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心中天網島、道行の道のりを辿る。大阪が水都である理由はなんだ?【近松門左衛門】

道行とは


世話物の道行

近松門左衛門作「心中天網島」、主人公の治兵衛と小春が心中に向かう場面は「道行」といって、全編に渡って節付けのされている文章を語ります。

曽根崎心中の「天神森の段」も同様で、心中に向かう場面で普通の芝居の形式では陰鬱になりかねないところを、地の文章も台詞もほとんどに節をつけて、かつ大勢で語り、死にに行く場面でありながら美しく聴いていただく仕組みになっています。

世話物の道行はこのように死が直結している場面であることも多いのですが、時代物になるとまた別です。

時代物の道行

時代物の道行の多くは、芝居中のヒロインであったり、その場面の主役であったりする人たちが目的のために大事な人のもとへ県(国)を越えて旅をする様子が描かれます。

これらの道行は、世話物の道行に比べると非常に派手で華やかな節がついていることが多いです。


ただ、どの道行にも共通して言えることとして、土地描写が非常に巧みに組み入れられているということがあげられます。


道行名残の橋づくしの道のり


心中天網島の道行は「道行名残の橋づくし」という名前がついています。

舞台となる場所は現在の大阪の大阪駅から少し南下した場所である「中之島」近辺です。



現在でも大阪のこの辺りは「水都」と呼ばれることがありますが、その水都である由縁がこの中之島にあります。

治兵衛と小春がたどった道のりを地図で見ていきましょう。







ブログでは現在上演中の文章で解説をしていますが、こちらではより詳しく原文の文章で解説をします。


原文から辿る道行名残の橋づくし


曽根崎新地を発つ

〽︎恋情け。

ここを瀬にせん、蜆川流るゝ水も行き通ふ。

大和屋の段

蜆川は埋め立てられましたが、現在は蜆川跡が残っています。

この蜆川を間に挟んで、曽根崎新地と堂島新地がありました。

心中天網島は史実の芝居化ですが、心中に向かう出発点の大和屋の場所は明らかではありません。

この蜆川「蜆橋」を起点に見ていきます。

走り書き。
謡の本は近衛流。

浄瑠璃のはじめの文章は前の段の終わりの文章を受けて始まります。

前段「大和屋の段」の最後は

心の早瀬蜆川流るゝ月に逆らひて足をはかりに

大和屋の段

となっていて、道行の冒頭「走り書き」に繋がります。

足をはかりに走る

の「走る」を謡本の書体である「走り書き」にかけています。

野郎帽子は若紫、悪所狂いの身の果てはかくなり行くと定まりし。

釈迦の教えもあることか


見たし憂き身の因果経、明日は地上の言種に、紙屋治兵衛が心中と徒名散り行く桜木に、根掘り葉掘りを絵草紙の版刷る紙のその中に有りとも知らぬ死神に、誘われ行くも商売に疎き報いと観念も、とすれば心引かされて、歩み悩むぞ道理なる。

太字部分が現在も上演している箇所です。

治兵衛の色里狂いの果ての心中を、明日にはもう絵草紙で根掘り葉掘り書かれ、桜が散るように世間に広まるのだろう、という文章です。


ころは十月、十五夜の月にも見へぬ身の上は心の闇の印かや。
今置く霜は明日消ゆるはかなきたとえのそれよりも先へ消え行く閨の内、いとしかわいと締めて寝し、移り香も何と流れの蜆川西に見て朝夕渡る、この橋の天神橋はその昔、菅丞相と申せし時筑紫へ流され給ひしに、君を慕ひて太宰府へたった一飛び梅田橋。あと追い松の緑橋。別れを歎き悲しみて、あとに焦がるゝ桜橋。

蜆川を西に見て、ということはこの時点で治兵衛たちは蜆川より東にいます。

天神橋です。


天神さまといえば菅原道真「菅丞相」。
菅丞相に所縁の深い三つ子のうち、太宰府へ菅丞相を追った梅王丸に掛けて「梅田橋」、松王丸に掛けて「緑橋」、桜丸に掛けて「桜橋」。


今に咄を聞き渡る、一首の歌の御威徳、かかる尊き荒神の氏子と生まれし身を持ちて、そなたも殺し我も死ぬ。
元はと問えば分別のあのいたいけな貝殻に一杯もなき蜆橋。短きものは我々がこの世の住居、秋の日よ。
十九と二十八年の今日の今宵を限りにて
二人いのちの捨て所。ぢいとばゞとの末までもまめで添わんと契りしに丸三年も馴染まいで。
この災難に大江橋、あれ見や難波小橋から舟入橋の浜伝ひ、これまで来れば来るほどは冥途の道が近づくと歎けば女も縋り寄り


天神橋までの道のりを振り返ります。

蜆川にかかる蜆橋。

この災難に「逢う」と大江橋の「おう(読み音)」を掛けています。

難波小橋から舟入橋。

進めば進むほどに冥途の道が近づいてきています。

もうこの道が冥途かと見交わす顔も見えぬ程、落つる涙に堀川の橋も水にや浸るらん


涙で視界がにじむほどになっています。

その涙は堀川橋が水に浸るほどです。


天神橋から我が家に背を向けて

北へ歩めば我が宿を一目に見るも見返らず、子供の行方女房の哀れも胸に押し包み、
南へ渡る橋柱、数も限らぬ家々をいかに名付けて八軒屋、誰と伏見の下り舟着かぬ内にと道急ぐ。
この世を捨てて行く身には聞くも恐ろし天満橋

ここから、天神橋にいる治兵衛と小春の現在に戻ります。

天神橋から北へ行くと治兵衛の家があります。
そちらへ見返ることをせず、二人は南へと天神橋を渡りました。

天神橋と天満橋の間は舟の発着場で八軒屋と呼ばれていました。

淀川(大川)は伏見と繋がっていて、京から下ってくる舟があります。

舟が来ないうちに、つまり夜が明けないうちに、と急いでその場を離れました。


そして天満橋。

命を絶とうとしている二人にとって「天満」という響きは「天魔」と思えてしまう恐ろしい響きです。

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