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1991年最初の記憶から


はじめに

こどもが眠る前
眠るのが怖いよう。怖い夢をみるよう。
と言うので、
お母さんがこどもの頃の思い出を話してあげよう。
と思うが、あまり思い出せない上に、いざ話し始めると全く面白くない。

覚えていることをなるべく沢山文章にしてみようと思い立った。

いつか未来の自分のためにも、できるだけ書いてみようと思う。

ホワイトになれなかったジェットマンごっこ

千葉県浦安市のとある団地で次女として生まれた。
同じ団地には同い年の子がたくさん暮らしていた。

同じ棟に住むA君とBちゃんは、いわゆる幼馴染で、幼稚園入園前は毎日のように遊んでいた。

A君は8月生まれ。優しいしっかりもの。
Bちゃんは10月生まれ。賢くて活発。
私は2月生まれ。おっとりした泣き虫。

遊びの主導権は、必然的に私以外の2人が握っていたのでしょう。

ある日のジェットマンごっこで
髪が長くておしとやかなホワイト役をやりたいと訴えたが、一度もできなかった。
今日もまたブルーの役。
悔しくて胸がつまった団地の広場が私の最初の記憶。

えまちゃんは来年だよ

A君の家で三つ上のお姉ちゃんの卒園アルバムをみていた。
もうすぐ三人揃って同じ幼稚園に入園するのだ。

しかしどうやらA君もBちゃんも、わたしは一年後に入園になるはずだと勘違いしている。
私は2月生まれだが、学年は同じになるという旨をなんとか伝えようと試みたが、「えまちゃんは来年だよ」の一点張りで信じてもらえなかった。
これが二つ目の記憶。

楽しい幸福な記憶はどこへ?

A君もBちゃんも決していじわるな子ではなかったはず。
毎日毎日飽きもせず遊んでたのだ。
楽しいことや嬉しいことは沢山あっただろう。

同じように、この年の家族との思い出がどうしても思い出せない。
1991年のラベルが貼られたアルバムを見返すと、楽しそうな旅行の写真や、幸福そうな日常が溢れてる。
確かに1991年の私の毎日は、楽しさと幸福に満ちていたのだろう。

それなのにどうして、私の1番古い記憶の引き出しから取り出し可能なのは、悔しく悲しい記憶なのか。

楽しかった優しい日々の記憶は、どこに沈み消えてしまったのだろう。

おわりに

眠るのが怖いようと言っていた娘は、いまやすっかり安心して気持ちよさそうに寝ている。
冬がはじまると、温かな娘と同じ布団で眠るのが本当に気持ち良い。

楽しい記憶が消えてしまったのは、それが日常だったからだと思う。
幸福が当たり前だから忘れたのだ。

娘が、幸福な今日の一日をすっかり忘れてしまってもかまわない。
私はこの布団の温かさをどうしても覚えておきたいと思うのだ。