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【エッセイ】お酒を仕事にする、ということ

たまには仕事っぽくない文章も書いてみよう、ということで、1週間エッセイ強化期間です。Twitter (X)の投票機能により、お題は「お酒について」に決まりました。お酒についてですが、あくまでエッセイですので、とてもパーソナルな文章になります。悪しからず。

お酒を仕事にしている、造りもしないのに。「造りもしないで、酒を仕事にするとはなにごとか」という声もあるのかもしれないが、ひとまず事実として、お酒に関わる仕事をして生計を立てている。お酒を愛する者として、幸福なことだと日々、感じている。

アメリカに住んでいたころ、トランプ政権下で外国人向けのビザが発行されづらくなり、このままどうすればこの国にい続けることができるだろうと鬱屈した日々を過ごす中で、当時付き合っていた人に想いを吐き出したら、居眠りをされてしまった。

彼自身のパーソナリティも、仕事の疲れもあったろうが、わたしは眠る彼を後にして部屋を出た。海を渡るタクシーから夜のサンフランシスコ湾を眺めながら、確かにわたしも、日本に住んでいて、メキシコ人留学生のボーイフレンドに、俺はプルケという飲み物に人生を賭けているんだとか熱弁されたら、ちょっとわからないかもしれない、いや、酒類なら共感してしまうかもしれないから、例えばほかの、マイナースポーツとか、と考えた。

いまも、サケジャーナリストです、と挨拶をすると、首を傾げられる。造りもしないのにお酒を仕事にするというのは、少し特殊なことなのかもしれない。

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もともと、お酒の仕事をしようとしていたわけではなかった。

書くことと読むことが好きで、大学では文芸とジャーナリズムを勉強した。卒業して一年目は、教育系の企業に就職し、出版事業部で経験を積んでからどこかの出版社に就職しようと考えていた。その会社は、一年目のOJT(予備校での現場研修)で辞めてしまった。生徒への愛着が強く、このままだとメディアの道へ行かなくなるだろうと考えたから、だと説明している。

ダメだったらアルバイトでもしながら留学の準備をしようと思って一社だけ受けた編集プロダクションに通り、入社した。大手出版社の下請けとして、ベテランのライターやカメラマンさんと仕事をしながら編集のいろはを学んだ。ブラック企業の概念も曖昧なころで、いまはずいぶん就労環境もよくなったそうだが、そのころは数日連続での徹夜なんてよくあることで、椅子を三つ四つつなげた上に横になり、仮眠をとっていた。

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お酒の仕事をしてはどうかと言ってくれたのは、女性のカメラマンさんだった。二子玉川の飲食店を取材するために、彼女が運転する車に乗って数軒まわっていた。

彼女もわたしも日本酒とタイ料理が好きで、話が盛り上がるうちに、「木村さん、唎酒師の資格とか取ってさ、セクシー唎酒ライターとかやればいいんじゃない」と言われた。

メディアというのは、いろいろなテーマを扱うことができる。わたしも音楽とか、文学とか、いろいろ興味のあることはあったけれど、どのジャンルにも常に周りにすごいひとがいる、と気が引けた。そんなとき、彼女の言葉を聞いて、確かに、お酒への愛なら誰にも負けないかもな、と思った。

10年越しに再会したときに、彼女もその会話を覚えていて、「本当になっちゃったね」と驚いていた。セクシーの部分は採用しなかったが。

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編プロを辞めたのは、大学のころから行きたいと思っていたアメリカでジャーナリズムを勉強するためだったが、辞める前に同僚や取引先に「なんかあったら声かけてください」と言って、まあなにもなかったらアルバイトでもするかと考えていたところで、絶えずお仕事の依頼が来て、いつのまにか「フリーランスの編集者・ライター」になっていた。

その中でしばしば声をかけてくれた編集者のひとりが、いま「クリーミー大久保」という名前で活動している大久保さんだ。職場でたまにコンビを組む先輩で、社内でお酒関係の仕事を担当することが多く、よくわたしに外注を依頼してくれた。

そうしながら、日本酒に関する仕事が増えていった。副業として、お酒を出すお店でも働いた。日本酒メインではないスナックだったが、日本酒イベントをしたり、わたしが選んだお酒を置かせてもらったりした。

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アメリカに行ってからも、当初はお酒関係のメディア活動をするとは思っていなかった。しかし、アメリカで売られているお酒を追いかけているうちに、サンフランシスコの酒蔵Sequoia Sakeのご夫婦に出会い、True Sakeのボー社長に出会い、SAKETIMESの生駒さんに出会い、SAKE Streetの藤田さんと二戸さんから声をかけていただいた。

アメリカにいる日々は、控えめに言っても、7割くらいは苦しかった。ひとり、部屋の中で嗚咽を漏らしながら泣き喚いたこともある。なんでこんな国にしがみついているんだろう、日本にいるほうがラクなのに。でもなんの結果も出さずに帰るのは逃げるみたいで嫌だった。

しかし、この国のおもしろいのは、苦しい中でときどき魔法みたいな救いがあることで、わたしの場合、それはすべてお酒に関することだった。あー、お酒に導かれてるんだな、「私のために働きなさい」と言われているんだな、と本気で思わされることが続いた。

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いまを結果としてみるならば、言葉という好きなものと、お酒という好きなものの二つがくっついたかたちになる。「好きを仕事に」というやつ。確かにそうだと思う。わたしはお酒以上に好きになれるものがないし、お酒のために生きている。

わたしにひとつ自信があるとしたら、自分のためにお酒を使おうとしたことが一度もないことだろう。お酒のために自分を使う。Not for Saki, but for sake.と言う。お酒というのはわたしたち人間なんかよりもずっと大きくて、地球のように脈動しながら生き続けている。人間にとっては大きな変化でも、お酒から見ればちっぽけだ。人間の良いところは、お酒を造り続けているところだ。

そうしてお酒が生き延びてゆくために、造るひとだけではなく、その他のプレイヤーもいる。きっとわたしが伝えたことで変わったことも少しはあるし、これから伝えることで変わることはもっとあるはずだ、と思う。

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Saki Kimura / Sake Journalist
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