
#休息メモ 「コスパやタイパに自分を奪われない」
こんにちは!
現代の休息をアップデートする活動をしているタツローです!
現代の休息のヒントを探す#休息メモ (11)
今回は、多数の著書を持つ哲学者/谷川嘉浩さんのweb記事から!
現代の休みが置かれている悲しい立場。
それをどうアップデートしていくかについて、書かれた記事でした。
皆さんの休息のヒントになれば幸いです!
それではどうぞ!
「休み」と聞いて最初に思い浮かべる言葉は「余暇」です。
この言葉は「労働の余りである」というイメージが含まれています。
労働がメインの時間で、その余りである暇な時間という仕方で、休みという言葉は特徴づけられていて、「労働ではない」という消極的な意味を担ってしまっている。
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「生活のメインは労働で、残りの部分が休みである」という考え方が問題なのは、余暇そのものが生産性の論理に取り込まれるからです。
そうすると、休暇の過ごし方も「役に立つかどうか」という生産性の論理で評価する傾向が強まる。
「今日何もしなかった」「休日を無駄にした」という言葉も、生産性の論理からくる発想です。
「余暇」を取り戻す為には?
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まずは「労働か、労働ではないか」というフレームを捨てて、新しい余暇の考えに自分をずらしていくことです。
そうすると、コスパやタイパのようなパフォーマンス主義に自分を奪われずに済みます。
こうして得られる日常の中には、それ自体を目的にしているような楽しみがあります。
走ること自体が楽しいというのでもいいし、「今日は最強のカウチポテトのスタイルを追求する」というような遊びだって別にいい。
そういう楽しさは、パフォーマンス(=生産性の論理)で測られると壊れてしまいます。
大切なのは、SNSにシェアしたり、パフォーマンスを測ったりするほどのことはない、日常のささいなことをどれくらい尊重できるかにあります。
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コーヒーを入れる瞬間に広がる香りが好きだし、その香りによって一瞬でも仕事から切り離されるし、ぼうっとできる。
仕事の移動中に、ちょっと足を止めて空を見上げたときに昨日までの空との変化を感じる。
どうでもいいものを見つめ直す視線を取り戻すことが、生産性の論理、パフォーマンスの論理から離れる第一歩になる。
「休む」には、これくらい考えないといけないくらい、私たちは生産性やパフォーマンスに侵食されているように、私には思えます。
「休み=労働ではない時間」というのは僕たちが自然と持たされている感覚だと思います。
続いての「余暇そのものがいつの間にか生産性の論理に取り込まれている」という指摘も、とても納得ができ、胸に刺さる言葉でした。
自分では休んだつもりでも、実はそれは労働の為に休まされているのかもしれない。
自分のためではなく、会社で働く自分のための休み。
気づかない内にそうなっているのはとても悲しいこと。。
本記事ではその解決策として、時には身の回りの些細な物を感じてみることが大切であると問いかけてくれています。
小さな気づきを大事にする。
うーむ。
わかったようでわからないような、、笑
なにわともあれ現代における生産性との戦いはとても難しい。
本記事を読んで「休み上手=生産性との付き合い方上手」であるなと改めて思いました。
まずは少しでも休みに対する知識を持って、今の自分がどのような状況で何の為に休んでいるのか、ということを意識することから始めるのが大事かと思いました!
生産性の誘惑に負けない!
それではまた~!
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