なぜ有料noteを発信しようと決めたのか。ここまでを辿るわたしの道。
21歳当時、高倍率と言われる公立保育士として新卒入社し、私は園児180名くらいの規模の保育園に配属されました。
期待を胸に社会人デビューを果たしたのですが、保育園の方針が自分と合わず、女性社会の人間関係に揉まれ、事務仕事も多く、サービス残業の毎日。ただでさえ余裕はないのに、毎日の掃除、雪かき、プール掃除はもちろん、数々の行事、運動会やお遊戯会の子どもの衣装作り、会場作りなど、全て保育士の仕事という。。(保育士の負担を軽減するために、最近は、行事数を見直したり、業者に外注したりする園が少しずつ増えているようです🥺)
子どもと関わることは大好きで、もちろんやりがいは感じてましたが、とにかく私には合わない環境で、常にストレスMAXでした(涙)
当時を振り返ると、ストレスが酷くて、仕事・私生活共にめちゃくちゃになっていたし、仕事に行くのが毎日憂鬱で仕方なく、保育士の未来に希望が持てなかったです。
転職したいと思いながらも、当時は「生涯安定の公務員を手放すなんてもったいない」という風潮や、転職してる友だちがいなかったり、ベビーシッターという働き方も知らなかったので、「転職して今より良い環境になる」という自信が持てず、とにかく葛藤していました。
今思えば「そんなに辛いならすぐに辞めなよ!!今よりも自分の才能を活かして活躍できる環境が絶対にあるし、その方が人生何倍も楽しくなるよ!!!」
と当時の自分に言ってあげたいのですが(涙)
今の自分では信じられないほど、親や社会の敷いたレールの上を歩んできたタイプだったので、転職しようと行動するだけでも本当に一苦労、、
今、こんなスタイルで生活してるなんて、とても想像は出来ていませんでした。
https://note.com/saki_kidshapilie/n/n6eadba9a17b8
こうして、4年前(当時25歳)、今よりもベビーシッターという働き方はメジャーではなかったけれど、ベビーシッターの未来に確かな希望を感じ、住んでるエリアは地方という不利なフィールドながらも、試行錯誤を繰り返す中で、おかげさまで、今ではフリーランスの保育士として、人間関係、時間、場所に縛られない、とてもストレスフリーな生活が送れるようになりました。
ここまで、本当に沢山のご縁に支えられて成長しました。私の過去のように合わない環境で苦しみながらも、何かしらの不安で、一歩踏み出すことに躊躇している保育士さんが、自分らしく、楽しく、保育の仕事に携わって欲しいと、本気で思っています。
HPには、『ママがご機嫌だと、みんな嬉しい』となっていますが、(もちろんそう)『大人がご機嫌だと、子どもが嬉しい』というのが一番近いのかな、と最近は感じています。
子どもに関わる全ての大人たちが、健康で、明るく、子育てしやすい社会になるように願っています。
キッズハピリエ代表 降旗紗希