
そこには屋根がなかったがボールは少々雨に濡れたところで何の問題もなかった。
むしろ水分を弾き表面に水滴が溜まると、次の日には綺麗なみずみずしい輝きを見せ、一層美しさが輝くのであった。
また夜中に誰かがそれを盗もうとしても、その重量感は大変だったし、工場の敷地には誰も入れない様に垣根を作り、セキュリティをしっかりとさせた。
その頃から対岸の港や夜更けに港湾方面を目にした者達から月夜の明るい夜、この空地のあたりから夜空に向かって一筋の光線が伸びているのを目撃したとの情報が一つ二つ寄せられる様になった。
「まさか、それはないだろう」
と工員達からその話を耳にした工場長も、流石にその噂話を一笑した。
しかし、どうしてもそれが気になった工員達はある月の輝く夜に待ち合わせて、港の工場方面に車を走らせてみた。
そして、彼らは見たのであった。
放射線状に3本の光の柱が宙に向けてサーチライトの如くカラーボールから放たれているのを。
それから光を放つカラーボールの事がネットや新聞紙上で賑わい出し、昼夜を問わずそれを見たさにギャラリー達が工場の周りに現れる様になった。
工場長は寅二を呼び寄せ、こう切り出した。
「どうやら君の作っているカラーボールが巷で噂になっている様だよ。連日多くの人が見物に押し寄せて来る」
寅二はてっきり叱られるものだと思い込み、
「すみません。もうカラーボール作りはやめます」
と言った。
ところが工場長は、
「いや、そうじゃないんだ。今日君を呼んだのは、あれを一般公開しても良いかどうかを確認したかったからなんだ」と言う。
「え、イッパンコーカイって何ですか?」
寅二が言うと、
「あのボールを見に来た人達に見せてやろうと思うんだ」と工場長は答えた。
「え、カラーボールをですか?」
「どうだ? いいだろ。金を取ったりする訳じゃない。
あんな素晴らしいものを隠しておくのは勿体ないじゃないか。
みんなに見せてやろう。
わしはそう思うんだが、良いかな、トラジくん」
「もちろんです。みんなに見せてあげたいです」
寅二は何だか嬉しくなった。
「そうか、そう言うと思ってたよ」
工場長は笑顔で寅二の肩を叩いた。
次の日から裏庭に拵えていた柵や垣根が取り払われ、逆に「カラーボールこちら→」などと書いた看板まで設置した。
工場の裏の空地には毎日人の群れが集まり、みんなが写真を撮り、それを自分のインスタやSNSなどに投稿した。
瞬く間に寅二のカラーボールは有名になり、ついには新聞社やテレビ週刊誌などのマスコミまでが訪れる様になった。
ワイドショーのインタビューに答えた寅二はカラーボールの製作者として一躍『時の人』になった。
しかし、当の寅二は相変わらず無表情で淡々と毎日の仕事をし、労働を終えると廃材塗料をいくつか選び出し乾かし、カラーボールに色を重ねる作業を続けていた。
ある人の調査によると、カラーボールが光を放つのは満月を境にする3日間だけであると言う事が、データの結果で導き出された。
何故光を放つのかその解明は出来ていないものの、月の輝きとボールの中に含まれた水分の結露の様なものが、何かしら化学反応するのではないかという憶測がまことしやかに世間では言い伝えられた。
そのデータによると、次に光を放つのは8月のお盆の頃であるという事が判明した。
丁度週末、金曜から日曜にかけての3日間に当たっている。
そこで誰が企画したのか知らないが、裏の空地で盛大なイベントを行おうと話がまとまり、業者が加わり、会場や屋台の出店、簡易トイレの設置、駐車場の確保、打ち上げ花火や盆踊りのための櫓や観客席、チケット発売、新聞折込広告、ポスターなどが各所に張り巡らされ、着々と準備が進められ、この夏の一大イベントのひとつに加えられた。
イベントの予定は金曜日が盆踊り大会、土曜日が花火大会やカラオケイベント、日曜日はバブル期を彷彿させるディスコ大会等と、イベント予定が発表され、人々を歓喜させた。
イベント初日の金曜日の夕方、仕事終わりに寅二はカラーボールに新たな色を加えると、まざまざとその全体を目にして、側にいた工場長や工員達に、
「これで、終わりです。カラーボールは完成しました」と告げた。
「おお!そうか」と工場長達は感嘆の声を上げ、寅二と握手をした。
もうその頃には直径1メートルくらいはある小惑星を思わせる様な物体に成長していた。
工員達は様々な角度からカラーボールを眺め、ある者は「木星みたいだ」と言い、別の者は「いや、金星だよ」「いや火星だ」などと口々に感想を述べた。
「よし、今晩からのイベントのためにみんなから一番良く見える場所にカラーボールを移動させようと、数人がかりで板の上にボールを乗せて港の端の広場の真ん中にそれを置いて、1度に人が押し掛けて壊されないように、周囲に低い柵を巡らせた。
準備が整うと、
「さ、後はちゃんと光を放ってくれるかだな」
工場長は晴れた夕空を見ながら呟いた。
しかし、その顔には確信めいたものがあり、満足そうに目を細めていた。
夜になった。予想通り会場は人で溢れ返って、すっかり賑やかなお祭り広場と化した。
櫓の上で太鼓を打ち鳴らし、スピーカーから音楽が流れ、浴衣姿の男女が現れ、壮大な盆踊り大会が始まった。
集まった人々は皆笑顔で楽しそうに祭囃子に身を任せた。
そして午後8時を回った頃、カラーボールから放射線状に7色の光の柱が夜空に舞い上がった。
その瞬間、押し寄せた観客達の間から歓声と共に大きな拍手が巻き起こって、会場は興奮の坩堝となった。
人々はお酒に酔いしれ、踊りに夢中になり、カラーボールから放たれる光の柱をうっとりと眺めた。
1日目のイベントは午後11時を過ぎた頃に無事に終焉を迎えた。
主催者側の発表では約2万人の観客が周囲を埋め尽くしたという。
明日や明後日のイベントもそれ以上の賑わいを期待された。
イベント2日目も大盛況であった。
カラオケ大会を人々は楽しみ、盛大に花火も打ち上がり、それにカラーボールの7色の光の柱が加わった。
その幻想的な光景はインスタ映えするだけでなく、訪れた人達の心の中にいつまでも輝かしい夏の記憶として刻み込まれた。素晴らしい夏の宵だった。
そしてイベント最終日を迎えた。
工場長や工員達も全員そのイベントを少し離れたところから眺めていた。
最終日はテレビ局がカメラを持ち込み、その様子を生中継で全国放送された。
製作者として寅二はステージに呼ばれて、司会者やゲストの芸能人とトークを交わした。今や寅二もアーティストとしていっぱしの有名人扱いだ。
カラーボールはその日も放射線状に7色の光りの柱を放ち、ダンス音楽に華を添えた。
広場ではたくさんの老若男女がまるで青春を蘇らせたかの如く瞳をキラキラと輝かせて音楽に合わせて身体を動かしていた。
ステージではロックバンドが生演奏を始め、エレキの音を響かせ、マイクに向かって絶叫した。
イベントも佳境を迎えた夜の10時を回った頃、突然、カラーボールがゆっくりと回転し始めた。
人々はまるで奇跡を見た様に驚きの声を上げ、テレビカメラはその様子を映し出した。
驚くべきことはそれだけでは終わらなかった。
次の瞬間、カラーボールは回転しながら、そのまま空中に浮き上がり、地上より、5メートルいや、10メートル程の高さで停止し、ミラーボールの如く放射線状にいくつもの光を放った。
人々は狂喜し乱舞した。
その興奮は人々に幸福の絶頂に導いた。
こんな夜が、長い人生の内に何度あると言うのだろうか。
今を楽しもう。
この夢の様な瞬間を1秒たりとも無駄にしたくないと人々は歓喜し陶酔しカラーボールの下、情熱に身を任せ、そこにいる者達は一体感に包まれた。
ある者は恋人と、あるいは夫婦で、
それから家族連れや友達同士も、それぞれ微笑みを交わし、皆の心にカラーボールは平和と安らぎを与えた。
深夜12時になろうとした頃、突然、寅二が立ち上がった。
工場長や工員達が見守る中、寅二は空中で回転し続けるカラーボールを斜め下から見上げる位置に立った。
人々のディスコタイムは終わり、そのカラーボールと寅二の様子を皆は声を出さず、ただ何が起こるのかと静かに見守った。
やがてカラーボールは回転するのをやめ、放射線状だった光は一つの方向に集まりその大きな光はスポットライトの様に斜め下の草原に立つ寅二の姿を映し出した。
寅二はしばらくの間、何も言わず黙ってカラーボールを見上げていた。
もしかすると無言の交信をしているのではないかと誰もがそう確信した。
そして何かを察した様に、寅二はカラーボールに向かって、徐に右手を高く上げて手のひらをひらひらと振り、サヨナラの合図を送るのだった。
カラーボールも寅二のその動きに合わせ、ゆっくりと円を描き、そして少しずつ天に昇り始めた。
夜空に高く舞い上がって行くそのカラーボールを見ながら、人々は声を上げて、行ってしまうのかと嘆き悲しんだが、やがて、にこやかに微笑んだ。そして、夜空に向かって手を振り続ける寅二を見て、同じ様に手を振り、カラーボールに別れを告げた。
寅二がカラーボールに向かって「ありがとう!」と大きな声を上げると、周りの者達も一斉に「ありがとう」とか「また来いよー」など大きな叫び声で呼び掛けた。
ピューピューとその偉業を讃える口笛も響き渡った。拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
やがてカラーボールはどんどんと夜空の中に吸い込まれる様に小さくなって、沢山の輝く星の中のひとつになった。
集まった人達はその情景をしっかりと目に焼き付け、楽しかった良い思い出として胸の奥の大切な場所にしまった。
大勢いた人達が帰り、誰も居なくなっても、広場にぽつんと立ち続ける寅二に、工場長や工員達が歩み寄り声を掛けた。
「さあ、今夜は帰ろう」
工場長は寅二の肩に手を置き、優しく声を掛けた。
工員達も寅二を囲む様にニコニコ笑いながら、空地を歩いて、それぞれの家路に向かった。
空では明るい月と沢山の星達がその姿を照らし、夜道に長い人影を映し出した。
秋になり、寅二の周りには以前と同じような平凡な日常が戻りつつあった。
次第に人々の口からはカラーボールの話題は消えて、また別の新しいものへと興味の対象は移って行った。
港の端の工場で作業の下働きをしながら寅二の毎日は平穏に過ぎて行った。
もう人々がこの工場に興味を持ち訪れる事もなくなった。
相変わらず廃材塗料は毎日出たが、寅二はもうそれでカラーボールを作る事は2度となかった。
工場長や工員達もいつも通りに寅二と接した。
それでも寅二の胸にはカラーボールとの思い出がいつまでも生き続けており、充分な幸福に包まれた毎日を過ごしているのだった。
おわり
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
このショートストーリーは、kesun4さんの『泥の中』という詩の記事のコメント欄でやり取りした事をきっかけとして思い付いたお話です。
なお、タイトルにも入っている主人公『トラジ』という名前はkesun4さんの飼われている愛猫のお名前をお借りしました。
ありがとうございました😊
kesun4さんの『泥の中』はこちら↓
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