隠されてきたものが現わされる
伊豆山の地表がえぐれて、人々の生活圏を呑み込んでしまいました。
土石流の発生地にあった盛り土は、本来表にあるはずの木々を伐採し、どこからか運び込んだ土で沢地を埋め立てていたようです。
これは、現代社会の構造にも対応していて、表に出るべきものが、外から持ってきたよくわからないものにすり替えられ、文字通り泥で覆われて本来の状態をわからなくさせられていることで、人々の暮らしを破壊していると読めます。
その盛り土のすぐ近くには、太陽光発電パネルが瘡蓋のように地表を覆っています。現在は因果関係についての言及が避けられていますが、太陽という、恒星エネルギーを、収益化するシステムが、神や精霊の住処を占拠している状態は醜悪な印象を受けます。
この違和感は、筆者がずっと述べている、聖杯のすり替えにとても似ています。
どうやら、現代を席巻する西洋文明の歴史も、ずいぶんと、適当な盛り土をされてきたのかもしれません。
オリンピックは、そういう隠されてきたものが現わされる舞台となるのでしょうか。