カネとナカタと日本酒と 〜その愛が、酒を殺してしまわぬように〜

中田英寿が話題である。日本酒ファンのあいだで。
この記事が公表されてからのことだ。

元サッカー日本代表・中田英寿氏は現在、日本酒を世界に発信すべく、さまざまな取り組みをおこなっている。
そのプロジェクトの中で、彼がプロデュースしたオーダーメイド冷蔵庫「MIYABINO」。
これが297万5000円(組子オプション付360万円)と高額であるがゆえ、ある一定数のひとびとの気持ちに火がついてしまった。
簡単に言えば、「中田氏は日本酒を使ってお金を儲けようとしているのではないのか?」と疑ってしまっている、ということだ。


遠回しに説明してゆくと誤解を招きそうなので、結論から書こうと思う。

中田氏が日本酒を使ってお金を儲けようとしているとかいないとか、どうでもいい。

乱暴な言い方になってしまい申し訳ないが、あえてこう言ってしまう。

断っておくがわたしはお金持ちではない。大学卒業後に稼いだお金はほとんどが留学費用とアメリカ最高物価を誇るカリフォルニアでの生活費に消えたため、どちらかというとお金がないほうの人間である。
それでも、たとえ誰かが日本酒でお金を稼ごうとしていたところで、別になんとも思わない。
わたしもお金は欲しい(というか必要だ)。しかし、たとえ誰かが日本酒でお金を稼ごうとしていたとして、特別な感情を持つことはない。

ところが、中田氏が高級な冷蔵庫をつくることは、多くのひとにとってはどうでもよいことではなさそうだった。
それはなぜなのだろうか。


まず、なぜ冷蔵庫がこんな金額になりえるのか。
GetNaviの記事によれば、この冷蔵庫は

・2部屋それぞれで1℃単位の温度設定(-5℃〜20℃)が可能
・複層真空ガラスはUVカット機能つき
・注入式発泡ウレタンを使用して断熱性を向上
・抗菌処理を施してあるため開栓後の保管も安心
・サイズ、部屋数、外装仕上げは好みに応じて選択できる

といった多機能を搭載しているらしい。
こんなに多機能、かつオーダーメイドで300〜400万円というのが高いのか安いのかはさて置いてしまおう。「こんなに多機能だから高額なんですよ」と言ったって、気にくわないひとは気にくわないのだから、厳密に調べる必要は今のところあんまりない。
わたしは買わない。まぁ買えないのだが、そもそも別に要らない。サンフランシスコは涼しいうえ、わたしの部屋はガレージ裏で日当たりが悪く、暖房設備も導入していないため、酒類の保存に最も適した天然の冷暗所なのだ。
それだけである。自分の買わないものが高額であることになんの妬ましさも感じない。ふーん、お金持ち用なんだなぁ。それだけである。

にもかかわらず、この記事が公開されたとき、憤るひとびとがいた。
それはなぜなのだろうか。

答えはおそらく、みんなが日本酒のことをめちゃくちゃ愛しているからだろう。

わたしは冷蔵庫の値段なんかよりも、その心の動きのほうによほど興味を動かされ、中田氏のプロジェクトではなくこの愛こそが日本酒(SAKE)の未来を潰してしまったらどうしよう、とほんのり恐ろしくなった。
この愛が、我が子を思うあまりその可能性を潰すモンスターペアレントみたいになってしまったらどうしよう、と。


実は、わたしには中田氏の日本酒関係の活動にネガティブな気持ちを持っていた時期があった。
中田氏の日本酒への関わりを知った当時、留学を志しつつ日本で編集者・ライターとして細々と活動していたわたしは、美容院で偶然手に取った雑誌『VOGUE』のインタビューの中で、彼の「日本酒はワインのように高級化してゆくべきだ」という意見に触れた。
そのときは、日本酒には毎日の食卓に登場するようなカジュアルな飲みものになってほしいと感じていたので、「こんなことをしたら、日本酒が近寄りがたいものになってしまうんじゃないか」と顔をしかめてしまった。

ところが二年前にアメリカへ来てからというもの、その意見は変わった。
わたしが現在住んでいるカリフォルニア州のサンフランシスコという街は、アメリカの中でもダントツで物価が高い。
日本では500円で済むようなサンドイッチに2000円ほど払わねばならず、しかも日本のスーパーやコンビニのお惣菜のほうがよほどおいしかったりする。
このように、クオリティが低〜中レベルのプロダクトに高額なお金を払わねば生きてゆくことができない状況で生活をしていると、「こんなものにお金を払うくらいなら日本のハイクオリティな商品にもっとお金を払いたい」という気持ちになってくるのだ。
(当然サンフランシスコにも高クオリティなものはあるが、容易に手を出せる金額ではない)

加えて、現在働いているアメリカ初の日本酒・SAKE専門店True Sakeでは、現地のひとびとが、日本での売価2000円前後の日本酒に40〜60ドルほどを支払ったり、100〜200ドルのハイエンド商品を味も聞かずにぽんぽんと買ってゆくのを目のあたりにする。
こういう環境にいると、「日本酒、高く売ってもいいんじゃないか。だって、それだけ素晴らしいものなんだし」という気分になってくる、というのはある。
日本のひとが支払う必要はないかもしれない。しかし、それにふさわしい価値をつけてくれるひとが世界にいるのだとしたら、価値をつけてもらってもよいのではないか、とは思うのだ。


中田氏の冷蔵庫の一件からほどなくして、こんなニュースが報じられた。
日本酒ファンが、クラウドファンディングを通じて、酒造の取り組みをお金で支援する動きが活発になっているという話題だ。
この記事の中では、クラウドファンディングサービス「Makuake」を通じた千葉県・飯沼本家、兵庫県・白鶴酒造やパリで酒造をオープンする山形県の若手チームWAKAZEのプロジェクトが取り上げられていた。

ここで話を若干ズラそう。

わたしは昨夏までUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)でジャーナリズムを学んでいたのだが、そのとき、各クラスの教師やゲスト講師に必ず「広告を失ったメディアはどうやってマネタイズをしてゆけばよいのか?」という質問をしていた。
“実際に手を動かす”ひと、すなわちクリエイターに相応の報酬が支払われるメディアを作りたいと思っていたからだ。

明確な答えは得られなかったとはいえ、いくつかヒントになる要素はあった。
そのなかのひとつが、とある授業のテキストにあったフィランソロピーというキーワードだ。
フィランソロピーという言葉にはさまざまな解釈があるが、ここで言うのは愛に基づいた経済的支援。
モノやサービスにお金を支払うのではなく、愛をお金というかたちで相手に届ける、ということだ。

これを聞いて思い出したのが、日本のファン(アイドルやアニメなど)って、「推し」に課金をするよなぁということだった。
どこへいくかわからないものにお金を支払うのではなく、自分が愛するもの・応援するものに直接お金を届けるという手応え。
このブログサービスnoteが支持される理由の一端にも、有料購読や「サポート」という投げ銭の仕組みがあるだろう。

クラウドファンディングとは、「推し」への愛を金銭化する最高のシステムなのかもしれない。
日本酒ファンとクラウドファンディングの相性がよいのは、日本酒ファンの造り手へのリスペクトや、プロダクトそのものへの愛着が強いゆえ、とも考えられる。
ソーシャルメディアを眺めていても、日本酒に関わるひとびとはどうしてこんなにエモーショナルなんだろう? と思わされることはしばしばある。
(これについてはまた詳しく書きたい)

愛するものにお金をあげたい。
その愛は一方で、「アウトサイダー」への視線の厳しさを生む。
中田氏が高級冷蔵庫を売ることに対して、言ってしまえばもともと“専門外”であるひとへの、「どうして俺たちの愛する日本酒を使ってお前が利益を得るのか?」という反発はあるのかもしれない。


話を冒頭まで戻そう。
わたしは、「中田英寿が日本酒を使ってお金を儲けようとしているとか、いないとか、どうでもいい」と言った。

問題は中田氏ではない。
たとえば万一、この件をきっかけに彼が日本酒業界から身を引いたとして、それが日本酒(SAKE)の未来のためになるだろうか。

わたしたちが見ているのは中田氏ではなく、彼の姿を借りた仮想敵である。ナカタヒデトシという概念である。
根本の問題は、中田氏がする何かではなく、中田氏しかいないことではないか。
それは、中田氏ほどの知名度と経済力と影響力を持って、日本酒(SAKE)に興味がないひとを日本のみならず世界規模で巻き込んでゆけるひとが、ほかにいないということである。


今回の話題の中で、こんな意見も聞いた。
彼の嗜好には偏りがある。中田氏が評価する日本酒は、氷温冷蔵などでクオリティを保たねばならぬようなキレイ系の日本酒が多く、その他のタイプの日本酒は軽視されがちだ、という。

この真偽はさておこう。
だって、中田氏は、中田氏の好きなタイプのお酒をプロデュースすればよいのだから。中田氏ひとりがあらゆるタイプの日本酒をカバーする必要は、あんまりない。
問題は、中田氏のカバーする範囲外の日本酒を支援するひとの中に、中田氏レベルのパワーを持っているひとがいないということではないか。
彼のようなひとがほかにいないゆえ、あたかも「中田氏のやることが日本酒業界のすべてに影響する」みたいになってしまうこの現状が、最大の問題なのではないか。


中田氏のやっていることは、日本酒が、SAKE が世界に広まってゆくうえで必ず有益なことだろう。
誰かの怒りが他者をこきおろし、日本酒が世界で飲まれる芽を潰してしまうのだとしたら、それこそキミは本当に日本酒を愛しているのか、と尋ねてみたくなってしまう。

中田氏に限らず、わたしは日本酒やSAKEを飲む人口をひとりでも増やすことができるひとのことを、めちゃくちゃ素晴らしいと思っている。“日本酒エバンジェリスト”を名乗るひとびとの活動を眺めながら、「日本酒を利用して目立ちやがって」「お前の愛はニセモノだ」などとは思わない。
わたしにとっての最優先事項は日本酒(SAKE)が世界中で愛される飲み物になってゆくことだ。
いろんなひとに日本酒を、SAKEを、勝手に好きなように愛してほしいし、広めてほしい。それと同じ強度で、中田氏にだって、勝手に好きなようにがんばってほしい、と思っている。


この話題がタイムラインに流れたときに、わたしは「俺が別方向の中田英寿になってやるぜ!」とツイートした。
中田氏に文句を言うひとはいたけれど、「しょうがねーな、じゃあ俺がやってやるぜ!」と言うひとが、なぜかいなかったからだ。
クラスの保護者会でPTA役員を募ったときに誰も立候補せず、沈黙が苦しくて思わず手をあげてしまったお母さんみたいになってしまったが、いやいや手を挙げたわけではなく、本音だった。

知名度も経済的も影響力も、中田氏の1%もない。ついでに言うと重度の運動音痴だ。
しかし、日本酒への愛はたぶん、中田氏に負けてはいない。それだけでわたしは別方向のナカタヒデトシになってやる、と思う。
幸いにしてわたしは骨太な純米酒が大好きだし、生酛や山廃、熟成酒も好きだし、あるシチュエーションにおいては普通酒が純米大吟醸よりもおいしくなることを知っている。
中田氏は保存状態の悪い日本酒を飲んで「まずい」と言ったというが(この記事もまたタイトルに悪意があるなぁと気の毒になるが)、わたしは劣化した日本酒(SAKE)をおいしく飲む方法も知っている。

別にわたしでなくともよいのだ。いつかわたしが手を挙げたことや、こんな記事を書いたことなど忘れられて、自分よりもずっとすごいひとが中田氏と別のアプローチで日本酒を世界に広めるのかもしれない。それは最高だ。わたし以外にもそういうひとがいっぱいいたらうれしい。わたしはわたしのできることをやるし、みんなでいろんな方向でがんばっていこう、と思っている。


だいぶ長くなってしまったけれど、長くなってしまったついでに。
本日、アメリカのアリゾナ州の地酒蔵Arizona Sakeが、ロサンゼルスにて開催されたワインのコンペティションにおいて受賞したという報を受け取った。

アメリカに於いて、SAKEはワインの1%のシェアしかない。
我々の敵は、SAKEではない。ワインである。10ドルを下る格安品からハイエンド商品までの幅広いラインアップを誇り、スーパーや酒販店のアルコールセクションを独占し、SAKEの99倍の飲み手を持つこの巨大な飲み物、ワインなのである。
そんな“大敵”を前にして、1%ぽっちの我々が共食いをしている余裕はない。

高級路線だけではだめで、大衆へのマーケティングだって必要だ。マニアの満足度を高めるだけではなく、ビギナー向けのエデュケーションもしなければならない。インポートだけでなく、ローカル酒造の為す役割だって大きい。
いろいろな方向からのアプローチが必要になる。足並みをそろえる必要はない。手と手を取り合う必要もない。しかし、ひとりでは現状を打開できない。ばらばらでよい。それぞれの方向性を尊重しあって、このギャップを少しでも小さくするために、切磋琢磨しあわねばならないのだ。
ゴールポストに一生懸命しがみついて、敵陣に飛び込もうとした味方の足を引っ張る選手がいれば、スポーツマンシップに反する以前に、自滅したいのか、とツッコみたくなってしまうだろう。俺はこっちを攻めるから、お前はそっちをマークしろ、それでいいじゃないか。サッカーについてはいまだにオフサイドを理解できないレベルの知識しかないけれど。

Arizona Sakeは日本で蔵人の経験を持つ櫻井厚夫さんが営む酒蔵だ。
今回の受賞の報を聞いたとき、アメリカのSAKEは、ワインマーケットの中で確実に存在感を示し始めている、と体が震えた。
そうして思う。
いまはほとんど誰も注目してくれないけれど確かに”外”を見つめているアメリカのSAKEは、誰かが足の引っ張りあいをしているあいだに、もっとすごいことをしてしまうかもしれないぞ、と。

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Saki Kimura / Sake Journalist
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