非同時的(鏡映)対称性と同時的(鏡映)非対称性

『137』を読んで着想を得たことの備忘録です。

物理学者パウリは、パリティ保存則を覆されたことで、より深遠な対称性の探究に向かい、”CPT対称性のもっとも完全な意味での鏡映対称性(同書p.410)”に到達するため微細構造定数137に活路を見出したが、ハイゼンベルクと組んだ研究は失敗に終わった。米国で手酷い批判を浴びたことで、パウリはすっかり戦意喪失してしまった。

 ユングとの交信で、物理学と心理学をつなぐ経路として共時性と元型を見出すところまで漕ぎ着けておきながら、ユングと組まず、ハイゼンベルクと組んだことは、パウリのように卓越した型破りな論理的思考者ですら、見落としてしまうことがあるということだと思う。

 取り組んでいるテーマでは革新的な功績を上げているのに、当時の物理学の権威ハイゼンベルクに担がれあっさり乗ってしまったところに、紙一重の差があったのかもしれない。既存の価値体系から出なければなしえないことを扱っていたのに、最後の最後でそれを忘れる詰めの甘さ。それがパウリの盲点だったように思う。

その後研究から手を引くときには、”ハイゼンベルクは私といっしょに論文を発表すれば、また1930年に戻れると信じている!しつこく追い回されて当惑している!(同書P.417)”などと同僚にこぼしているが、時代が変わったことに気づくのが遅すぎた。バックミンスター・フラーとパウリは同時代の研究者なのに、全く交流がなかったようなのが惜しまれる。

 バックミンスター・フラーは、シナジーすなわち非同時的物語宇宙を正四面体で説明している。同時には起こらないけれど相互作用のあるエネルギーの法則を見出していた。

 パウリが探究していた鏡映対称性という言葉には、既に「同時的」という意味が含まれている。なぜなら、鏡は常に、範囲内を同時に映し出しているから。

 では、非同時的物語宇宙と鏡映対称性は両立できるのだろうか。

 非同時的物語宇宙は、通常の鏡には映らない。エネルギーの相互作用を映し出す特殊な鏡があれば映し出すことができる。

弱い相互作用でのみ起こるパリティの破れが、非同時的なエネルギーの相互作用つまりシナジーを成立させているのではないかと推測する。

とするなら、パリティの破れのみを映し出す鏡があれば、非同時的物語宇宙を見ることができるだろう。

それは高尚な学問の話ではなく、インターネットによってモニターに映し出された世界とコンタクトを取ることができる現代ではごく普通に使われている。

パリティの破れは、鏡映非対称性を明らかにした。

鏡映対称性には、決して交わることのない境界線がある。しかし、それはニュートリノなどの弱い相互作用においては、成立しない。つまり、鏡の向こうの世界とつながることができるということになり、インターネットはパリティの破れを実践していると言うことができる。

インターネット=同時的鏡映非対称性の場

それならば、非同時的鏡映対称性はなにか。

そこでユングの共時性と元型が、”鏡映”に関わってくる。

まだ映し出されていないがこれから現われる未知のなにかを媒介するものだと思う。

しかし何かが置き去りにされているような気がする。

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