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もう一度、ちゃんとクラシックに向き合おうと思った曲

 去年のちょうど今頃は閉塞感を感じたまま、ピアノに向かえずにいました。
 娘の受験で神経を尖らせていてピアノどころではなかったり、そのほかいろいろ思い悩むことがあって、40歳の時復帰した大学時代の恩師のレッスンを無期限で休んでおり、娘の進路が決まったころには新型コロナウイルスで外出が躊躇われる時期でした。

 その数か月前。
私は心から大好きなハイドンのソナタを発表会で弾きましたが、なぜかどんどん苦しく辛くなってきて、もう一音も先に進めない、辛い、と感じながらも立ち止まれず最後の一音をやっとひねり出すように弾いた、と言う経験をしました。
 好きで選んだのにどうしてあんなに苦しい辛い思いをしなければならないのだろうと、帰宅する道でずっと考えていました。ピアノを弾くことに戻ってきて10年ちょっと。

 「自分がクラシックを弾くのはもう限界なのかな」

そんな風に思い、練習していたハイドンのソナタも、バッハも全部封印して迎えた、春。

 夏に開催する予定だった自分たちのコンサートも見通しが立たず、気持がふさいですっかりやる気が失われていた頃、ある曲と出会いました。

「SONATA K.20」

ゲイリー・バートンと小曽根真の「VIRTIOSI」というアルバムの1曲。
この曲を録画していた「クラシック倶楽部」小曽根真さんが富士山のふもとで演奏した回を見直していたときに、ふと、心の中がじんわりと温かくなってくるのを感じました。
 この曲はスカルラッティのソナタ。
 私がスカルラッティのソナタを初めて弾いたのは、大学時代の試験曲でした。音楽史(と言うか雑学的なこと)が好きだったので、もちろんスカルラッティの名前は知っていました。でも、なぜ試験でスカルラッティのソナタを弾くのか、その意味も、曲の魅力も、20歳の私にはまるで分らなかったのです。

 小曽根さんの演奏を聴きながら、クラシックへの封印がいつの間にか解けていました。弾いていいんだって思えた。

 それから、この曲が収録されている楽譜(小曽根真Time Vol.3)を手に入れました。この曲の音を、私が出したらどうなるのかな。そんなことを思えるようになったのは、やっぱり小曽根さんのおかげ、なのかもしれません。

 そのうち弾きますからね。

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