![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87838157/rectangle_large_type_2_7d1a7cebaaaed8bba7d2386092e1515d.jpg?width=1200)
わたしの”自転車旅スタイルの”履歴書
自転車旅行歴は25年になります。以前の投稿で使用した自転車の履歴を掲載しました。(上のリンク参照)今回は25年の間に自転車旅行のスタイルがどのように変わっていったか記載するものです。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87838507/picture_pc_a662a111a77e79b722c232c570b0d631.jpg)
自分が運営していたウェブサイトの画像を使用した画像ですが、これまでに自転車で走行した場所を表しています。これまでを振り返ると大学卒業から自転車旅行を始めて一時期は仕事と家庭の両立で自転車から遠ざかり、余裕が出てきて再度自転車旅行を再開してと自分の置かれた環境に色々変化がありました。また20代と現在の50間近では体力も変わってきました。ここでは年代ごとに自分が旅行をした場所、期間、走行した距離について振り返り、特徴をまとめてみたいと思います。
![潮岬](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87839192/picture_pc_8567c289d5ed34c3864b47ec4fc9ff69.jpg?width=1200)
20代の時はまだ自転車旅行についての知識や装備が不足していたなかで、若さで自転車をこぎまくっていました。写真は紀伊半島を3泊4日で旅した時に潮岬の灯台で撮影したものです。雨が降っていて雨合羽を着用しながらの走行です。3泊4日の旅は全部で770kmでした。1日平均200km近くです。当時は自転車を交通機関で輪行するということを考えていなかったので、スタート・ゴール共に名古屋の自宅からでした。
![コンビニ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87839674/picture_pc_f0d8f8c9fb527ba848450ca6e1bd0490.jpg?width=1200)
この時は昼だろうが夜だろうが(朝の4時前から午後8時過ぎまで)ひたすら自転車をこぎ、宿泊は無人駅で野宿し、食事はコンビニで弁当をかきこむような感じでした。朝ごはんを食べる時は既に走り始めてから50kmこいでいたということもざらでした。
![和歌山駅](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87839770/picture_pc_467c0d2acbf4ec91546c35633a949b28.jpg?width=1200)
時計回りで紀伊半島を走り、3日目昼には和歌山駅に到着していました。その日は潮岬付近から一気に大阪駅まで約200km進みました。とてもではないですが、今同じように200km進もうと思っても体力が持ちません。
時には失敗もしました。無謀にも韓国に行ったときは途中で自転車が壊れて、どうしていいか分からず撤退に追い込まれてしまいました。今はそんな無茶はできなくなってしまいました。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87840156/picture_pc_21e29d6983526186f653de3cfbb0b12f.jpg?width=1200)
次に30代(アラサー)の時です。自転車の経験をしっかり積み、輪行の知識を活用することで、遠征を楽しみました。職場で1週間をまるまる休みにして、前後の土日と海の日で10日間を旅行に充てて、ロシア連邦サハリン州、台湾をはじめ、国内でも北海道、九州、沖縄を自転車で走破しました。
特筆するべきはロシア連邦サハリン州です。当時はストリートビューもなく、Google翻訳もない中で、現地の旅行会社の人に状況を尋ねたり、道路事情もさっぱり分からない中で必死に北を目指して、日本統治時代最果ての地「敷香町(しすかまち。現在のポロナイスク)」まで到達しました。よろしければ上のリンクをご覧ください。
自転車を交通機関に積載して移動をすることで、活動するフィールドは大幅に広がりました。この機会を逃したら挑戦できない場所に自転車をこぎ進める旅を展開しました。自分の身体にも研究を重ね、ウエイトトレーニングに励んだり、起伏の激しい道程で行われるレースにでて実戦を積んだのもこの時期でした。
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87840813/picture_pc_34ba7bf5b7009c44ff67da60ec147da0.png?width=1200)
そして40代です。結婚し子供もできて一時期自転車から遠ざかっていました。納戸で何年も眠る自転車を横目にパソコンで自転車旅行中に撮影した写真を見ながら自転車旅行が再開できる時を願っていました。
復帰の皮切りとなったのは2018年の第3次サハリン遠征でした。仕事も休暇が取りづらくなり、家もあまり留守にはできないので、3泊4日の旅行でした。1日に走行する距離も40km~50kmになってしまいました。走行する距離が短くなった分、現地の人との交流を楽しんだり、行った先で美味しいものを食べたりするようになりました。
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87841686/picture_pc_a7bc958a0b5fbd44163cf4e3504c30a6.jpg?width=1200)
ロシアのコルサコフではスーパーマーケットで総菜を買い、部屋で簡単に調理しました。
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87841790/picture_pc_d7562c139d7baa459b5fb56eb24dabbc.jpg?width=1200)
根室に行ったときはコンブ漁師に話しかけて、歯舞群島である貝殻島周辺で収穫したコンブを頂いたほか、納沙布岬で貝殻島を眺めました。
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87842638/picture_pc_78480be7975f1aea9ffca99a6fc9dc51.jpg?width=1200)
ユジノサハリンスクでは奇抜なグーフィーとミッキーマウスに、そして
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87842686/picture_pc_1730884261662ce424f3318a897b42ad.jpg?width=1200)
喜界島ではあまりにも小さい空港ビルに感動しました。世代ごとに旅をまとめると・・・未知の道を求めてひたすら進みまくった20代、経験と知識をもとに限界に挑戦しまくった30代、旅先での見聞を求めている40代そんな感じでしょうか。
総括になりますが、自転車旅行のスタイルに正解はありません。ひたすらこぎまくって1日の距離を自慢するもよし、脱線しまくって珍道中を繰り広げるもよし、結果がプラスになるのならどちらも”サイクルツーリズム”だと思います。願わくばサイクリスト(生活圏を離れて自転車の旅を楽しむ人)の地位向上のため、消費活動に積極的に参加したりできると後に続く人が続きやすくなると思います。
この記事はNoteの研修を受けて書いてみた記事です。Noteの社員さま講評をコメント欄にお願いします。(笑)