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無愛想な人を考える

すっげー無愛想なやつっているよね。
あまーに頭にくることもあるけど、今日ふと、あの人たちは何をもって無愛想という表現を選んだのかを自分なりに考えてみた。

超勝手な妄想です。

誰からも受け入れてもらえないと思ってる?

こちらから挨拶や会釈しても、無反応だったり、無視だったりを当たり前に繰り返す人は、自分が挨拶をしても、どーせ受け入れてもらえないと思ってるんじゃないかな?
自分の位置を下げすぎているのか、挨拶を自分なんかにしてもらっても得しないです。っておもってるんかな?

そもそも笑顔の時っていつよ?

そんなに仕事がつまらなかったら、さっさと転職でもなんでもして、毎日笑顔で過ごせる日々を手に入れればいいのに、その変化を受け入れる勇気がない。覚悟がないと思う。ただ時間を使っているだけのつまらない毎日なんだろうね。もしくは仕事ではつまらないけど、プライベートは楽しいってのもあるかもしれん。だけど、充実はしてねーだろうね。充実してたら、そんな顔にはならん。

自分を信じてる?

自分を認めてる?笑顔の自分好き?だれかから認められる人になりたい?変化を受け入れたい?君はどーなりたい?君は、君を信じていないでしょ?他人と関わるのがめんどくさいなら、無愛想を選択するのが一番楽だからね。だれでもできるし。

という感じで、無愛想な人間の中身を、自分勝手に想像しました。もう二度と書きません。関わりません。関係ないからね。だけど、少しはスルーできるようになるでしょう。

ぼくは愛想よく、明るく生きるから、関係ない。

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