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【だらだらエッセイ】アメリカ酒旅その1:出発〜到着編

昨年の11月にサンフランシスコへ戻るつもりで買い、コロナやらのせいでフイになった航空券の振替期限が9月頭に迫っていたので、1年ぶりに、アメリカを訪れることにした。アメリカの各地でロックダウンが解除されたほか、わたしの住む杉並区の方針のおかげで、8月の上旬には2回目のワクチンを接種し終えるのが決まったゆえの決断だったが、日が近づくにつれて世界中で変異株の流行が始まり、周囲からは何度も「ほんとうに行けるのか?」と訊かれた。

出発二日前にセミナーの収録とインタビューを行い、前日の朝に海外旅行用の陰性証明を出している医療機関でPCR検査を受け、空っぽのスーツケース3台にようやく荷物を詰め込み終わった夕方に、病院から陰性証明が届いた。ここでようやく、ほんとうに行けるんだ、と、理解する。

8月25日、部屋を掃除し、ゴミを処分して、迎えにきた定額タクシーで羽田空港へ向かった。運転手のおじさまがときどき咳き込んでいて、空港までに何度咳き込むか数えていた。

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カートに大小3台のスーツケースを乗せて、チェックインをする。今回の旅の目的は友達に預けている大量の本を持ち帰ることなので、帰りに備えてほとんど空にしているものもある。JALなので割れ物のタグをつけてくださいと言ったら、どちらのお荷物ですか、と訊かれたので、ぜんぶだと答える。あんまり覚えていないが、陰性証明を見せ、米国に提出する宣誓書(陰性ですよーというやつ)を提出したような気がする。

一般向けのラウンジが閉じていたので、ファーストクラス用の広いラウンジに案内された。通常、ラウンジではブッフェ形式で軽食や飲み物を楽しめるが、感染症対策としてテーブルのQRコードからウェブサイトにアクセスし、料理をオーダーする仕組みになっていた。いろいろなものを少しずつつまみ食いするのが好きなので、どうせポーションも小さいだろうとサーモンのクリーム系ショートパスタと温野菜を頼んだところ、やたら重くて余白の多いお皿が2枚並べられた。酒類は提供していなかったので(通常、ラウンジでは好きなメーカーの生ビールをサーバーから注ぐことができるのが楽しみなのだが)、ペリエを飲んだ。

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今回の旅は、ロサンゼルスに留学時代の友人で、航空系のコンサルティングを行っている台湾人・Aくんのおかげで、行き帰りともビジネスクラスを利用できることになった。大量の本を持ち帰る予定だったので、帰りは預入荷物を多めに預けられるクラスがありがたいとは伝えていたのだが、まさか行きもだとは思っていなかったので知らされたときはギョッとした。彼は日本を愛していて、ロサンゼルス留学時代も、UCLAでビジネスを学びながら、年に50回程度は日本を訪れていた。わたしは彼の奥さまであるEちゃんのクラスメイトだったのだが、わたしがグルメや日本酒の仕事をしていることを聞きつけて仲良くなってから、ずいぶん親切にしてもらっている。わたしができるお礼といえば、彼が都内の行きつけのレストランに手紙を書くときに、丁寧な日本語に訳してあげるくらいなのだけれど。

ラウンジでした仕事の続きでインタビューの文字起こしをしようとしたところ、ノートパソコンをつなぐコンセントが動かず、二人のCAさんが総がかりであれこれ直そうとしてくれたが、結局機内の元電源を再起動させることでどうにかなった。ネットの接続が悪かったときにオフラインで作業していた分のデータが初期化されてしまい、あちゃー、となったが、大した量ではなかったのでやり直した。

ビジネスクラスの食事は、有名レストランのシェフが監修した料理と、ソムリエが監修したドリンクが楽しめる。Aくんに勧められた「Ayala」というシャンパーニュは、弾けるようなアロマ、濃くも重たすぎない果実感、パチパチと弾けるようなガス感があって確かにうまい。続いて、地上ではあまりお目にかかれない日本酒「写楽」を頼んだところ、CAさんがニコニコしながら「お酒、お好きなんですか」と訊いてくる。「最近は地上じゃ飲めないですからね。ここでは飲み放題なのでどんどん飲んでください!」と焚き付けられ、まあ開栓後フレッシュな状態で飲み切ってしまったほうがよいしなと思ってお言葉に甘えた。鳳凰美田もあったのだが、写楽をお代わりしたところ、先ほどのCAさんが「わたしも写楽派です👍」とポーズを決めてくれる。写楽は総じて2.5合くらい注がれた。

往路は和食を頼んだけれど、鮑に乗った柚子風味のジュレとゴボウは香り系の写楽にぴったりとはいえ、それ以外の和食にシャンパーニュのAyalaのほうが合うのは、時代、だった。

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ところで、お酒やグルメにまつわるトピックはいつもソーシャルメディアに投稿するが、ビジネスクラスのサービスについて投稿するのは気が引けるのが興味深かった。ファーストクラスやビジネスクラスのサービスは、素晴らしいが、時代性との溝のようなものはうっすらと浮かび上がる。CAさんが一人ひとり席に挨拶へ来てくれるところとか。わたしは友人の伝手で何度かこうした席に座らせてもらっているが、彼らの慇懃さは、「ビジネスクラスのお客」としての振る舞いを要求してもくる。

しかし、例のAくんは日本の航空会社のサービスを愛し、それを台湾のエグゼクティブ層に活用させるためのコンサルティング業務に励んでいる。酒はうまいし、料理もうまいし、プライベート空間は確保されるし、体を倒して眠れるのもよい。日本の若い人たちは、ビジネスクラスやファーストクラスに憧れ、「いつか座ってみたい」と考えることはあるだろうか。おもてなしの最前線に立つエアライン事業のパフォーマンスの素晴らしさは、もう少し伝えられてもよいかもしれない。

窓の外を見る。ほんとうにアメリカに行くんだなぁ。前々日までバタバタと走り回り、前日にようやく空っぽのスーツケースと取っ組み合いをしていた身体で、そんなことを思う。言葉として並べただけで、まだ実感はなかった。

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シートを倒して数時間うとうとしたあと、朝ごはんとして、料理家が監修したという軽食を食べた。しょっぱくてお酒が合いそうだと言ったら、先ほどのCAさんが「出しましょうか!?」と食いついてきたけれど、写楽を結構飲んだので、遠慮した。飲みすぎた朝らしく、ほとんどカップうどんが食べたかったが、ずっと気になっていたメニューだったので、そちらにしてしまった。いちごのコンフィチュールが、ジャムというより、果実の粒をそのままじっくり煮込んで、冷やしました、みたいなやつで、とてもおいしかった。

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サンフランシスコに着く。

入国審査では、これまでは長蛇の列しか見たことがなかったが、拍子抜けるほど人が少なかった。いつもなら最低でも1時間はここで待つのだが、数人待っただけで自分の番がくる。観光用のESTAのエリアには誰も人がいなかった。南米訛りの強いお兄さんから、なんでアメリカに来たんや、と訊かれ、ジャーナリストだから取材をする、というと、誰を取材するんやと言われるので、サケブルワリーだと応える。ジャーナリストとして何年働いているんだと問われ、メディア業界ではもう10年も働いていると応えると、でも君、数年前に留学してるよね? とツッコまれたので、ジャーナリズムを勉強するために社会人学生として留学したのだと説明すると、納得してくれたようで(まあこのやりとりは怪しいやつを見分けるための圧迫面接みたいなものだと思うが)通してくれた。コロナ関係の書類は何も求められず、キミらそれでエエんか、と思う。

バッゲージ・クレームで荷物をピックアップする。日本では無料のカートが8ドルもするし、機械が古いのかクレジットカードをまったく読み取らないので、20ドル札を突っ込んだらすべて1ドル硬貨でお釣りがジャラジャラ出てきた。アメリカはクレジットカード文化なのでほとんど現金は持ち歩かないが、少しだけ換金しておいたのは正解だった。3つのスーツケースを乗せてカートを押すと、ガッタガッタガッタガッタと不穏な音がする。8ドルでこのクオリティ、これぞアメリカ、と懐かしい気持ちになる。

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お酒を持ち込んでいるので一応税関に並ぼうとしたら、係のお兄さんからなんか並ぶ必要あるの? と訊かれたので、サケを持ってきてるんだというと、サケはいーよ、と言われたので、結構持ってきたけどホンマにええんか? と思いながら出口へ向かった。ソフトバンクはアメリカ放題というサービスがあるのだが、なかなか立ち上がらないので、空港のWiFiを利用してUberを呼んだ。

今日泊めてもらうSequoia Sake──サンフランシスコで2015年にアメリカ人の男性と日本人の女性夫婦がオープンしたサケブルワリーで、わたしは2020年まで彼らのお宅のお部屋を借りていた──のNorikoさんから、鍵の隠し場所と、自分たちは蔵で作業があるから夕方に戻る、というメッセージが届いたので、返事をする。Uberに運ばれる途中でようやく電話がつながり、アメリカ放題のシステムを説明するテキストがポンポンと飛び込んできた。LINEでMeiに「ついたよ」とメッセージを送る。

指示のあった場所で鍵を拾い、サンフランシスコの家は2階に入り口があるので、3つの荷物をひとつずつ抱えながらえっちらおっちらと階段を登る。鍵は相変わらず、ドアノブをちょっと引っ張りながらじゃないとうまく回らなくて、自分がその感覚をまだ忘れていないことが少しうれしかった。

扉が開く。懐かしい廊下を、ゴロゴロとスーツケースを転がしていく。今回泊めていただくのはわたしが以前住んでいたのとは別の部屋で、ベッドやソファのあしらいがかわいらしく、壁にいくつかの絵画が掛けられたコンフィな空間だった。

窓際に、Sequoia Sakeの商品がディスプレイしてある。その途端、不意にじわりと涙があふれた。一年振りだ。帰ってきたんだなぁ。

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荷物から、お酒を取り出す。今回運んだのは10本。うち5本は、今回泊めてくれるSequoia Sakeのファミリーへのギフトだ。無料で泊めてくれると提案してくれたのだが、それならビジネスクラスで荷物をたくさん積めるから何かお酒を持っていきたいと伝えたところ、リクエストしてくれた。代金は支払うと言ってくれたが、断った。サンフランシスコで2、3週間以上の宿泊先を探そうとするとそれなりの値段がするので、5本分のお酒など安いものだ。梱包を解き、キッチンの冷蔵庫に入れる。10本とも無事だった。

そのままシャワーを浴びて眠ってしまおうかと思ったが、自分用のドライヤーが欲しいのと、喉が乾いていたので、徒歩すぐのターゲット(スーパーマーケット)へ向かった。どうせ今回の旅でしか使わないのだが、せっかくなら誰かに譲れるレベルのいい機能のやつにしようと思ったが、どれも似たようにしか見えなかった。ビールを買おうか少し迷ったけれど、機内で散々飲んでいたので、コンブチャを購入した。

サンフランシスコは、日が照ってぽかぽかと暖かかったが、海に囲まれているからか、風が吹くとひんやりとする。気候のよい場所だ。

部屋に戻り、シャワーを浴びる。温かいお湯に包まれると、身体中が息を吹き返すようだった。風呂はいいな。買ったばかりのドライヤーで髪を乾かす。ベッドにもぐる。スマホを見る。まだ8月25日。目を閉じる。8月25日の睡眠をやり直す。

知人の方から、「たまには自分の内面について、ただ起こったことを時系列に書いてみたら、と言われたので、今回のアメリカ旅行についてだらだらエッセイを書いていこうと思います。自分について書くよりも、外側について書くことを優先してしまいがちなので、早くも不安ですが完走できるといいなぁ。

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Saki Kimura / Sake Journalist
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