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私の凸凹半生【前編】

はじめに

これから私の凸凹半生についてを綴っていく。

私の過去について思い出し次第、どんどん編集し、文量を増やしていく予定だ。

多くの人に読んで欲しい。私を知って欲しい。そんな思いで書いた。

良ければ読んでやってくれ。

0-3歳

私が、まだ保育園や幼稚園にも通わず、幼かった頃のこと。

私は他の子と比べても運動の遅れは全くなかった。とても平均的。

ただ、その時ハマっていた遊びはと言うと、
「積み木などを1列に並べる」
「同じパズルをはめてはこわしてを繰り返す」
「繰り返し同じ動画を流させては観る」

知識のある方はここで気づくでしょうか。私はASD(自閉スペクトラム症)だった。

この頃から感覚過敏もあり、オムツや靴を履くこと、お風呂に入ることをとても嫌がったそう。

そして極めつけに、エコラリア(オウム返し)もあったらしい。

ただ順調に言葉は出始め、保健師さんにも気づかれることはなく、幼稚園へ通いだす。

幼稚園

私は幼稚園に通いだす。

幼稚園の先生が書いてくださった連絡帳によると、
「話をする時よそを向いている」
「自由遊びになると仲間に入り遅れてしまう」
「自分の思いをなかなか言葉に出来ず、困っていることも伝えられない」
「他の子の行動に気を取られ、自分のやるべきことがなかなか進まない」

幼稚園の先生が出した懸命な訴えは、「早生まれの子だからこんなもんかな」という母の考えにかき消され、そのまま小学校へ通い始める。

小学校

入学式の日に、ある友達ができた時のことを、私は今でも覚えている。
その友達は、同じクラスで、家が近く、通学団が同じだった。
私はその頃全く人見知りがなかったので、すぐその友達に話しかけた。そして、その友達とその母親と一緒に帰ることとなり、その友達と私の母親同士でも話をしていたようだった。
その日の夜、私はお母さんにこう言われた。
「〇〇ちゃんはね、心が弱いから助けてあげるんだよ。」
後から知ったが、その友達もASDを持っており、特別支援学級に所属していた。そのことを、私の母は、その友達の母親から聞いており、私にそう言ったそうだ。

その後私は、ASDの特性からか新しい友達を作ることもなく、休み時間はずっとその子と一緒に遊んでいた。


2年生のある日、いつものように、小学校へ向かって、通学班の人と共に歩いていた時のこと、後ろを歩いていた上級生から靴の踵部分を踏まれた。
それだけなら良かった。ただその瞬間、なぜか笑いが起こった。
次の日も、その次の日も、靴の踵部分を踏んでは笑っている。

どうやらみんなは私を笑っているらしい。

それに気づいた時、戸惑いと、恐怖と、とても形容し難い感情が、一緒くたに私を襲ってきた。
でもその頃の私は、それがいじめだなんて理解する余地もなかった。いじめなんてものがあることですら、まだ理解していなかったから。

そして何もわからないまま、一年ほどが過ぎ去ったある日、友達と2人で帰る学年下校の時だった。
突然後ろから勢いよく誰かに押された。そしてその誰かは、私の胸ぐらを掴むと何かを怒鳴った。
私は一瞬何が起こったのか理解に苦しんだ。
でも怒鳴られてわかった。

ああ、いつもの奴ら<上級生>だ。

私は何に怒られているのかもわからず、何も言い返せなかった。
その後、私は、手首を掴まれ振り回され、殴られ、蹴られ、とうとう泣いてしまった。
泣いてしまったら、奴らはバレるのが急に怖くなったのか逃げていった。

泣いたまま家に帰った。すると母は当然驚き、何があったか説明するように言われた。
私はなかなか状況を説明することができなかった。
だが、お母さんは奴らに泣かされたことを知るとすぐに学校へ電話し、後日奴らは学校で先生に怒られることになる。
そしていじめはなくなった。はずだ。


私は極度の人見知りをするようになった。というより、知らない人が信じられなくなった。
いじめはなくなった『はず』だと言った理由には、この呪縛があったからだ。


また、2年生のある日、教室でのこと。
私は突然クラスの女子に胸ぐらを掴まれた。突然の出来事であまり覚えていないが、その後、罵声を浴び、いつの間にか、私はクラスで腫れ物扱いにされた。
クラスの男子からは「KY」「ゴミ」「消えろ」などと暴言を目の前で吐かれ、女子からは目が合っただけで嫌がられた。
この間、とうとう私は解離することを覚えてしまった。

小学校を卒業するまで、腫れ物扱いは終わらなかった。
そして歳を重ねるうちに、人間不信は悪化し、小学6年生にもなると私はますます殻に閉じこもった。

中学校

そのまま中学生になった。

入って間もなく、私は起立性調節障害を発症する。
今思うと、起立性調節障害のせいだけではなかったのかもしれないが、朝起きられなくなり、午前中は体調不良に見舞われ、学校に遅刻や欠席をするようになった。


そして事件は起こる。
遅刻や欠席をするようになったせいか、体育の授業などの場面で、グループから仲間外れにされた
仲間外れにされて何が問題か。そう、私は元いじめられっ子。その時の記憶がフラッシュバックする。
この頃からフラッシュバックは絶えず、時を選ばず私を襲ってくる。

高校生

私は、そこそこ勉学に励み、偏差値60程の公立高校を受験し入学した。
そこには小中の知り合いはいなかった。
そして孤独の日々が始まる。

学校へ行っても、ほぼ一言も話さず、陰口を言われ、帰ってくる。それだけの日々だった。

この頃私の社交不安(人間不信)は絶頂期を迎える。
とうとう不安から学校へ行けなくなった

そして、起立性調節障害を診て貰っていた病院から精神科病院へ紹介してもらい、親と共に精神科病院へ行った。
そこで初めて社交不安障害ASDを診断される。


その後も学校へは行けず、2年生の12月、通信制高校(N高等学校)へ転校することになった。
そこではそれなりに高校生活を楽しめた。

不安やうつ症状は続いていた。
ただ大学受験はそれなりにこなし、全日制の心理学科へ入学することになった。

おわりに

前編はここまでだ。

ここまで読んでくださった方に感謝をしたい。私を知ってくれてありがとう。

後編も近々公開する予定だ。そこでは主に大学生活について書いていこうと思う。

これからもよろしく頼む。

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