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私が富士登山をリベンジした意味Part2

富士登山一週間前まで九十九里のペンションにて短期アルバイトをしていた私の体は、ほんの少しだけ絞られ動きやすい状態になっていました。


これなら、きっと大丈夫だ。数年前に参加した山伏修行での経験もきっと生かされるはずだ。


ほんの少しの不安と大きな自信、そして全ては自然にゆだねる柔らかな心持ちも大切に当日を迎えました。

新宿にて大型バスに乗り、富士五合目スバルラインへと出発。席の隣に座る女性、私と同じく一人参加の方だと感じて話しかけようと悩んでいると、イヤホンで音楽を聞き始めたので断念。

反対側の席には黒い服を身に纏った、どう見ても登山に行くようには見えないカップル。きっと登山グッツはレンタルするのだろう。


前方には、学生さんらしき若い男性のグループ、夫婦、親子、友達同士、色んな参加者のエネルギーが混ざり合う。

霧の中に包まれた富士五合目スバルライン、準備をして集合場所で、登山ガイドさんより体温検査、荷物チェックを受けます。

なぜ荷物チェックなのか?登山ガイドさんが何度も何度も言います。


「必要最低限のもの以外は、置いていって荷物はできるだけ軽くして下さい。荷物が重いと、高山病になりやすいです。」


私はドリンクだけ減らして列に並び、いよいよ登山開始です。

歩き方や服装での体温調節、呼吸に至るまで一つ一つ丁寧に歩きながら教えてくれるガイドさんに耳を傾けながら霧の中を歩くと、あっという間に六合目に到着。


休憩時には、「トイレはできるだけ行ってください!水分と、行動食も取れる方は、取って下さいね!この行動食は、三、四時間後にエネルギーとなりますから!肩と首をよく回して下さい!」

ガイドさんの言葉に私も、ドライフルーツのレモンが美味しくて2個食べましたが、2個目に喉の詰まりを感じて少し嫌な予感・・・小休憩を挟みながら七合目に進みます。

案の定、七合目に入ると休憩時には行動食すら取ることができなくなりました。食べ物が入っていかない・・・


周りを見ると、山小屋で美味しいと言われるクリームパンを食べている人や、お菓子を食べている人も。


七合目から八合目に向う毎に気持ち悪さが増加しては、十数年前の富士登山が思い出され気持ちも弱まりはじめてたその時、


隠れていた太陽がわずかに顔を出して、神々しい光が差し込みました。

「気持ちを強く持ちなさい。」


強い太陽のエネルギーに、そんなメッセージを感じては、(「あぁ、ここから先は気持ちを強く持たないと登れないんだ。」)と気付きが起こりました。


飲み物も食べ物も受け付けないほど気持ち悪くなり、登る毎に体力が奪われては、呼吸が苦しくなりフラフラする高山病に、どんどん弱まっていく心、

気持ちだけ負けちゃいけない、気持ちを強く持とう!できる!できる!絶対に登れる!私ならできる!


自分を鼓舞しながら登るもキツくなるとフラ〜っとする意識の中、

(「あれ?どうして私、こんなキツイ登山してるんだろう?なんで登ってるんだろう?


富士山は見るものだよ〜って言ってた夫の言葉、本当その道理だなぁ〜、なんで来ちゃったんだろう・・、

いやいや、違う違う、今回はリベンジをしに来たんだ!自分で決めてきたんだから!登る!絶対に登る!負けない、自分に負けない。」)

揺れながらも気持ちを強く持ち、いよいよ八合目に突入し標高3000メートルも超えていきます。

富士山というもの凄いパワーのあるお山、火山活動が活発だった大昔は、遥拝といって遠くから拝む山でもあり、


後に修験道の方の修行者が登るようになり、講から登山客まで、時を経て賑わうようになったそうです。女人禁制が解かれたのは明治となってから。

神様そのものとして崇められてきたお山、富士山という日本を代表するような神々しいお山、登ってはいけない領域というものも感じながら、そんな空間だからこそ、


小さな小さな私は、精神的にも肉体的にも容赦なく丸裸になり、自分の弱いところを目の当たりにする事になりました。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。Part3に続きます。







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