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就活に本腰入れなかったら、入退院繰り返した話

バイトに一生懸命はよかったんだけどさ、
少しカラダはいっぱいいっぱいだったみたいなのね。

いまなら、あーきっと強制的に軌道修正されたんだなぁとか良いように捉えられるんだけど。

就職活動中はバイト少なくしたりする子が多い中、決まってもないのに夏休みに他のバイトも掛け持ちしたり。
(言い訳だけど)やりたいことなんて決まってなかったんだよね。20歳そこそこで今後の人生かけて仕事探しましょうっていうような感じがそもそも私には合わなかったんだと思う。

大学4回生の夏休み。
私は倒れたのよ。

両親が結婚25周年で、ハワイ旅行に行く前日だった。私はおばあちゃんが家に一人になるのは心配だからっていうので実家に帰ってきてたの。
ソファに寝転がってたら痙攣起こして、そのまま入院。

両親のハワイ旅行は前日キャンセルだったんだろうな…前日にキャンセルする人とかいるのかな?なんて思うことあったけど、こうやっているんだよね。

私はそのまま1週間くらいICUに入ってたらしい。

その間は何度も痙攣・発作を繰り返したらしくて、、私はそれがあったことでその年の前半のことはあまり覚えてないんだよね。記憶がぶっ飛んだみたいで、いつも待ち合わせしてた場所がわからなくなったり、なんかとりあえずね、脳の中で色々起こったんだなぁと思う。

最初の状態が悪かったらしくて、両親は病院の先生に「起きたとしても、普通に生活できるかわかりません」て言われたらしい。

なんだけど、
奇跡的に私はフッと戻ったの。
直前にすごく関西に戻りたいと思っていたような、そんな夢をみてたような気がする。
覚えているのは戻った日のことで、起きて(いろんな管がついてた気がするけど)運ばれてきたご飯を自分で食べているところにお母さんが(それまでと同じように同じ時間に)お見舞いに来てくれて、そんな私にびっくりしてたこと。トイレに行くのも心配されて、何かあったら外から入っていけるように鍵はかけないでと言われたこと。

このときのことを思い出すといろいろあって、悲しくなったり胸がきゅーってなって泣けてきたりする。両親に申し訳ないことしたなと思うけど、それと同時に愛だなって思うことや、看護師さんたちが優しかったこと。大学の友達のサポート。

バイト先の子と文通…この頃たぶん携帯はあって簡単なメッセージは送れたと思うんだけど、昔から手紙は好きだった。お母さんが郵便屋さんみたいに持ってきてくれて、私も返事を書いたり、看護師さんたちにも書いたり。

書けばキリがないんだけど。
いろんなことに、嫌いだと言った先生に対しても、今では
感謝しても仕切れない。

・・・・・・・・・・・

こうして振り返るとあのとき普通の生活に戻れなかったら?と思うと
この道を生きろと言われていたのかなと思う。

私は新卒で就職せず、できず、、、自分がどれだけ就活してたのかも全く思い出せず、手帳をみても思い出せない状態。夏休み後に、いくつか知らないとこから電話があったけど、間違え電話だと思って断ったりしたのは覚えてる。(もしかしたら、どっかの会社から次の段階への案内だったりしたかも知れないけど、そのときはホントにわからなかったし今もわからない)
そんなだったから
関西が大好きだったのに、大学卒業後は実家に引き戻されるのです。

ただ、過ぎたから思うことが出来るけれど、この一件がなければ今の私はいないよなっていう気はすごくする。そのままなんとなく内定もらった会社に入って、なんとなく仕事もできちゃうだろうし、なんとなく過ごすこともできたけど、私はそっちではなかったんだな。


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