「信頼」とは。
ここ数か月、
「信頼」とは?
「愛」とは?
の本質的なところを考えることが多かった。
これまで仕事に邁進してきて、自分の野心を爆発させることや目の前のことに必死だった。嫌なことやしんどいことがあっても
「ぜってぇぇぇ負けねぇぇぇ」
って氣持ちでDead or Liveな時間を選択してきた私とって、心の奥深くにある本質や哲学を考えることはなかった。
キッカケは恋愛であったり、働き方を変えたことで仕事の「間」ができたことだった。「間」は自分の成長や自己を深めるには必要な時間なんだと心底感じた。
ただ、何かを頑張ることで自分の心の隙間を埋めてきた人にとって、「間」は少し怖いもののように感じてしまうかもしれない。
不安にもなる。恐れも沢山生まれる。
元々私は哲学が好きで、感覚や感性が鋭いタイプ。
最初は本当に焦ったし苦しかった。
でも時間を作って自然を感じたり、本質を探究する時間は本来の自分に戻ったり、在りたい姿をもう1度見直すには本当に必要な時間だったように思う。
さて、本題の「信頼」についてだ。
「信じて頼る」ということはどういうことだろうか?
私は、こう思う。
「信頼」というと対相手のように感じてしまうかもしれないが、まず土台に必要なのは対自分だ。
自分の良いところだけでなく、悪いところや弱いところ、それも全部含めてAll OKに感じ認めていること。
それが自らを信じる「自信」となる。
これがなければ、こんな自分じゃだめだ…と思ってしまったり、「こんなことも出来ないのか?」と言われそうで怖い…というマインドが働いて人を頼ることはできない。信頼することが難しくなってくる。
また、自分への信頼がなければ、もしトラブルが起こった時、不安になって相手を責めたり怒ったり…目の前に起こっている出来事を在りのままに捉えることも難しく、相手を受容しようとする姿勢がとれなくなってしまう。
自分を信じることが出来ていれば、相手の強みに頼り助けてもらうことが出来、純粋に喜べる、感謝が出来る。
その時相手にとっても悦びなのではないだろうか。頼ってもらえたと。
この循環が、本来の信頼関係があれば生まれていく。
この言葉は自分にも相手にも向けると心地よい言葉だと私は思う。
「〇〇なら信じられる」と条件付きの信頼ではなく、
その人そのものを在りのままに認める事、そもそも自分を在りのままに認める事。
そこで生まれる関係性が「信頼」なのではないだろうか。
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