知床半島沖で沈没した観光船「KAZUⅠ(カズワン)」と和宮のシンクロニシティ
[沈没編]前半の続きです。
[沈没編]後半へと進めるつもりが、見逃せないサインを個人的に受信したので、後半を書く前に、別タイトルの記事にしました。
カズワンは、日本航空123便墜落事故が起きた年に製造されました。
「ひかり8号」として瀬戸内海を航行していたとのことです。
双方の名前の番号を合わせると、1(カズ)と8(ひかり)で、海保の緊急通報用電話番号「118」です。
前半でも述べましたが、11ハウスカスプ巨蟹宮1°18'18"は船長7828の名前と似ている小惑星名称Noriyositosi 2°Can39'35"と近接しています。
小惑星KAZU は(G)チャートで白羊宮8度にあります。
白羊宮は太陽が昂揚(Exaltation)するサインです。
太陽=ひかり、と8が小惑星KAZU に示されています。
ひかり8号が航行していた瀬戸田港は、当時豊田郡瀬戸田町でした。
船長の姓がと一致します。
このエリアでは、1957年4月12日に発生した第五北川丸沈没事故で、死者・行方不明者113名を出しています。
今回の沈没事故は13時13分に通報がありました。
前半では、主にカズワンの運航状況と船長についてリーディングしました。
続いて後半で、運航会社社長のリーディングに進もうとしていた矢先、運転中に「168」ナンバーを連続して見かけ、サインと思われるので、ここで、やや唐突と思われるかもしれませんが、カズワンと同名の皇族について調べることにしました。
名称と周期の関連性について述べるにあたり、非礼のないよう留意しているつもりでも、高貴な方に対する言葉遣いとして至らない点が見られるかも知れませんがご容赦頂けますと幸いです。
「168」のサインが示したカズワンと同名の皇族とは、和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)です。
遺骨は、1958年に発掘調査後、火葬されて、現在は存在しません。
カズワンと同名の皇女和宮は、嫁ぎ先の徳川家へと発つまで、桂宮邸に滞在していたとのことです。
事故船カズワンの運航会社社長桂田氏、船長の豊田徳幸氏と共有する漢字が見られます。
幕府が1860年に和宮の将軍家降嫁を奏請した旧暦の同日、第五北川丸沈没事故(グレゴリオ暦1957年4月12日)は発生しています。
幕府が重ねて奏請した旧暦の5月26日(グレゴリオ暦1860/07/14)は、カズワンがサルベージ船で引き揚げられ海上に姿を現した日(グレゴリオ暦2022/05/26)です。
そのほか、国家と関係のある日付として、3月11日と8月15日と5月1日を付記します。
●3月11日
1862年(旧暦2月11日) - 江戸城にて家茂と和宮の婚儀、皇室から降嫁。
2011年 - 東北地方太平洋沖地震 14時46分18.1秒に発生
●5月1日
1868年(旧暦4月9日) - 明治天皇、紫宸殿において江戸城平定を神前報告。
2019年 - 徳仁親王が第126代天皇に即位。「令和」に改元。
●8月15日
1860年(旧暦同) - 和宮が将軍家降嫁を内諾。
1945年 - 第二次世界大戦: 正午、昭和天皇「戦争終結の詔書」。「ポツダム宣言」受諾が玉音放送により告示される。
和宮に贈一品→和一→カズワン
和宮が一品を与えられたのは明治16年(1883年)8月27日です。薨去後ですが、事故船カズワンとの関連からこの日も入れて周期性を調べます。
このままではわかりづらいので、図表化すると見えてくるものがあると思います。
二品(にほん)から一品(いっぽん)へ
和宮について調べてみたことで、「日本」のことを、「にっぽん」と発音することに、違和感がある理由がわかりました。
「にっぽん」には、「二品(にほん)」と「一品(いっぽん)」が強引に合わされたような感覚があります。
それは、歴史の大激変期の権力闘争に翻弄された皇女の悲痛が隠されているからかもしれません。
[沈没編]後半に続きます。