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春は名のみの「早春賦」

春寒、花冷え、三寒四温。春がひらいたとはいえ、まだまだ北風が冷たい。まさに「春は名のみ」のこの頃です。この、春は…の歌いだしで始まる『早春賦』は、長野県の安曇野あたりの早春の景を、歌ったものと言われます。

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

『早春賦』作詞 吉丸一昌 作曲 中田 章

いい詞ですよね。揺蕩うような曲のリズムも美しく、歳を重ねるほど、胸を打たれる調べです。

私は古い文学が好きですが、その理由の一つに、作家方の「自然を観察する目」を感じられる機会が多いから、があります。昔の文学、日本の唱歌、詩などを見ていると、いかに昔の作家先生方が、思考や技巧ばかりでなく、眼は虫の眼で自然を観察し、情緒は鳥の心で羽ばたかせていたかが、手に取るようにわかるのです。

それも現代とは違う、はなはだ原始的な環境の中で、仮に病床に臥してたとしても、植物を傍にして、削れる心身の潤いにしていたと思うと、胸をあたたむ感動を覚えます。

この唱歌は、大正2年に発表されたとありますが、その前の明治時代、日本には、言葉を使って表現する職業のひとつに「文章家」というのがあったといいます。現代も小説家をはじめ、作家、随筆家、コラムニストなど、多様な表現で、肩書を冠する人は多くいますが、「文章家」とはあまり聞きませんし、此方のほうが、より文章への愛着を感じるのですが、どうでしょう。

なんてことを考えたのは今ですが、今朝は、薄曇りの空を見上げ、なんでまた寒くなるか、などと思いながら歩いていて、ふと「春は名のみの」が唇にのりました。

春とはいえ、まだ風は冷たく、
春というから、岸辺の葦は芽吹いたのに、
空をあおげばまた雪だ。
春とさえ聞いていなければ、
そのまま過ごしていたものを、
このさわぐ思い、このはやる思い、
さてどうしたものか。

ね。

ああぴったりだ。って、思ったのでした。
今日もいちりんあなたにどうぞ。

ホトケノザ 花言葉「小さな幸せ」

春とさえ聞いていなければ

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