言葉って、口にしたら叶うってよ。 という話
得点は一点差
我々がリードしたまま
試合は九回の裏を迎えていた
すでにツーアウト
ランナーが二塁と三塁に二人いるが
あと一人アウトにすれば
我が校は創部始まって以来
初の甲子園出場が決定する
もちろんランナー二人が帰れば
逆転サヨナラで相手チームに
勝利と甲子園を奪われる
正念場だ
マウンド上のオレは
気持ちを落ち着かせようと
深呼吸する
スタンドの応援は大盛り上がりを迎えている
この試合のクライマックスが
こんな土壇場でやって来た
「タイム!」
キャッチャーがマウンドに駆け寄って来る
内野の連中もそれに合わせて
オレの周りに集まる
「おい、ケースケ大丈夫か、コントロールが乱れてるぜ」
「分かってるよ」
ランナーの二人はフォアボールで出塁させたあげく、ワイルドピッチをして二塁と三塁に進塁させてしまったのだ
正直言うと、もうオレは限界だった
ここまで120球を投げて来た
しかも灼熱の暑さの中
全身汗だくである
視界が汗でボヤけるし
ポールを握る手のひらも汗でべっとり、滑りやすい
絶体絶命のピンチだ
だけど、集まるチームメイトの顔を見てたら
そんな弱音は吐けない
「大丈夫、あと一人、絶対抑えてやる」
「ケースケ、頑張れ、おれらみんなしっかり守ってるから、ど真ん中へ投げ込め」
「そうだ、そうだ、絶対お前なら大丈夫、勝つ、そしたら甲子園だ」
「とにかくオレのミットを目掛けて無心で投げ込め」
「分かってるよ」
とは言ったものの
お前なら大丈夫?
何を無責任に言ってくれるんだ
大体、一点差に追い上げられたのも
お前らのマズい守備が原因だろうが
オレは心の中で毒付いた
しかし、そんな事は口に出せない
やつらは妙に真剣な顔をしている
待てよ、サードの北川にショートの井上
お前ら、昨日も大事なところでエラーしたよな
それからファーストの中島、お前この大会でヒット一本しか打ってないだろ
それで勝つとか、甲子園とか
どの口が言ってんだよ
そう考えると、何だかむかついて来た
「お前ら、ちょっと訊いておきたい事がある」
「な、なんだよ」
キャッチャーの東原がマスクを取って、泥だらけの汚い顔を見せる
他の奴らも似たり寄ったりだ
目だけは異様にギラギラしてる
何だよこいつらマジか、鬱陶しいな
「ここで負けるのと、甲子園で負けるのと、どっちが良いんだ?」
「ああ?」
「何言ってんだ?」
みんな怪訝な顔をする
え、え? と言いながら
それぞれ顔を見合わせる
「甲子園で初戦敗退して帰って来るのはみっともないぞ」
「そんな話を今するか?」
東原は顔をしかめる
「とりあえずだなぁ、ここを抑えないと、どうしようもなんねえぜ」
北川、井上も汗だか鼻水だか知らないが、顔から何か滴り落として頷くばかりだ
「分かったよ。一応念のために訊いてみただけだ」
オレは両手でみんなを振り払った
「おいらは行きたいよ、甲子園」
「は?」
と振り向くとセカンドの薗部が、
「て、言うか大阪へ行ってみんなでたこ焼き食べたい」
と宣(のたま)う
「アホか、お前、甲子園は兵庫県や!」
薗部は初めてそれに気が付いた様で
「あ、あ、そうなの?」
と気弱に呟く
「ま、大阪に近いけどな」
「そんな事は今、どうでもええ」
東原は必死だ
キャッチャーでキャプテンという立場がそうさせてるのか
えらくマジになってる
審判がやって来た
「君達、早くしなさい」
「はい、すんません」
「よし、みんな、ポジション戻れ」
オレの一声でみんな散って行く
と、東原が行きかけて何か思い出した様に、もう一度寄って来て、オレの耳元で一言二言囁く
「おい、もしもツーストライクになったら、例のスローカーブを投げろや」
「え、ホンマ? マジで言うてる?」
オレが尋ねると
「マジ、マジ」
と言いながらマスクを被り直して、ホームへ戻って行く
審判や待たせた敵のバッターにもペコペコ頭下げて、スンマヘンとか言うてる
なんでみんな急に関西弁になってんだよ
スローカーブは練習後に遊びで投げてただけで、試合で投げた事なんてないよ
まあいいや、打たれたらあいつの責任にしてやれ
それにしても次のバッターは4番の来宮か、こいつには今日2本もツーベース打たれてる
多分どこに投げても打たれる気がする
さて、どうしたものか…
ええい、ままよ、とばかり
目一杯速球を投げ込んでみたが
全部はっきりそれと分かるボール球
あっという間にスリーボール
四球で歩かせて満塁策というのもあるが、
どうせ打たれるならこいつと勝負だ
次の球は、ど真ん中へ打ち頃のストレート
奴は見送った
スリーボールで待てのサインが出てたか
さて次のボールが勝負
あれこれ考える暇もない、投げる球もない
同じようなストレートを真ん中に
やや高めに行った
カッキーィン
金属バットの凄まじい音がグラウンドに鳴り響き、弾丸ライナーがサードの頭上を襲う。
サードの北川がジャンプするもグラブを掠める様に打球は外野へ抜ける
やられた、オレは心底そう思った。
しかし右バッターの引っ張りはラインドライブというものがかかり、打球はレフト線上の際どい所でパウンドする。
どっちだ?
「ファール」線審が大きく両手をYの字に広げる。
助かった。ホッとする。これでフルカウントだ。ん? そうか、これでツーストライク
キャッチャーの東原がマスク越しに目をパチパチさせてる、緊張した時のクセだ
ボールを受け取り、内野を見渡す
北川、井上、薗部、中島
順番にアイコンタクトして行く
外野にも声掛ける
よし、行くぞ、東原
どうなっても知らないよ〜っと、
モーションに入る
投げた瞬間、汗で湿った指先でボールが滑る。
ありゃ、やっちまった〜
背筋がひやっとする、完全な抜け球だ。あきらかにボールになる
高くふんわりとしたスローボールがひゅるひゅるとホームに向かって放物線を描く
来宮は明らかなボール球に、おっとカラダの力を抜き、表情も緩む。
ところがボールはふらふらとホームベース上に来た所でククッとカーブして低めに構えた東原のキャッチャーミットにスポンと吸い込まれる。
その瞬間、地球は3秒間、呼吸を停止した、
「ストライ〜〜ク、バッターアウト〜、ゲェームセッッツ」
主審の右手が上がり、コールする声が場内に響き渡り、静寂を破る
それから先はクレージー
お祭り騒ぎ
バカ騒ぎ
誰の声も聞こえない
ただひたすら大声上げて
誰彼構わず抱き合った
スタンドは揺れた
オレ達は夢心地で
ふわふわしたまま
校歌を歌い、場内を歩いた
後からオレは東原に訊いてみた
「なんで最後の球、スローカーブにしたんだよ」
東原は、あ?って顔をした後、ちょっと笑って
「お前の球、何投げても来宮には打たれると思ったよ。ただひとつ誰にも投げてなかったのが、あのスローカーブだけだったからね」
とドヤ顔する。
こいつ、意外と冷静だったんだな
と思う
その夏、オレ達は甲子園に出場した
開会式の直後の試合で、優勝候補の大阪代表の高校に0-10で負けた。
オレ達は試合後、大阪の道頓堀に行って、たこ焼きを食べた
「うめぇ〜」「美味しい!」
北川も井上も中島も笑顔満面。
お前ら甲子園で大敗した後なんだぞと心の中で罵る
だが、このたこ焼きは旨い
「薗部、良かったなあ、夢が叶って」と言うと
「いや、良かったっす やっぱり、言葉って、言ってみると叶うんすねぇ」
「おい、こいつ、たこ焼き食べながら泣いてるぞ」
みんな声を出して笑った
それが、この夏一番の思い出になった。
おわり
参加企画 ことば展覧会