人を傷つけ、悲しませ、 怒らせるデザイン | UI/UX Weekly vol.09
SNSが広まったことで、人々がが身の回りのデザインに対して何を感じているかが昔に比べてデザインする側にも伝わりやすくなってきました。
類似商品同士の見分けがつきにくくなったパッケージや、
情報を削ぎ落としすぎて操作の方法がわからなくなったコーヒーマシン...
生活していく上で出合ったデザインが、SNSで話題に上がり、人々の間で議論され、物議を醸すことも珍しくなくなりました。
アプリストアは怒りに溢れている
特に、毎日のように使うモバイルアプリやWebサイトは実際に人々が触れる機会も多く、街中で見かけるものに比べてもそのデザインに対して感じることは多いはずです。
日本人は、1日に約10本のアプリを使うというデータがあります(2017年時点)。
その中には、人とのコミュニケーション手段や決済手段など、生活において無くてはならないものも多く存在しています。
生活により深く関わるアプリほど、怒りに溢れたコメントをよく見かけると思います。
なんでこんなに怒るんだ...?と目を疑うことも度々ありますが、
中にはアプリによって起こった悲惨な体験を綴ったものも多くあり、
アプリストアのレビュー機能やSNSによってそれが可視化されやすくなっているだけでもあります。
人を傷つけ、悲しませ、怒らせるデザイン
カナダのあるデザイナーがアプリによって最悪のケースに遭遇したストーリーが、書籍「悲劇的なデザイン」載せられていました。
危篤状態だった彼女の姉妹がトロントに向かっている車での出来事です。
高速道路を走っているときに、姉妹から連絡があった。テレビ電話機能のある FaceTimeで、友人と家族にお別れを言っていたのだ。姉妹の最後の言葉を、私は FaceTimeで聞くことができた。それだけで私は胸がいっぱいになったし、テクノロジーが進歩して、ポケットの中の小さなデバイスで二度とない瞬間を体験できたことに感謝した。ところが私は同時に、テクノロジーがいかに残酷かも思い知った。電話が急に切れて、エラーメッセージが表示されたのだ……。
アプリが公開されたときの CM を覚えている。幸せそうな人が、これまた幸せそうな友人と電話で話していた。だけど、ストレスと感情が高まっている人間のシナリオは紹介されていなかった。思い浮かべてほしい。私たちはトロントから4時間のところにいて、レンタカーで401号線を急いでいる。母は後部座席で泣いていて、隣の犬も不安そうにしている。私は助手席で、役に立たない電話をいじりながら、エラーメッセージの意味をなんとか突き止めようとしている。何が問題かはっきりせず、どうすれば直るのかもさっぱりだ。
「FaceTime は利用できません」?それはどういう意味? 接続の問題?
設定を変更しなくちゃならないの? 彼女は死んでしまったの?
こんな最悪のケースに、「悪い」デザインは、さらに人を混乱させ、怒らせ、悲しませることもあるのです。
最悪のシナリオを考える
どんなサービスでも、都合の良いユースケースやユーザージャーニーだけを想定し、「最悪のシナリオ」を深く検討することを怠ってしまうことで
ユーザーに深く心に傷追わせてしまう可能性もあります。
逆に言うと、「もし〜だったら」といったありとあらゆるケースを想定し、ユーザーを怒らせたり悲しませることをデザインで防ぐことこそが、サービスづくりに関わるデザイナーの大きな役割でもあります。
作り手は「自分のサービスが大した影響を与えることはないだろう」と思っていても、一部のユーザーにとってはそれが生活において無くてはならない存在であったり、最悪の場合、デザインがそのユーザーを酷く苦しめる可能性もあります。
少し前の例ですが、アプリのインターフェースが原因で自殺まで追い込まれてしまったと言うケースもあります。
このような最悪のケースは、教科書に載っているような「UI改善ポイント」を試して対処することはできないはずです。
できるだけ多くのユーザーに会って話し、自分の目でそのサービスが使われる環境を見て、できるだけたくさんのチームメンバーで、あらゆるシナリオを考えることが大切だと改めて思います。
具体的なやり方や考え方は、事例も含めて、前述した「悲劇的なデザイン」にも書かれているので興味がある方はぜひ読んでみてください。