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私は自分の、そして誰かのリソースに光を当て続けながら生きていく

Co-Activeコーチングでは、コーチングをするときに4つの礎の上に立ちコーチングをする。

その中の1つで、私にとって特に大事なものはNCRWだ。
アルファベットを羅列されただけでは何のことか分からないと思うが、これは
People are Naturally Creative, Resourceful, and Whole.の頭文字をとった言葉だ。
意味は「人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けることのない存在である」

乱暴な言い方をすると私たちは幼い頃から受けてきた教育の中で「私は何かが足りない、だからそれを補わなければならない」
とか、「だからより良い自分となるために、もっと努力しなければならない」といったような価値観を植え付けられてきたように思う。

これによって「努力はすばらしい」とか「よりよく、より効率よくできるようになろう」あるいは「もっと成長していこう」とか、当たり前のようにそう思ってきたし、それが前に進もうとする自分の原動力にもなっていたように思う。

でも、このNCRWという礎に出会ってから私は、「より良い自分であろう、成長しよう」というのは1つの価値観であって、絶対的なものではないと思うようになった。
決して「成長しなくていい、ありのままの自分でいい、オンリーワンでいればいい」ということではなくて、成長を前提とする世界だけに自分は生きている訳ではない、ということに気づいたということだ。

NCRWの礎の上でクライアントと関わることで、「この人には何が足りないんだろう」「この人の課題は何だろう」という目線ではなく、「この人はもう既にこの人自身である」ということが分かるようになった。
もうすでに、十分色々なリソースを持っているこの人が、本当に願っていることは何だろう?本当に在りたいと思っている自分はどんな姿なんだろう?そんなことに好奇心をむけながら話を聴いていくと、本当に色々なものが聞こえてくる。

「1on1をしていて相手との話題に困る」というマネージャーの悩みを聞くことがあるが、私は全く分からない。
NCRWに立てば、いくらでも聞きたいことは出てくるし、1つの質問に対して帰ってくる言葉からまた広げて質問していくことができる。

人は尽きない広がりをもっている。
その人がもっているリソースは尽きない。
幅も、奥深さも、尽きることがない。掘り起こそうと思えば、いろんなリソースが宝物のように見つけることができる。

結果、私とクライアントさんの付き合いは長くなり、2年、3年、ずっと定期的にセッションをしている方もいる。

そんな私が最近、仕事でとある壁にぶち当たった。
それは、その仕事での業務と自分のNCRWが相容れない、といったようなことだった。
詳細はぼやかすけれど、兼業で関わっている人材紹介事業のキャリアコンサルタントとしての自分がNCRWで求職者さんと関わっているにもかかわらず、人材紹介というビジネスはどこまでいっても一定のラインで人材を悪い意味で「商品」のように見て判断しなければいけないということに自分の中で消化不良を起こしていた。

私はその求職者さんの可能性を信じていた。
その可能性を広げる選択を提示したかった。
そういう機会を、作ることに関わりたかった。
でも、事業上の判断で出来なかった。
出来ないという事実を自分の中で飲みこむ必要があった。
飲みこんだうえで求職者さんにその事実を伝えなければいけなかった。
でも、私は消化不良を起こしていた。
頭では分かっているし受け入れているけれど、全く腹落ち出来ないという感じだった。

そんなことをテーマに短いコーチングのセッションを受けた。

そのセッションを受けて気づいたのは、「あぁ、私はもう既に自分の人生をNCRWの上に乗って生きているんだろうな」ということだった。
それだけ、NCRWは私にとって大きな大きな価値観になっていたんだな、ということだ。
シンプルにそれだけ。

それに気づいてみると、NCRWに乗って人生を生きている自分って、素敵じゃない?と思える。
人の可能性を信じて、人をリソースにあふれる存在と認めて、そこに好奇心を向けて、人の話を聴ける私。
自分のリソースと、相手のリソースを掛け合わせて何が出来るんだろう?と、仕事を作りながら生きている私。
そんな私で、今、生きているなぁ。
そう思えた。

それって、私が在りたいと願っていた自分であり、生きたいと思っていた未来を私は生きているということでもある。

そんなことに気づかせてくれた今日のコーチに感謝。
今日の機会に感謝。その機会に送り出してくれた家族に感謝。

私はこれからも、自分の色々なリソースに気づいていくし、そのリソースを使って、クライアントのリソースに光を当てていきたい。

それは、コーチングだけでなく、出会う人それぞれのリソースに光を当てて、その光から一緒に何かを生み出していきたい、ということでもある。

2024年もあと少しで終わる。私は私で生きてこれた2024年だったなとも思うし、2025年も、私は私で生きていきたい。

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