Six Woods・・・気づいた思い④
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バイト先に着いた大翔は、いつものように事務所に入り支度をする。
エプロンをしてキャップをかぶりマスクをしたら準備完了!
ロッカーのドアを閉じて事務所を出てオーナーの席を横切りながら、いつもと違う感覚を覚えた。
そうだ、オーナーの仁実がいない。
「おはようございます」と厨房に入る時の決まり文句をいいながら入り周りを見回す、マスターがランチの下準備をしている手を止めて顔をあげて「やぁ!今日も宜しく~」といつもの調子で声をかける。いつもと変わりない様子に、オーナーは何かの事情で遅れるか、休みなのだろうと少し安心した。そう思いながら大翔もマスターの手元を見ながら、サラダの準備を始めた。
今日のマスターはいつになく無口で黙々と作業をしている。
暫く作業をしていると、マスターが「オーナーは、昨夜ご主人を亡くされて暫く店を休むとのことだった」とだけ言った。大翔は「えっ!ご主人?!」と口から出そうになる言葉を飲み込みながら、持っていたレタスを手から取りこぼしてしまった。しかし、レタスはタイミングよく水面に落ちたので洗う作業を続けて平常心を装った。
そもそも仁実には子どもがいるのだからご主人が存在していて不思議はない。しかし、その存在を感じたこともなく、また話題になることもなかったので、てっきりシングルマザーだろうと思っていた。今日、マスターから「ご主人」という言葉を聞いて、初めて仁実の夫、その存在を意識した。
まただ、また大翔の中で四角い箱がガラガラとあちこちにぶつかる。
いつも通り忙しいランチタイムが過ぎた午後3時すぎの大翔の休憩時間、仁実のことを案じながらバッグのスマホを手に取り仁実から着信がないかと確認したが、さすがに無かった。当たり前と言えば当たり前のことだと思った。カフェにとって大事な要件は自分よりもマスターに伝えるはずだから。しかし、今仁実がどんな心持でいるのか?を考えると、いや、自分自身が仁実の声を聞きたいと思った。
そういう衝動を抑えきれなくなった大翔は、咄嗟に仁実の番号を押してしまった。数度呼び出し音がなるか鳴らないかのところで、自分の存在は、仁実にとってスタッフの一人なのだから、こんな時に迷惑なのではないかと思いなおして切った。
大翔は幼い時に両親の死に立ち会った。まだ小学生だった大翔は、悲しみ苦しみ憎しみといった感情を上手く処理することができず、感情が大揺れになることを回避するために押し殺す癖がついたが、これまでになく、何故か感情の抑制が効かない。大翔はぶっきらぼうにキャップを被り直し目の前をじっと睨むように見つめた。これで大概の場合は通常の姿に戻れるのだ、そうしてその後の仕事をやり過ごすことにした。
その日、カフェのスタッフは大翔を始め、いつもの調子で淡々と仕事をしているように見えたが、誰もが、いつもより気を張って元気に振舞おうとしていたので、他の人のことを気に掛ける余裕がなかったので、そんな大翔の様子に気づく者は誰もいなかった。
営業時間終了後、マスターが集まったスタッフに向かってこう言った
「皆さんもご存知だと思いますが、昨日オーナーのご主人である斎藤勝さんがご逝去されました。今日が通夜ですが、オーナーからの願いで、この店は明日からも平常通り営業して欲しいということでしたので、ここはスタッフみんなで頑張りましょう!」とペコリと頭を下げた。
マスターが帰りがてら「オーナーはああいったけど、これから顔を見に行ってくるわ、お前も行く?」と大翔に声をかけた。大翔は「はい」と即答しそうになったが、通夜の席で、普段通りの表情ができるか自信がなくて断った。
マスターと別れて、駅に向かって歩いていた。遠くの空に稲光が走る。歩きながらマスターの誘いを断ったことを少し悔やんでいた。マスターと一緒であれば、スタッフが弔問に来たと誰が見ても不自然ではなく、仁実が大丈夫なのか確認することもできた。
そういう事を考えるたびに、大翔の胸の奥の四角い箱の角があちこちにカランカランと当たる「なんでこんなに胸がざわつくのだろう?」これまで、自分の事もそうだが他人の事に関心を持たないようにしてきた、そのほうが楽だったからである。
ホームに入ってきた電車に乗り込む、乗客はほとんどいない。シートに腰を下ろして暫くすると電車はガタンと音をたてて発車した。車窓に雨粒がぶつかり流れ落ち始める。
雨粒を目で追いながら、ぼんやりと仁実の事を考えていた。仁実の事は単なる年上の友人で大翔より少し遠い存在のように思っていたが、この数カ月を振り返ると大翔の休日に、香穂子や他の友人たちと過ごすよりも多くの時間を仁実と過ごしていた。別に仁実から強引に誘われたとか、バイト先のオーナーだから従うという事でもなかった。ただ、仁実と遊びに行くのは、同級生と遊んでいる時とは異なる経験をさせてくれて刺激も多く、なにより大翔が気を張らなくてもいいので気楽だった。本当にそれだけならこんなに感情が安定しないこともないだろう。
その時、車両の外から雷の轟音が鳴り響いてハッとした、と同時に大翔の脳裏に仁実の悪戯心満載の童女のような笑顔が浮かんだ。
「傍にいたいんだ!誰よりも近くに」心の声は、いつの間にか、仁実の存在が友人から、大分前から、思いを寄せる女性(ひと)になっていた大翔の気持ちを浮き彫りにした。
大翔の胸の奥の四角い箱は、ものすごい勢いであちこちにぶつかりながら、やがて収まっていった。
最寄り駅に到着する頃には雨も上がり、いつもの静かな駅に降り立った。大翔は何かが吹っ切れたように家路へ歩いていった。
「Six Woods・・・⑤一つの区切り」に続く