今日は二十四節気のひとつ「小雪」。わずかではあるけれど雪が降る頃になりましたよ、というお知らせです。 ようやく山などに雪がみられる時期になったことを意味しますが、まだそれほど雪は多くないことから「小さな雪」と呼ばれます。古文書の中では、少しずつ冷え込むようになってきたことで、雨が雪になって降る頃とも記されました。 この季節に降る雨は、時雨(しぐれ)といい、冷たい雨が降ったあと、わずかな暖かさが戻ることを小春(こはる)と呼びます。そんな春を思わす日和が「小春日和」です。
今日は一日、今朝みた時雨雲のままに、ずっとしらしら雨が降り注いでいました。しかし昼頃には、時おり日が射したりもし、そして夕暮になると、その雨脚に虹がかかったと聞きました。いわゆる時雨虹(しぐれにじ)でしょうか。 時雨(しぐれ)は、晩秋から初冬にかけての、降ったりやんだりの雨のこと。そんな時雨の際に、太陽の光が雨にあたって屈折、分光することか、虹がみえる現象のことを時雨虹(しぐれにじ)、といいます。 虹は夏の景物とされていますが、この季節の雨の降り方にも夏に似たものがあり、
今朝は日の光もなく、昼にはいよいよ寒さがつまり、日暮れからは、冷たい雨が降っています。冬が来た、と今年はじめて思いました。そんな今日には、高村光太郎の詩を贈ります。 一般的には詩人として知られる光太郎ですが、生い立ちは著名な彫刻家の長男として生まれ、自らも彫刻や絵画に造詣を深めました。ロダンの影響を広めたとされる「手」がよく知られますね。 高村光太郎は冬が好きだったといいます。痛みを伴うような刺さるような寒さを、光太郎は「刃物のような」と書きました。身も削ぐような雪の冷た
よるになったらほしをみる ひるはいろんなひととはなしをする そしてきっといちばんすきなものをみつける みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる だからとおくにいてもさびしくないよ ぼくもういかなきゃなんない 谷川俊太郎 詩「さようなら」より . . 谷川さんに出会えたことで、自分に出会えた人、 その心の数は、星の数よりあることでしょう。 いちばん好きなものを見つけたら、 大切にして、死ぬまで生きる。 たくさんの言葉を たくさんの真実を ありがとうございまし
赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた。 向寒の頃にみる赤い実の美しいこと。晩秋から冬に向けて紅葉が深まるにつれ、木々の梢には真っ赤な実がつき、目を和ませてくれます。きっと小鳥たちも、そばに寄らずにいられなかったのでしょう。 . ということで、今日は街路樹や庭木にもよく見る、赤い実をご紹介しましょう。 ◎クロガネモチ 日の光を浴びて輝く小さな赤い実と、常緑で光沢のある葉とのコントラストが美しい、縁起物とされる花木です。 ◎ハナミズキ 歌で知られるハナミズキは紅葉も美し
楢の葉の朝から散るや豆腐桶 一茶 ハゼ、ナラ、カラマツなど、その名の知られた樹木らも、鮮やかな紅葉に華やいだ後は、あたかも秋の終章を奏でるかのように、静かに散っていく。 そうした晩秋の樹々の紅葉が散りゆく様を「名の木散る」といいます。 真っ赤に染まった紅葉も美しいですが、それほど華やかではないものの、秋の黄葉もしみじみと美しいですね。晩秋のたそがれ時、歓喜とも悲哀とも映る黄葉をながめながら、足元からの乾いた音を味わい歩く。そうすると、深まる秋、始まる冬への思いが押し寄せ
日本の伝統的な行事である七五三(しちごさん)。古い時代の日本では「七つ前の子は神の子」といわれ、ひとは七歳に達してはじめて社会一般から生存権が認められたのだといいます。 似たような故事は「七草(人日)」にもありますが、それほど昔は、子どもたちが生きながらえることが容易ではなかったのでしょう。それゆえ七五三においても、3歳、5歳、7歳と節目のたびに、子どもたちの健やかな成長と健康を願ってきたのだろうと推察します。 そんな七五三の風習ですが、由来は江戸時代に始まった神事とされ
神は記憶を与えて下さった。 それは人生の辛い冬の時期に、 6月のバラを思い描けるようにするためだ。 -ジェームス・バリー 昔から、人はバラの花には「力がある」と信じてきました。たとえば黄色のバラは、自分を「魅力的」に見せてくれる力があり、赤いバラは「やる気と情熱」をもたせてくれる。 また白いバラは「英知と素直さ」を与え、ピンクバラは「優しい心」を届けてくれ、そして太陽のようなオレンジ色は「やり遂げるパワー」を授けてくれると。 その時々の想いを花言葉に託したり、好きな色、
木へんに冬と書いて「柊(ひいらぎ)」。字のとおり、冬にみられる植物です。めだたない花ですが、時期になると香りのよい白い小花をいっぱいにつけ、また零れた花が道路を白く染めるのは、秋のキンモクセイにも似ています。 思い返せば、木へんに四季を書いた字はみな植物をあらわしました。春は椿(つばき)、夏は榎(えのき)、そして秋は木へんに秋で楸(ひさぎ)、それぞれの季節を象徴する樹々ばかりです。 さてそんな冬の柊は、先にも書いたようにモクセイにも似た白い花を咲かせます。その色は見入るほ
冬の花壇を彩るパンジーの花。よくみる園芸品種のパンジーは、19世紀のころにヨーロッパのスミレ愛好家たちが、ワイルド・パンジーを交配させたことから生まれた花といわれます。このワイルドパンジーとは三色スミレのことです。 ワイルド・パンジーは古代より人々の暮らしに根づいており、特に英国では「愛情」を象徴する花として親しまれてきました。文学においても、シェイクスピアの「夏の夜の夢」なかで、パンジーが「ほれ薬」として登場するのは知られるところです。 伝説によると、キューピッドが放っ
立冬を過ぎ、午後にもなれば急かされるように日が落ちるようになりました。いい夕暮れだなと眺めてる間にも空は暗くなり、芝居の浅葱幕のごとく鳴りを潜め、そしてそこからが長い。ひとつすることを見つけても、まだ持て余すほどに、長い。 そんな季節、この夜、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。 夕暮れどきの薄暗くなる時間帯を「たそがれ時」といいますね。この「たそがれ」は「誰そ彼」に由来します。というのもこの時刻は、あわてて「誰だ彼は」と問いたくなるほど、あっという間に日が暮れるから。
百人一首25番の歌。恋しい人に逢えると名のある「逢坂山」、一緒にひと夜を共(さ寝)するという名の「小寝葛(さねかずら)」。 その名の通りであれば、逢坂山の「さねかずら」をたぐり寄せるように、誰にも知られず、あなたを連れ出すすべを、知りたいものです。 そんなふうに詠っています。つる草を手でたぐり寄せるように、人目を忍んでも、恋する人に会いたい。そんな願いを詠んだ歌。 「さねかずら」とは、実(さね)が美しい、つる草(かずら)という意味をもつ秋の植物。秋が深まると、まるで金平
白い小菊は九月の節句(重陽)の頃に花どきを迎え、それから枝茎をのばし、露霜がおかれる頃になると、白さの中に紫を帯びた色が見えてくる。 最初の花は純白だったけれど、霜にあたって色が変わり、今ふたたび花を咲かせている。 秋の菊は美しい。なによりこうして二度も三度も咲いては匂うのは、ありがたく見入るばかりだ。 そんな歌です。秋が深まりどんどん日が詰まると同時に、菊の白色も紫を帯びながら静かに様変わりしてゆきます。とかく菊の白色は、ならではの品がありますが、霜に傷められた姿であ
そろそろ都会も、美しくなる。けれど 人の心は、険しくならずにいたいもの。ですね。 今日もいちりんあなたにどうぞ。 イチョウ 花言葉「美しい変化」 Text フラワーギフト専門店 「Hanaimo」 店主 普段はお祝いやお悔やみに贈る花、ビジネスシーンで贈る花の全国発送をしている、花屋の店主です。 「あなたの想いを花でかたちに」するのが仕事です。since2002 https://www.hanaimo.com/
冬の訪れに合わせて、木枯らしも吹きました。 まるで暦と花と風とが、せえの、と息を合わせたかのような到来。 昨日、サザンカは黙って咲くと書きましたけれど、木枯らしは歩く後ろから、からからと音を鳴らしてついてきます。まだ急かすのか、というくらい、呆れるほどにせっかちです。 その音は、風に舞う落ち葉がすがるように付いてくるからで、こうして木枯らしが吹きわたり、木々の葉を散らし尽くせば、世の中はいよいよ冬の姿になります。 その夜にふく北風は、いつも刺すほどに冷たいばかりで嫌だけ
立冬を迎えました。暦の上では今日から冬。この日を待っていたかのように、富士山の初冠雪も今朝ほど発表されたようです。 11月に入るなり急に寒くなり、夜に家路を急いでいると、ぽかんと白い花が浮かび上がり、みればサザンカの花でした。まさに冬を開ける花です。 色が消え、冷たさが増すこれからの季節において、ひそやかなうちにも華やぎがあるこの花見れば、きっと何度でも、ほっと救わるる思いになることでしょう。 サザンカは「山茶花」と書きますが、本来この字はツバキに充てられた漢名で、サザ