「クレタ人は皆嘘つきだ」と言ったクレタ人
エピメニデスはクレタの人で、次のような金言を残した。「クレタ人はみなうそつきである」
「テトスへの手紙」にエピメニデスへの言及があり、「クレテ人のうちのある預言者が『クレテ人は、いつもうそつき、たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう』と言っている」とある(Titus 1:12)。 -wikipediaより
クレタ人であるエピメニデスが、「全てのクレタ人」をディスったという古代ギリシャの言い伝えは、パラドックスの見本として提示されることの多い問題の一つです。
「クレタ人は皆嘘つきだ」は
Γ/A
と表すことができます。
必ずしも「クレタ人皆」が嘘をつくとは限りません。とすれば、エピメニデスの記述が正しくないということになります。
さらに、エピメニデス自ら嘘つきのクレタ人であることを示していることになります。
「クレタ人は皆嘘つきだ」とクレタ人エピメニデスが嘘をついた。
ということになり、パラドックスではなくなります。
しかしこれでは、ゴールに到達する手前で一服しているような、なにかが誤魔化されているような、どうもすっきりしない感じがします。
エピメニデスが心底そう思っていたのなら、論理では解決できない問題が現れることになります。
クレタ人なのに、「クレタ人皆」をディスらずにはいられない状況。
「クレタ人皆」と同化できない”なにか”がそう言わせているのではないか。
ディープステートがなんのために存在するのかを考えると、クレタ人のパラドックスに潜む問題との共通点が浮かび上がります。
嘘をつくということは、真実を隠しているということです。
エピメニデスは、「クレタ人皆」が真実を隠していることを知ってしまった。
ということは、「クレタ人皆」が知っている真実を自分だけ知らされていなかったということになります。
つまり、エピメニデスは、これまでクレタ人のつもりだったけどクレタ人として扱われていなかった。その違いは、「クレタ人」が共有する真実を知っているか、知らされていないかということです。
そういった領域で、ディープステートが働くのではないかと考えます。
ある集団が隠している真実を、その集団の外には知らせないようにするための煙幕の役割を、ディープステートは担っているのではないかと。
つまり、真実を隠さなければいけない集団が、ディープステートを存在させているということです。
そしてその集団は、特定の姿をとらず、変幻自在な想念形態、要するに「真実を隠す」という意図によって集まった意識なので、捉えることができない。
その集団は、真実が隠されているからこそ存在でき、真実が明らかになると消滅するが、真実を隠したいという意識が世界から一切なくなるということは人類の歴史上ありえなかったので、ずっと活動していた。
ディープステートとしては、真実を隠したいという意識がある限り安泰なので、頑張って煙幕の役割を果たす。煙幕の役割とは、真実を明らかにすることに恐怖心を植え付けることです。
「クレタ人は皆嘘つきだ」
というエピメニデスの言葉を、論理的矛盾として捉えると、ディープステートの働きを見ることはできません。
誰もが例外なく、真実を隠そうとする意識をその内に抱いているということ。
それを自覚し告発しても、誰も受け止めることができないということ。