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黒髪を切る迄 16


 SNSの"知り合いかも”に出て来た星ナオヤという人物が本当にアイツかどうか判らぬまま一週間近く私は放置してしまった。
 その昔、高校生の頃付き合いのあったアイツが芸能界に入って、その名前でデビューしたという噂をクラス会か何かで一度聞いたことがある。だけど、それは本人から直接聞いた訳ではないし、その程度の名前、同姓同名だってたくさんあるだろうし、聞いた噂の真偽だって怪しいものだわ。実際にその後、そんなタレントなど私の知ってる限り誰もいなかったから。
 星ナオヤなんてネームはもうとっくに忘れてしまった名前なのよ。それが今頃"知り合いかも"に登場して来るなんて、一体どういう訳? どこの誰なの? なんて気分だった。そのまま放置して忘れてしまおう、そう思っていたの。
 で、そんな話をその次薫に会った時に話してしまったのね。単なる雑談として。今度は『Far away』じゃなくて、よくあるファミレスの騒がしい窓際の席だったのよ。
 薫はすごくそれに興味を持ったみたい。「それで、それで?」と私の話の先を促したわ。彼女も面倒をみていた親を亡くして一段落し、暇を持て余していた頃だったからね。元から噂話やゴシップネタが大好物だったのを思い出したわ。
 ちょっとここでその人のページを開いてプロフィールを見てみなさいよ。彼女はそう言って私を急かしたの。ええ、でも、と言いながらも、私は携帯を手にしてSNSの画面を開こうとしていたわ。誰かに背中を押して貰わなければ先に進めない、そんな気持ちがあったことも確かよ。
 それでついつい薫が見守る前でSNSを開いてタイムラインをスクロールしてみたの。フォローしている人たちの日記やつぶやきがあらゆる種類の画像と共に現れたわ。いつものことだけど。指先でその画面を追いながら次々に表示される"ともだち”の最近の様子を伺い知れたわ。ああこの人こんなところに行ってるんだとか、羨ましくなるような高級ホテルのラウンジとか何かが映し出されたり、郊外の自然に囲まれた野外でバーベキューを楽しむグループの笑顔の写真など、そんなものたちが一方的に嫌でも目に飛び込んで来るの。SNSを見る度に、世界の幸福が溢れているように感じて、たまに私は自分の生活を顧みて鬱っぽくなってしまうことがあるのよ。他人の幸福を見ることで自分の不幸が浮き彫りされてしまうなんて、私だけなのかしらね。僻みっぽいのよ。
 だから私も何かしらの幸福を感じたときは思い切り他人が羨むような記事を書いて楽しんでるわ。それが正しいSNSの利用の仕方でしょ? たとえそれが表面的で実感の伴わない幸福であったとしてもね。
 さて、ところで、そんな時に限っていくら画面をスクロールしても件の"知り合いかも?”が出て来ないのよ。
 あれ? おかしいわね。消えちゃったわ。私がそういうと薫も身を乗り出して私の携帯を覗き込んで来るから、二人してタイムラインを下の方まで遡って見て行ったわ。それでもやっぱり"知り合いかも?”は出て来なくなっていて、変だね、いつも出て来るはずなんだけど、と言うと、たまにリセットされちゃうのかもねって薫が言って、私もそうかもってなって、それで諦めて画面を閉じたの。
 不思議なものね、この前は不意に表示されて逃げるように携帯を置いたのに、今度は探し求めたけれど見つからず諦めて画面を閉じた。
 何事もそういうものかも知れないわね。追いかけられると逃げるのに、こちらが追おうとすると相手はいない。
 まあ縁がなかったものと、それきり星ナオヤなんて名前のことは忘れてしまおうと思ったわ。全然知らない人かも知れないし、それに仮にそれが高校時代に知り合いのアイツだったとしてもネット上で"ともだち”になんかなるつもりは無かったわ。だからこの件はもう終わり、それでいいやと私は内心思ったものよ。
 けれどその時、薫がこう言ったの。でもさぁ"知り合いかも?”に表示されるってことは共通の何かが相手にあるのじゃないの? たとえば住んでる地域だとか、出身校だとか、何か繋がりがあるのよ。そういうものなんじゃない?
 なるほど、それもあるなと思ったわ。でもだからといって調べようもないし……、って私の言葉に、薫は、ハッとして、そうださーちゃんのともだちの中にその人と繋がりのある人がいるんじゃない? なんて言うの。
 そう言われても、私には、そこまで詳しく調べたりするのもどうかな? って気がして、それはちょっとね、なんて言って、その話はもうそれで終わりにしたの。

 でもその日の夜になって私はまた思い返してみたの。もし星ナオヤがアイツだとしたら、どこでどういう共通点があるのか? 確かに同じ高校の出身ではあるが、そもそも今どこに住んでいるのかさえ私は知らない。何をしてるのかも。いまでも芸能界でタレントをやっているのだろうか? 何も知らない。そもそも私は高校時代からの友人なんて一人も思い出せない。おそらくSNSでも繋がっていなかったと思う。
 と、そんなことを寝しなにうつらうつら考えていたら、いつのまにか眠ってしまったわ。
 ところが翌日目を覚ました途端、ふと思い当たる人物の名がひとり思い浮かんだのよ。
 それは当時のクラスメイト、今はもう何十年も付き合いはなくてね、彼女とは短大も同じで卒業後もごく僅かな期間付き合いがあっただけなの。SNSを始めた頃、彼女からともだち申請があって、それに承認ボタンを押したはずなのよ。すっかり忘れていたけれど、でも、結局SNS上でも交流することはなかったの。彼女もあまり投稿している風ではなくてね。
 とりあえず、彼女のページを開いてプロフィール画面を覗いてみたの。ちゃんと卒業校の名前も書き込んでいたわ。それから彼女のともだち一覧なども表示させてみたの。その時になってようやく思い出したのだけど、私がアイツと出会った軟式野球の試合は彼女に誘われて渋々出掛けて行ったのだったわ。たしか、あの時、彼女はエースで四番の彼に夢中になっていて、後になって付き合い出したなんて話を耳にしたことがあるの。
 まさかその彼女があの時のエースで四番の彼と今でも付き合いがあるなんて思えないけど、ともだち一覧の中に知った名前がないかと目で追ってみたわ。
 でも私はすでにエースで四番の彼の名前などとっくに忘れているし、星ナオヤの名前も出て来なかった。ただこの一覧の中の誰かがあの時のエースで四番の彼であり、その人がアイツと繋がっていたとするなら、私のタイムラインに"知り合いかも?”として表示される可能性は、無くはないと思ったの。
 でも、エースの名前が分からない以上、もうそこから追跡することも不可能だったわ。手間もかかるし、だから、もうこの件はそこでおしまいにしたわ。そこまで執着して調べるほどのことでもないしね。もう忘れることにしたのよ。
 そしたら、それから二、三日経った頃、私のタイムラインに再び"知り合いかも?”が登場したわ。
 私は少しイラッとしてしまって、どうにかしてこの表示がされるのを止める方法はないものかと顳顬こめかみを押さえて携帯をテーブルの上に放置して、キッチンに行ってミネラルウォーターを口にして、しばらくぼぉーっとすることにしたの。まだ起きぬけで頭がちゃんと冷静に働いてなかったものだから。
 けれどね、その日はそんなにゆっくりもしていられなかったの。いくつかこなしておかなければいけない仕事の案件がたまっていたし、スケジュールは夜までぎっしり詰まっていたわ。それらを前にしてSNSを探ってみるのも少し煩わしい気がして、とりあえず"知り合いかも?”の件は夜まで忘れることにしたわ。
 何事もタイミングて大事よね。これまでの経験上、物事や人との出会いは大抵巡り合わせによるものだと思うの。学生時代にアイツと出会ったり、MARSの演劇に参加できたことも、タイミングよくそれらが目の前に現れたからよ。もちろん良いことも悪いこともあるのだけど、タイミングが合わなければ何も始まらなかったはず。
 それを偶然と呼んでもいいけど、人生ってそんな偶然の積み重ねで進んで行くのよ。その中から何を選んで何を捨ててしまうか、それは自分次第よ。ただ巡り合わなければ取捨選択さえも出来ない。それは短大時代も社会人になった時もあらゆる場面で感じたことなの。おそらく不運にも出会えなかった良いこともたくさんあるのだろうけど、それはもうどうしようもない。縁が無かったことを悔やんでみても仕方ない。そう思っているわ。
 だからその日、仕事でくたくたになって、夜遅くなってお風呂に入ってひと息ついて、明日の予定も整えて、そろそろ休もうかとした頃、ふと手にした携帯の画面を見て、ああそうだなんて思い出してSNSを開いてみたのよ。
 今度は"知り合いかも?”はすぐ出て来たわ。まるで私の帰りをずっと待ってたみたいに。
 そしてスクロールしてみるとやっぱりちゃんと出て来たの、星ナオヤの名前が。猫の顔のアップと共に。
 それでも、ほんの少しの躊躇いが私の指先を過ったわ。何か新しい扉を開ける時みたいに。もしかしたらやり直せない未来に首を突っ込むことになるかも知れない。ちょっと大袈裟だけどね、そこを開くのはほんの少しの勇気が必要だったわ。
 僅かな逡巡の後、私は意を決して猫の画像の鼻あたりを指先でタッチしてみたの。
 ページが開いたわ。
 星ナオヤの名前が太文字で表記されていて、その下に自己紹介の文面があって、瞬間えっ?と思いながらも、さらにその下を見ると『友達を追加』と『メッセージを送る』の項目がある。だけどそれには触れずに『星ナオヤさんの基本データを見る』というのがあったからそれを見ることにしたわ。
 タッチしてみると、職歴やら学歴やらの項目が並んでいて、M県Y市在住 Y高校卒とあったのよ。
 どちらも私と同じだった。生年月日の表示は無かったので、年齢は分からなかったけど、星ナオヤがアイツである可能性は高まったわ。 

 だけど、なんで? どうして? の疑問が私の胸に渦巻いたの。
 もう一度トップ画面に戻り、ユーザーネームの下の自己紹介文を読み直してみたわ。
 そこには、こう書かれてあったから。

《怠惰な生活を続けて来た結果、癌を患い、余命宣告を受けた不良中年の日々》


 つづく

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