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春宵十話

よく人から数学をやって何になるかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いてるだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。

咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。

『春宵十話』岡潔

スミレの花を愛してやまなかった数学者 岡潔。数多く残された文筆の中にも、花の名前、この花が咲く情景がいくたびも登場します。

数学者だった岡ですが、彼は「花を見て美しい」と思えるその感性こそが、人間にとってなにより大切であると説きました。

その言葉の先には、花を見て美しいと感じる心があれば、数学に対しても、あれがただの無機質な数の羅列ではなく、美しい世界であることに気づけるだろう。そんなことを言いたかったのではないかと想像します。

春になるたびに、著書『春宵十話』をひらき、「人の中心は情緒である」という老先生の一貫した主張にふれ、そのたびに「情緒の中心は植物である」と言いたい気持ちが込み上げます。今年もまた。今日もいちりんあなたにどうぞ。

スミレ 花言葉「小さな幸せ」

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