オーブン
「クッキー作ったことある?」
「ない」
「えーっ!ないの?じゃあ一緒に作ろう」
バターを溶かす、グラニュー糖を混ぜる。
ジャミジャミした砂糖がだんだんと滑らかに馴染んでいく
小麦粉とベーキングパウダーをふるい入れる。
粉が煙のように少し舞い上がる
卵を割る、慎重に黄身だけを取り出し、生地に混ぜる。
薄い黄色をした生地が、少しずつまとまっていく
花形に型を抜く
「楽しい?」
「うん」
Jの視線と神経が手元に注がれているのがわかる。
型を抜いて残った生地を丸めて、伸ばして、もう一度型を抜く。
体温でバターが溶け、生地が柔らかくなる。
表面がつやつやと輝く
手のひらまでおいしそうだ。
刷毛で卵黄を塗り、粗塩を散らす。
余熱が終わったオーブンはもういい香りがするのはどうしてだろう。
オーブンに入れる。
「どうなるか楽しみだね」
「早く食べたいね」
オーブンの窓から中をのぞきこむ。
ブォーという穏やかな音
庫内を照らす光は窓から漏れる灯りみたいだ。
柔らかくて、きらきらにじんでいて、
中が見えるけど、見えない。
胸が高鳴る。
近づけた顔があたたかい。
昔のことを思い出した。
小学生のころ、バレンタインに手作りのお菓子を友達同士で交換する”友チョコ”が流行ってた。男の子なんかそっちのけで、クラスの女の子全員分のお菓子を作った。
お母さんは片付けが面倒だという理由で、わたしたちがオーブンを使うのをすごく嫌がった。だけどどうしても作りたくて、なんとか頼み込んだり怒られたりしながら使わせてもらった。
家じゅうがクッキーやマフィンが焼ける甘い香りでいっぱいになる。
そしてこうやってオーブンをのぞきこむ時間が好きだった。
焼けてるかな?
焦げてないかな?
ふくらんでるかな?
おいしくできるかな?
待ち遠しくて、オーブンの前から離れられなかった。
オーブンを置いたカウンターに両肘をついて中を見つめていた。
カウンターの木目の感触まで覚えている。
たぶん、目をきらきらと輝かせながらそこにいた。
クッキーを冷ましている間、Jは昼寝をした。
完成の喜びを一緒に味わいたくて味見は我慢した。
すると今度はわたしが寝てしまって、起きたらJがニコニコ顔でクッキーを食べようとしていた。
「あーっ、一緒に食べようと思ってたのに」
「じゃあ一口あげる」
甘くて、ちょっぴりしょっぱくて、そしてなんだか家の味がした。
実験17日目
・一昨日セルフカウンセリングをして自分の不安の正体が掴めたので安心している。
・今日友人のカウンセラーと話をしたら新たな発見があった。庭付きの家で、子供がいて、野菜やハーブを採りながら料理をして、友人を招いてジャムを作って………という生活が本当は幸せだという話をしたら、「それが目標じゃない?」と言われた。「それを目指すって思うとどんな考えが浮かぶの?」「わがままだって感じがする」自分の好きなことだけやって、なにも生産しない。それに、そんな生活をするのはお金もかかる。「お金かからないと思うけど、庭にイチゴ植えれば増えるだろうし、それを使ってジャム作るんでしょ?」そう言われたらそうだ。「でも、そういう家を手に入れるのはお金がかかるし……」「そうかなぁ?古い家を買って自分たちでDIYしてっていう人結構いるよね」そっか。何度も出てきている自分の一番の望みを、具体的に検討することもなく”ナシ”にしていたことに気づく。
・そして想像してみる。もしそんな暮らしができたら……… それだけで、わたしは死ぬ時になんの後悔もないと思う。誰も救えないかもしれないし、社会の役にはちっとも立たなかったかもしれないけど、「あぁ楽しかった」「幸せだった」と言いながら死んでいくだろう。……そっか。それなら、これを追わなきゃ。どこかで、自分はこれまで勉強を頑張ってきた、大学も出た、仕事を頑張ってきた、こんな成果を残してきたから、何かもっと活躍しなきゃいけないんだと思い込んでいたような節があると思う。こんな基本的なことを望んじゃダメだ、こんな低い目標を掲げちゃダメだと思ってた。だけどそれって誰の基準なんだ?まずは移住先の物件を調べることからやってみようと思う。どうしてこれを今までやらなかったんだろう。と、不思議なぐらいだ。