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28歳までの生活

今年も写真を撮ってもらった。少し痩せて、本が増えた。

去年はこちら(撮影は misaki さん)


28歳は、別れの1年だった。

本当に大切だった人たちと、さまざまな形で離別を経験した。あたらしい出会いは生活にじわじわと喜びを運んでくれるのに、別れは突然に傷つけてくるのがフェアじゃなかった。苦しかったし、いまでもまだ、苦しみの後味が残っている。

別れを何度か経験したあと、春、制作活動を始めた。この半年で本を2冊つくることができた。moufu シリーズも100匹ほど作り、絵をたくさん描いて、初めてライブペイントもさせていただいた。

「書く」「描く」「かたちづくる」ことによって、わたしは自分のなかの、誰にも言えない気持ちを昇華(消化)できると気づいた。それは寂しさや苦しさだけでなく、喜びや幸せのことも。

制作しているとき、一人でも大丈夫になった。休日、誰とも話さず、家に篭って作品をつくった。静かな海辺や公園で日が暮れるまで絵を描いたり、シャッターを下ろした店内でじっと言葉と向き合ったりした。没頭して深く深く潜って、気づけば夜になって、朝になって、さみしくなかった。絶対安心で、誰にも脅かされないわたしの場所、それは希望だった。

自分のありのままの気持ちを、作品を通してたくさん開示した。創作技術に自信が無くなる日はあったけれど、開示への怖さは少なかった。つくることで自分とつながり、ひらくことで他者とつながった。大切にしたいつながりが、またあたらしく次々と、生まれた。

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時々、文章を書いていると、その手がいつまでも止まらなくて驚いた。わたしの内側には、外に出せなかった言葉がこんなにもぎゅうぎゅうに詰まっていたのかと、ようやく知り、耳を傾ける。
もしかしたら制作とは、自分の気持ちに手を差し伸べて、それらをまるごと大切に愛することなのかもしれなかった。

別れの絶望、それからあたらしい愛情への希望

28歳の自分がんばった、ありがとう

今回、写真を撮ってくれたキョんくん。二人でずっと一緒に店を営んでいたけれど、9月にわたしたちは解散した。28歳、最後の別れ。

キョんくんはビジネスパートナーであると同時に、新潟で一番長く時間を共にした友人であり、時に家族のようだった。この関係に名前をつけたら野暮になってしまいそうだ。

まったく異なるコンセプトの店が、1つの空間に、垣根なく存在することの難しさ。他に事例がなかったから、わたしたちはひとつひとつを手探りで解決しながら(時に看過したり、妥協したり、譲渡したり、ぶつかったりしながら)、店を開け続けた。泣いたり怒ったり(主にわたしが)した夜を何度越えたかもう数えられないけれど、そういうすべてを共有してきた。わたしが迷子になるときは、キョんくんが正しい位置に戻してくれた。

そういう人が一度でもそばにいてくれた人生にしてくれてありがとう、みたいなことを思う。


街歩きたのしかったね

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