悔しい
鬱で休み始めてそろそろ2か月がたつ。
※下記参照
休み始めた当初は「やっと解放された」「最高じゃん」という気持ちが強かった。友達と飲みの場ではそれをネタにしたりしていた。
実際3か月間の休みというのはこれまでの人生で1番長い休暇だし、その間は気ままに過ごせていて、「お金さえあればこれこそが人間の正しい生き方なのではないか?」と感じている時期もあった。
病院では定期的に医者先生に話を聞いてもらい、薬も処方されているのでそれを飲み、最近は鬱々とした気持ちになることもあまりなくなった。そのような精神的な回復が少しずつ進むにつれて、僕の中である気持ちが生まれるようになった。
「働きたい」
「なんで鬱なんかになってしまったんだ、悔しい」
最近他人と仕事の話をする頻度が増えてきていたことがきっかけだったと思う。他人と話していて、その人が話している内容について、同意にせよ反論にせよ意見が湧いてくる。これは休んだ当初ではありえなかったことだ。
「もう俺大丈夫なんじゃないか、俺もこいつらと対等な立ち位置で話に参加したい」、そんな気持ちがきっかけだったはずだ。
また、結局仕事の話になると休む以前の話しかできないので、それを話す中で自分なりに過去に思いを馳せることになる。そうしていると、自分が現場でそこそこ中心になりつつあったことに気付く。元いたチームで自分が主担当となって進めていたプロジェクトは5つ、それとは別で3つほど小規模プロジェクトを完走していた。他部署から問い合わせが来る時の第一連絡先は僕になっていたし、外部からの連絡も僕の方に来るようになっていた。
「なんでそんな中で離脱してしまったんだ」
自分が今まで積み上げてきたものがこの3ヶ月で全て崩壊するような気持ちさえしている。きっと復職したら部署のみんなは優しく迎えてくれるだろう。だがその優しさがきっと鈍器のように自分の精神を痛みつけるんだろう。僕は他人から見下されるのが嫌いだ。常に対等以上の関係でありたい。そのためには力が必要だ。その力を蓄えはじめた段階で鬱になってしまったのは本当に悔しい。
上のような話を両親や大学の時の先輩に話した。
彼らは「焦らなくてもいいよ」と言ってくれた。たぶん本心から、僕を気遣ってではなく本当にそう思っているから言ってくれている。とてもありがたいです。
きっと今の僕の心はナイフのように尖っているんだと思う。一度折れてぼろぼろになった切先が、研がれてナイフのようになっている。ナイフは刺すにも切るにも強力なツールだが、自分さえも傷つける。「悔しい」という気持ちがそれなんだと思う。
「悔しさ」は時として自分を飛躍させるバネとなりうるが、飛躍が許されない場所ではただやるせなさが残るだけだ。
ここまでつらつらと書いてきたが、今の僕には医者からのOKサインを休みながら待つしかできないので、この悔しさとも真摯に向き合い大人しく時が満ちるのを待とうと思う。この悔しさを心のどこかで溜めておいて、復職したら爆発させてやろう。
カイジくんもハンチョウからいびられる悔しさに耐えて、地下チンチロで大勝利を収めたのだから。
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