国税庁「サケビバ!」ならびにその批判について考えてみる
国税庁が主催するビジネスコンテスト「サケビバ!」が話題だ。
7月1日に公募が開始したときは、酒類業界内でも特に話題にはなっていなかった。ビジネスコンテストだし、興味を持つ人は限られるかもしれない。そして、特典にそこまで旨味がない。
(賞金がもらえるならともかく、交通費支給……)
最優秀賞受賞者は事業化に向けた支援をしてもらえるとのことなので、この段階で補助金などが申請できる可能性はあるけれど、酒類ビジネスを本気で考えている人の場合、エントリーによって自分のビジネスプランが人目に晒されるというのはリスクが高い。「それなら普通に補助金もらって自分でビジネスやろう」となりそうだ。
そんなビジネスコンテスト「サケビバ!」が、いまになって、注目を集めている。海外ニュースで取り上げられたのをきっかけに、著名人の批判が集まった。
彼らのフォロワーを中心とした批判が起こり、それが改めて海外ニュースで取り上げられ、海外のTwitterユーザーがそれに言及し……という流れである。
(追記)海外メディアの報道っぷりがわかる、Google1ページ目。
「サケビバ」「sakebiba.jp」などでTwitter検索するとさまざまなツイートが出てくるのだが、だいたいこんな批判が多い。
まあともかく、いろいろなことを言われている。
当初、この話題を見たときは、「まあ、企画もツッコミどころが多いし、批判している人の論旨も必ずしも正しくないしなぁ」としか思っていなかったのだが、考えれば考えるほどモヤモヤしてきてしまった。なのでこのnoteを書いている。
気になるところを見ていこう。
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これはわたしがTwitterでフォローしている方の発言でハッとさせられたことなのだが、酒類は国税庁の管轄下にあるということを知らない人は多そうだ。
食料関係だし、パッと見、農林水産省とかがやってそう。でも実際、日本のアルコールは国税庁が管理している。製造や販売免許もだし、輸出関連事業も国税庁が担当しています。
知らない人からしたら、いきなり「税」を冠した省庁が「お酒を飲め!」と言ってきたら、「税金のために無理矢理お酒を飲ませようとしている!」と思ってしまいそうではある。
次に、税収を確保するためにやっているのでは? という意見について。まあそうだろう。
かつて(明治時代)、酒税は国の税収の4割を占めており、国庫を支える大切な財源だった。しかしここ最近は数%で推移しており、2020年には1.7%まで落ち込んだ。かなり存在感が薄くなってしまったとはいえ、減っていくよりは増えたほうがいい。税収を確保すること自体は正しいことであり、問題はその方法と、使い道である。
(余談だが、海外生活を経験した身からすれば、日本はとても住み心地がよく、それは税金によって実現されているのだなと痛感する)
しかし、輸出事業に携わっていると、税収はもちろんだが、日本の酒造メーカーを保護しなければという気持ちもあるだろうと思わされる。日本酒の酒蔵は毎年どんどん潰れている。日本酒は伝統産業だし、日本の諸文化と切っても切り離せない関係にある。グローバルに戦っていくにしても有望な輸出品目だし(輸出額は12年連続最高記録を更新)、守れるなら守りたいだろう。
とはいえ、国税庁がすべきことはビジネスコンテストなのか? というツッコミは、あっても仕方ない。
そもそも要項の中に「新型コロナウイルス感染症の影響によるライフスタイルの変化等により、国内の酒類市場は縮小傾向にあります」とあるが、以前、下記2本の記事で提言したように、緊急事態宣言などにおける飲食店の営業制限・酒類提供の禁止に関して、国が講じた施策は正しかったとはいえない。
そのうえで「若者がお酒を飲まないので若者にビジネスを考えてもらおう」と提案されたら、「えっ、何言ってるの?」とはなる。
わたしはいまの日本においては、国が設けた制度によって民間の事業者が自由に動ききれない部分があり、そうした法制度の見直しをおこない、経済活動が最も活性化する環境を整えることが、行政機関の果たすべき役割だと考えている。
最後に、大したことではないが、「sakebiba」というスペルについては、おそらくこの企画が「真剣10代しゃべり場」をモチーフにしており、「叫び場」→「サケビバ(Vivaとかけた)」としたのが原因ではないかと読んでいる。真相はわからないが、英語のスペルはvivaにしたほうがよかったと思う。
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まあそんな感じで、イベントそのものについてはわかるところもあるし、ツッコミたいところもあるというのが日本酒/SAKEジャーナリストとしてのわたしの立場だが、今回のことを受けて、お酒までがボロクソに言われているのを見るのは、切なくも勉強になる機会だった。
お酒は体に悪い。そのとおりだ。わかっていて、そのうえで、わたしは好きだ。お酒を好きじゃない人には飲ませたいとは思わない。
(アルハラは大嫌いだ。お酒がもったいないし、お酒をさらに嫌わせるようなことをするなんて、酒飲みの風上にも置けない)
緊急事態宣言下に酒類の提供が禁じられたとき、酒類業界やファン界隈では、「お酒は悪者じゃない」という発言が見られたが、酒類提供者ならばあまり相応しくない発言だし、お酒と正しく向き合うことができていないと思う。
20世紀初頭に、アメリカを中心とした世界中の国々で、なぜ禁酒法が施行されたのか。世界各国のアルコールについての文献読んでると、酒類が引き起こしてきた犯罪、病気、社会的退廃を嫌でも突きつけられる。
そのうえで、理解したうえで、わたしは酒を飲むのだ。
そこには理由がある。その理由に基づいて活動している。
(いずれ、どこかで書きたい)
しかし、それは果たしてどれだけの人を説得できるものなのだろうか? と、「お酒なんて飲むべきではない」「アルコール消費量が減っているのはよいことだ」という書き込みを見つめながら、考えた。
少なくとも、当事者たちがアルコールの“悪”をしっかり直視できないようであれば、このままクリーン化していく世界の中にどんどん飲み込まれていってしまうだろう。
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近所にスーパーマーケットができた。アメリカに住んでいたころに通っていたグロサリーストアを思い出させるおしゃれなレイアウトだった。
酒類コーナーで、壁一面、天井に至るまでワインがぎっしりと並んでいた。かっこいいな、と素直に思う。ワインはヨーロッパ諸国が誇る伝統文化だ。お酒を飲まない人でも、これは理解してくれるんじゃないだろうか。
酒類市場の発展・振興を願うのは悪いことではないはずだ。しかしそれは、多くの人にとって、どんなメリットがあるのだろう? 国をあげて取り組む事業でも、お酒でなかったらどうだろう。スポーツ、音楽、アニメ、伝統工芸、などなど。批判が起こらないのだとしたら、それは当事者以外にどんな価値をもたらしているのだろう。
お酒を愛する人こそ、これは素晴らしい飲みものなのだ、と、盲目に、独善的になってはいけない。伝統文化だから守られて当然と、あぐらをかいてはいけないのだろう。
そうした現実を見つめさせられ、これから何を学ばなければならないのか、何を考えていかなければならないのかを理解した。答えは、これから出していこう。