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卒業不可"だった"話

3/13の正午近くに再試レポートを提出してからの25時間、本当に落ち着かなかった。何をしていたかよく覚えていない。でも原稿は久々に書いた。反省はいかそう。


明日になれば、全てが確定する。

ちょっと自信がある、あのレポートの評価は。
私は6年で大学を卒業できるか。
内定先に就職できるか。
引っ越しできるか。
東京に住めるか。

それより何より、自分の周りの人たちに、報いることができるか。

明日の発表が覆ることは、今度こそ2度とない。

3/14の13時をジリジリ待つのが嫌だったので、前日の夜は空が白むまで起きていた。そうやって、3/14は13時過ぎに起きようと思ったのだが、まあ失敗した。
パッと目が覚めて時計を見たら、まだ10時じゃないの。しくった。
ついに来てしまったな。3/14。

YouTube見たりドラマを見たり、ピアノ弾いたり掃除したりしてその時を待ったけど、ああいう時の時間の進みって異常に遅いのよね。

12時過ぎにとうとう我慢ならなくなって、大学ウェブサイトのお知らせ一覧を見てみた。流石にまだ出てないよな。


いや、あった。

【重要】再試験合否について(個別連絡)

うわあ。

うわあ……。

もう逃げ出そうかと思った。

もちろん再試レポートは上手く書けたと思っている。
でも、卒業できるだろうという自信を一回裏切られている以上、最悪の結果を想像する方が簡単だった。

これを見なければ、私はずーっと幸せでいられる。

一旦旅に出ようか。

電波が届かない山奥とか。

陸から離れた海の上とか。

インドとか行きてえな。

インドってWi-Fi飛んでるんかな。

パソコンとスマホを庭に埋めればいいのかな。

……?

私は何を言っとるんだ。
見なさいよ。

恐る恐るそれを開いて、じわじわと文章に目を通した。

【重要】再試験合否について(個別連絡)

法学部再試験合否について、発表いたします。

このお知らせが届いた方は、再試験合格です。

今年度3月の卒業者になりました。




ほえ


力が抜けて変な声が出た。
嬉しさとか達成感とか全て通り越して、やっと終わったと思った。
長くて不安だった、このどっちつかずの日々。
ごはんが食べられなくなり、眠りたくても眠れず、確実に寿命が縮まった日々。
もう全部終わった。
望む形で終わった。

安心しすぎて、パソコンを開いたままその場で寝落ちした。




1時間くらい経ってのそのそ起きて、卒業できていることをもう一回確認してから、色んな人に連絡をした。

Mさん、卒業できたよ。
母、もう大丈夫だよ。
君はさ、カメラ持って卒業式来てよ。
卒業証書のバインダー、やっぱり借りなくて済むらしい。
君はもう、十字架下ろしてくれ。
そのほかにも沢山の人たちに。

さあ、あとは教務課の人だ。
あの人には絶対に、ちゃんとお礼をしなくては。
教務課に電話した。その人に取り次いでもらうときに用件を聞かれた。
お礼をしたくて、と言うと、電話の向こうの人が意外そうだった。
そうね、普通そんな用件で電話かかってこないですよね。

教務課の人に心からお礼を言った。
私が卒業するために頭を捻ってくれたこと、想定されていない手続きを錬成してくれたこと、組織である大学で、難しかったろうに前例がない仕事をしてくれたこと、爆速で日程調整をしてくれたこと、教授と私の間の、全ての仲介をしてくれたこと。
神か仏か教務課か、ほどの勢いでお礼を言う私に、教務課の人はこう言う。
「全部中西さんの実力ですから。
想定はされていなかったけど、存在はする手続きだったので。
だから全部、中西さんが努力したということです」
あんまり騒ぎすぎるなってことですね!と言ったら笑っていた。


さあ。卒業式である。

私の大学同期は私の知る限りみんな卒業してしまったし、リモートで受講していたゆえ新しい友達もできなかったので、卒業式は確定でぼっちである。

寂しすぎるので長野から友達に着いてきてもらって、卒業式当日を含めた3日間、朝から晩までずっと一緒に居た。
彼女の仕事はフォトグラファーとイラストレーター。
写真を撮っても絵を描いても、その全部のセンスが良い。私はこの子が撮る写真の構図と、レタッチの色合いと、瞬間の切り取り方が好き。絵のことは不勉強でよくわからないけど、線が柔らかくて色遣いが綺麗。
そして何より、本人が最高にナイスキャラで、めちゃくちゃにかわいいのである。
私のタイプの女です。お仕事のご依頼はこちらから。

卒業式、会場は大学のチャペルで、讃美歌から始まる。脳内は一瞬でクリスマスである。
私自身のキリスト教の解像度は、授業で新約旧約を読んだ覚えがある程度なのだが、うちの大学はプロテスタントなので式典は全部こういう感じである。
色んな人が登壇して色んな話をして、色んな発表があった。
成績優秀者発表があったので、成績劣等者の発表がもしあったら絶対呼ばれるな、と思いながら聞いた。
まあ今期だけはフル単ですけどね。お情けだけどね。
大学の牧師さんが卒業生の前途を祝してお祈りをして、卒業式が終わった。

次は卒業証書授与式。
自分の名前が入った卒業証書をもらって、なんだか不思議な気持ちになった。
今まで生きてきて公的に名乗った肩書きは、学生かせいぜい未就学児。
だのに自分のアイデンティティの一部ですらあった学生という肩書きが、この厚紙1枚と引き換えに失われる。
不思議なこともあるものだ。


授与式では、見知った顔の教授たちが思い思いにはなむけの言葉を述べていく。

物権法の教授は、
「不動産を購入したら必ず登記をするように」
と言っていた。確かに物権の授業に登場した有名判例は、全体的に不動産取得の段階で登記を具備していれば揉めなくて済んだ話である。
民事法の教授は、
「今や夫婦の3組に1組が離婚しています。財産分与で揉めないように準備をしておきましょう」
と言っていた。この教授はハレの日に何を言っとるんだ。楽しい。
刑事訴訟法の教授は、
「刑事訴訟法で学んだことが役に立つのは、皆さんが警察官になった時か、あるいは捕まった時です。捕まって拘置所に入ったら、自分がこれからどうなるのか、刑事訴訟法の授業を思い出してください。思い出せなかったら、当番弁護士を呼べと言いましょう」
と言っていた。この教授はハレの日に何を言っとるんだ、パート2。

笑いながら、よかったと思った。
教授たちの話がわかって、しかもそれが面白いと思えて、よかったと思った。
最後の半年、好きでもない法律を必死に勉強した経験がなかったら、この法律トークを理解することもできなかったと思う。
たぶん私は、あの瞬間のために法学部を出たのだと思う。今のところ。

再試レポートを書いた租税法、その教授は授与式にいなかったので、教授の研究室を訪ねた。教授にもお礼を言いたかった。
象牙の塔ってこれかあ、と思うような、行ったこともない大学校舎の遥か上のフロアに、その教授の研究室はあった。
ノーアポだったが教授室に招き入れてもらうと、教授室っぽい感じのスチールの本棚と、私より背が高い木彫りのキリンがそびえ立っているのが見えた。なんだこれ。ちょっと欲しい。
名前を名乗ると
「ああ、あの再試の」
と言われた。
成績変更も再試の出題も採点も、お手数おかけしました。教授のおかげで卒業できます。と伝えると、
「いやあ、リモートだっての忘れててねえ。ごめんねえ」
と言われた。あっ。
いざ謝られるとびっくりするもんだな。
こちらこそすみません、とかなんとか言いながら、大感謝して教授室を後にした。

教務課の人にも面と向かってお礼を言いにいった。
聞けばこの大学、しかも同じ学部学科のOBだという。
本当にお世話になりました。
いよいよこの大学には感謝せねばなるまい。

式という式、お礼というお礼が終わってから、私の友達もとい推しのフォトグラファーに、写真を撮ってもらった。
せっかくだから見せちゃう。


照れちゃう。

そしてこの卒業証書には、私の名前が入っています。みてみて


調子に乗りました。

そうだ、大学入学当初は恥ずかしくて自分の大学名を伏せていましたが、ここです。
流石にもう公然の秘密か。

これで全部。
これが全部。
これが、私の大学卒業までの一部始終。

この話には、かなり多くの人たちに登場してもらった。
ここには書ききれなかったけれども助けてくれた人や、応援してくれた人、心の支えになってくれた人も、本当に沢山います。
どうもありがとうございました。
そして今これを読んでいる人たちにも、思いつく限りの感謝の言葉を。

あとそれから、謝らないといけないことがあります。
『卒業不可だった話』というタイトル、よく考えたら釣りだよね。
そんなことには気もつかずにアップして、初日の更新後に「中西大丈夫か!?」という連絡がえらい来たのでビビってしまいました。
本当にすみません。
連絡せずとも心配してくれた人も、ありがとうございます。
中西卒業不可であれ!って思った人もいるよね。なんかごめん。

中西は、中西に関わってくれた人々の善意で生かされているなあ、と、大真面目に思っています。
今後自分がどれだけ歳をとっても、間違えて偉くなっちゃったりしても、なんかこういうのを忘れないで生きていけたらいいな、とか思うな。
急に決意を固めてしまった。

締め方がわからなくなってきた。

まだ20時ですが中西は眠いです。
一人暮らしリスタートしたてで、毎日3千字以上書きながら会社行って入社式出て新人研修受けるのは、狂っています。2度とやらねえ。
碌に練れていない乱筆乱文長文失礼しました。
読んでくれてありがとうございました。

ちょっと休んでからおまけを出そうかな。
中西がいま結局何してんのか、みたいな話を少しだけ。
生活圏明かすから遊べよな。

それじゃ、どうもありがとうございました。
おやすみなさい。

(photo by tsuchiya mugiho)

『卒業不可だった話』

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