大事なものなどない世界
『自己肯定感』って何なんだろうな、と思う。
自分はそのままでいいと思えること。だれに何と言われても関係ない。自分は自分。
そのとき『他者』は必要なんだろうかと思う。ありのままの自分が良くて、それをだれかに認められても、認めてもらえなくても、どちらでも構わないとき、それが自己肯定感がある状態なのなら、そのときそこに、他者は存在してるのだろうか。
自己肯定感を持つには、まず人と比べないことが大事だと良く聞く。
このあいだ聞いていたラジオで、「人気者だということは、自己肯定感とは結び付かないよ」とある歌手の方が話していて。人気があることで自分を認められるのなら、その”人気”がなくなったとき、自分を認めることが出来なくなってしまうからだと。なるほどなと思った。
だから人の反応など関係ないところに、自己肯定感は存在するのだと思う。
私の自己肯定感が高いとき、「自分は自分でいいよ」と思えるときは、大抵一人でいるときであることが多い。あるいは普段の生活とまったく関係のない人々に混じっているときとか。
最近、カフェのモーニングを食べに朝早く一人で出かけることが多いのだけど、そういうとき、人が少なくて、知っている人がだれもいないカフェで、ゆったりとした音楽を聞きながらコーヒーなどを飲んでいると、本当にとても、空気が澄んで見える。そして「私は今のままでいい」「そして自分次第でこれからをもっと良く出来るはずだ」って思えるし、今日までを歩いてきた自分をすごく頑張ったなと、自然と肯定出来る。
そんなときの自分がすごく好きだし、そんなときの自分はすごく心地いい。
それと同時に、そんなときの自分はとても孤独で、とても広くて、とても光に満ちていて、その光の始まりはとても遠い。
つまり自己肯定感が高いときというのは、他者がどこまでも他者であるときだという気がする。
だから私はとびきり一人なのだ。
一人の私は、自分をだれかと比べる必要などない。私は私でいることで、あとはどんどん澄んでいくだけ。
思うのは、もしも自己肯定感に100%という状態があるのだとしたら、それは大事なものなど何もない状態なのかもしれない。うまく言葉に出来ないけれど、私が私でいれば、大事なものを大事にする必要もなく、もはや自分に『大事なもの』がある必要すらないのだろうと思う。
でもね。でも。
私はそれは、なんかどうしようもなく寂しいなと思うのだ。
他人と比べなくて良くて、大事なものを大事にしたりしなくて良くて、私はどこまでも私で、誇り高く生きていけてすごくすごく素敵だ、憧れる、けど、大事なものを大事にして、あがいて、人と比べて擦り切れて、自己肯定感なんて低くても、そのあとに残る、削って削られたダイアモンドみたいなもの。どちらも紛れもなく自分だという気がする。
どっちの自分も、私だし、どっちがいいかなんて選べないなぁと思う。
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