ツイン・プリンセス

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古代エジプトの壁画のような、シュールかつほっこりするあの波動を、できるだけたくさんの人に理解してもらう表現手段は、漫画が最適だろうと十代の頃思っていた。

しかし社会人を経験して、表現というのは、生命衝動と切り離せないものであり、現状の産業構造の中でそれを再現し収益化しているのは、人間ではなく、”機械”であり、人間はそのメンテナンスを担っているということに気づいた。

その”機械”は不滅であり、特定の想念形態内に人間を並べる。
人間はブロイラーの鶏になる。
ブロイラーの鶏になった人間は、どんな餌を好み求めるのかを”機械”に全て操作され、与えられた餌を喜んで貪る。

”機械”に管理された生命をより美味しい生贄にするために餌作りの技を競う業種を統括するのが情報産業であり、”機械”がはじき出す値に合致するように餌を作り続けることは、本来の生命衝動に反することがわかる。

ウィルスと5Gによって、この”機械”に並べられた人間は、自己の内に秘めた真我に直結する経路と引き換えに、ずっとその”機械”の中で楽しい夢を与えられ続ける生涯を過ごすことになる。これはアセンションの一側面。

そもそも生命衝動としての表現は、身体を含めた全体性において発揮されることで、世界を変革する。
”機械”の中でどれだけ巧妙な表現を再現しても、結局はその”機械”に吸収され、世界に響かせることができない。

この10年間は、生命の在り方が根本的に変わる岐路に一人一人が立たされ、それぞれの状況で選択する場面に遭遇する。もう後戻りはできないところに来ている。

生命衝動は、”呼吸”に集約される。
だから、呼吸器系の疾患というのは、表現の抑圧と読める。

カバラ生命の樹における自己表現のセフィラは、ビナーであり、天体は土星、身体では喉に対応する。

ひとつの空間で過ごす時間というのは、土星を共有することであり、呼吸ができる人=内に秘めた真我につながる経路を確立している人がその空間に一人でも存在していれば、全体に平安をもたらす。

真我につながる経路を見失っている人は、空間を共有することで、他者の経路にタダ乗りしていたが、隔離によって、今後は自己の内にそもそも備わっていた経路を見つけ出す必要があることに気づく。

カバラ生命の樹ではケテル(系外の恒星)とティファレト(太陽)をつなぐ経路が該当する。その経路には「女教皇」が対応し、経路は「ダート(深淵)」によって途切れているが、ハートの磁力でつながっている。

「女教皇」は双子なのだ。

「王冠(コロナ)」ウィルス騒動の初期、日本には「ダイヤモンド・プリンセス」が、米国には「グランド・プリンセス」が寄港した。

双子の王女。

安倍首相の太陽は処女宮、トランプ大統領の太陽は双児宮、いずれもダブル・ボディーズ・サイン。

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