誰か、早くここへ来てくれないか━━日本酒づくり新規参入への提言
空と砂しかない世界だった。フロントガラスが映す果てしない砂漠を眺めながら、運転席に座る櫻井さんは、「わざわざこんなところまで、すみません」と苦笑いした。
「超興奮しています」、わたしは応える。「こんなところでSAKEが造られている、それは希望でしかない」と。
米アリゾナ州、人口たった5000人の町ホルブルックでArizona Sakeを営む櫻井厚夫さんのもとを訪れた矢先のことだった。一泊二日の弾丸旅行から帰り、長距離移動の倦怠感にどこか心地よさすら覚えながら、布団に潜ろうとしていたとき、Twitterのタイムラインに下記のニュースが流れてきた。
「日本酒づくり、新規参入を許可へ 輸出向け特化 政府が酒税法改正へ」
ついに、このときが来た!
知らない人のために軽く解説をすると、現在の日本では日本酒の製造場を新しく作ることが許可されていない。
この話をアメリカの知人に教えてあげたら、ぎょっとされてしまった。アメリカはクラフトブルワリーの新設は行政からむしろ推奨されており(税制面でも優遇される)、ビールに関していえば世界No. 1のブルワリー数を誇る。最近となっては、SAKE(※)を造るローカル酒造も増えてきた。
そんなアメリカに生きる彼らにとって、日本酒の母国である日本に於いて、日本酒の醸造所が新たに誕生することができないという事実は、「異様」なことのように感じられてしまうのだ。
Arizona Sakeの櫻井さんは、日本国内で10年にわたって酒造を行い、杜氏としての経験も持つが、「日本では自分の酒造を立ち上げることができないから」と、2015年にアメリカへやってきた。
日本で新たに酒造を始めることができなければ、日本酒造りに情熱を持つ人々は、櫻井さんのようにどんどん海外へ出ていってしまうかもしれない──そのとき、日本はそれでよいのだろうか。
アメリカをはじめとする世界のSAKEを追いかけているわたしは、日本における酒造メーカーの新規参入が認められることを心待ちにしていた。
アメリカで行政がクラフトブルワリーを推奨しているのは、その経済に与える効果が大きいからだ。
日本で新しく酒造メーカーを立ち上げることが可能になれば、同じような経済効果が生まれうる。既存の酒造が持つ既得権益は機能しなくなり、よりよい日本酒を造るために互いが切磋琢磨し合う。革新的な取り組みが行われ、日本酒はより飲み手にとって身近なものになり、業界は活性化してゆくかもしれない──。
日々、心待ちにしていた未来が、まさかこんなにも早く実現するなんて!
わたしは飛び起きてリンク先の下記の文章を読み、盛大にずっこけた。
輸出のためであれば製造場の国内新設を認める
輸出向けに限定することで、国内販売が中心の既存の酒蔵などへの影響は最小限に抑える
輸出向け。そう。この改正案によれば、新たに誕生した酒造メーカーは、そのお酒を海外でしか売ることができず、日本国内では販売することができないというのだ。
わたしは、うろたえた。
「はじめの第一歩」
「状況を一気に変えることはできない」
「これから変化してゆくうえでの大きな前進」
Twitterのタイムラインに流れる 日本酒関係者の意見を眺めながら、それもそうだ、と自分を納得させようとした。
もう一度言うが、わたしはそもそも、酒造メーカーの新規参入に賛成なのだ。この改正案はその方向へと向かっている。物事には段階が必要だ。ネガティヴな意見を言って反発を強めるべきではないだろう……。
ところが、一夜明けても頭の中を支配するのはこのニュースばかりだった。
はっきり言って、打ちのめされていた。めちゃくちゃ落ち込んでいた。
いまから、その理由を説明する。やや荒削りになってしまうし、例によって長くなってしまうが、目次を立ててみたので、少しずつ読み進めたり、好きなところだけ読んだりしてもらえれば、と思う。伝わるべき人にだけでも伝わってくれたらうれしい。
醸造サイドのご意見については、まさに海外で酒造ビジネスを立ち上げ注目されているWAKAZEのCEO・稲川さんが興味深いコメントをされていたので、そのリンクを貼るに留めたい。
わたしがこれから話すのは、「海外だけをマーケットに設定した新規ビジネスが果たして可能なのか」ということだ。
(※)SAKE ……日本酒と同じお酒だが、日本以外の国で造られたものは「日本酒」を名乗ることができないためこのように表記している。
■220億円分の日本酒がどうなったのか、誰も知らない
くだんの記事に書かれているように、日本酒の輸出額は9年連続で伸び続け、昨年には約220億円分が輸出された。それは事実である。
しかし逆に言えば、これ以外に手に入るデータはほとんどない。
極端に言ってしまえば、約220億円分の日本酒がどうなったのか、誰も知らないということだ。
なぜ、誰も知らないのか。
Mutual Trading(共同貿易)、JFC、Wismettac(西本貿易)といった貿易企業が、その実態を公表していないからだ(今回のプロジェクトに関わっている行政サイドは、彼らのデータを手に入れることができたのだろうか)。
また、アメリカのマーケットに於いては、ワイン市場のたった1%でしかない日本酒の売り上げは、データとして計上さえされないからだ。
スーパーマーケットへの流通状況については、ニールセンが出しているデータにGekkeikanやTakaraなど現地大手酒造メーカーの数値が掲載されている。
しかしレストランなど、業務用マーケットの数値はどこも公表していない。
日本からの輸入酒のほとんどがレストランで消費されるにもかかわらず、どのような商品が、どこに、どれくらい流通しているかという数値を、わたしたちは手に入れることができない。
日本から輸入された日本酒のほとんどは、レストランで消費される。海外では、日本酒を購入し家庭で飲むという文化がほとんど成立していないからだ。
220億円分の日本酒のほとんどがたどり着くはずのレストランの実態を、わたしたちは把握することができていない。
■海外市場から撤退した蔵の数を、誰も知らない
アメリカは、輸出量/輸出額ともに最大の日本酒輸出大国だ。
ところがその中でも、SAKEブームの中心地といえるサンフランシスコでさえ、レストランを数件訪れればそこで飲まれる日本酒が極めて限定的なブランドのみであることは容易にわかるだろう。
JETROの「日本酒輸出ハンドブック」(2018年3月改訂)にも、
現在、数百種の日本酒が米国内で販売されていますが、市場でよく売 れている商品は限られており、販売量では約8割が米国産、残り約2割の日本産も大半は有名銘柄の定番商品で占めているといわれています。
と書かれている。
昨年5月、ロサンゼルスに住んでいたころに書いた「アメリカで 日本酒ぜんぜん 流行ってない」でも述べたが、日本から国外への輸出が決定し、現地インポーター(貿易会社)のリストに乗ればすべてがうまく行くというものではない。
上記JETROのハンドブックにも「その市場規模は徐々に広がっていますが、輸入販売されている日本酒の種類も数百種におよぶため競争も厳しいといえます」と書かれているように、まず各インポーターは数百種類の日本酒を扱っている。
そしてそれらを実際に市場へと売るのは、「ディストリビューター」と呼ばれる人々になるが、彼らが一つひとつの酒造/商品に力を入れてマーケティングしてくれるとも限らない。
仮に熱心なディストリビューターがなんとか小売店/レストランとの契約に漕ぎ着けたとしても、担当者が変わればあっという間に契約が切れてしまう、ということはザラだ。
また、サンフランシスコの日本酒専門店「True Sake」の販売の現場にいた人間なので生々しく体験していることだが、実際にそのお酒を飲むお客さんにそれを届けるのは、小売店の販売員およびレストランのサーバーである。
ひとつの商品が実際にグラスに注がれ、消費者のもとに届くまでに、あまりにも多くの淘汰が発生しているのだ。
(やや話がズレるが、アメリカで最も洗練された日本酒ファンが育っていると言ってよいサンフランシスコにさえ、日本酒専門店はTrue Sakeの一軒しかないし、これら都市以外の州ではまだSAKEの認知度は高まっているとはいえず、当然日本からの輸入酒は出回っていない。日本における日本酒ブームと海外における「SAKEを飲む人が増えている」の実態は、毛色がまったく異なるのだ)
「海外市場、イケるって聞いてたからチャレンジしてみたけど、ぜんぜんうまくいかないじゃないか」──そう思って撤退した蔵も少なくはないだろう。しかし、わたしたちはその数を知ることができない(行政サイドは、その数を把握しているのだろうか)。
■「出したら終わり」の輸出体制
「アメリカで 日本酒ぜんぜん 流行ってない」の記事にも書いたが、アメリカ国内で最大の日本食レストラン数を誇るというカリフォルニアのスーパーマーケットや日本食レストランでさえ、老ね香(劣化臭)のついた商品が蔓延している。
現場での教育が十分に為されていないのだ。
貿易企業に勤めていたとある方に話を聞いたところ、たとえ「この商品は必ず冷蔵保存をしなくてはいけない」というルールを設けていたとしても、それを強要すると商品を取り扱ってもらえなくなってしまうため、卸の時点で条件を妥協するという例は多々あるらしい。
また、これは販売の現場にいたときにしみじみ感じたことだが、老ねた商品があったときに、「人のせい」にする人があまりにも多い。
小売店は「ディストリビューターかインポーターのせいではないか」と言いがちだし、ディストリビューターは「インポーターのせいではないか」と言いがちだし、インポーターは「ディストリビューターか、日本からの輸出時に何かあったのではないか」と言いがちだ。
「これは自分たちのせいだから、改善しなくては」と責任を取ろうとする人が、あまりにも少ない。撤退した酒造の中には、輸出先でのコンディションがネックになったところも少なくないと聞く。
(ちなみにTrue Sakeはもともとストレージ環境がよかったとはいえ、わたしの提言も加わって保存方法にかなりの改善が為された)
一方、アメリカ国内だけでなく、日本側にも問題はある。
たとえば、アメリカに届く商品の中には、製造年月日の書かれていないものが結構ある。
True Sakeではディストリビューターから届いた商品の製造年月日を確認し、一年以上前のものは返品するという作業があったため、わたしはどの酒造が製造年月日を書いていないかを把握している。
そもそもの製造年月日の表記の曖昧さ、については、ここでは一度議論を置いておこう(いつか必要を感じたら書くつもりだ)。
確かに、日本の酒税法で製造年月日の明記が定められている一方で、アメリカでは義務化されていない。酒造によって、いろいろな事情はあるのかもしれない。
しかし、製造年月日が書かれている商品に混じって、書かれていない商品があると、アメリカの飲み手たちが「何か隠しごとでもあるのか」と不審がるのは事実だ。
これに関係して、「獺祭」の話をする。
リコールの話は耳に新しいだろう。ラベルに表示されているアルコール度数と、実際に中に入っているお酒のアルコール度数にばらつきがあった、という事態が発覚してのことだった。
このリコールはとうぜんアメリカにも適用され、True Sakeでも当該商品をチェックして返却する、という作業が発生した。
このとき獺祭から提示された当該商品のチェック方法とは、「製造年月日とそれに付随する記号」を見る、というものだった。
獺祭をはじめとした大手企業では、その商品がどの生産ラインで造られたものなのかを、製造年月日および記号などによって管理しているのだ。
このときわたしは、製造年月日の表示とは、「自社商品に最後まで責任を持つことの現れ」なのではないか、と学んだ。
こちらで精力的に日本酒の仕事をしている方が、「海外は捨て場ではない」と言うのを聞いたことがある。
わたしもそう思う。今年True Sakeが主催した一般向けイベント「SAKE DAY 2019」には、900人もの一般客が来場した。どの参加者も、酔っぱらうことを目的とはせず、各ブースで真面目に造り手/売り手の話を聞きながら、自分の好みに合うSAKEを熱心に吟味していた。
当たり障りのあることは言いたくないが、はっきりと警告させてほしい。海外の飲み手を甘く見ていたら、いつか大きなしっぺ返しが来る、と。
■輸出面の強化よりも、「輸出されたその先」の政策を
ほかにも、海外の日本酒業界における問題は山積みだ。
- あきらかに劣化した商品を平然と送りつけてくるメーカーや流通企業。
- 日本酒への愛情のない人々による、お金儲けだけを目的にしたビジネス。
- 人気酒造を囲い込むため、互いを蹴落とし合う企業間の軋轢。
言ってしまえば「治外法権」である海外市場には、解決しなければならない問題であふれている。
わたしがしばしばTwitterで、「誰かこっちへ来てくれ、一緒にここでがんばろう」と呼びかけているのは、いくつもの問題を目撃しているからだ。
日本が”今”すべきことは、輸出面の強化ではない。
100年後、1000年後にも、日本酒/SAKEが世界中の人々に愛されてゆく未来を築くためには、輸出されたその先への施策こそが必要なのだ。
■日本酒とは、なんなのか━━今回のニュースがショックだった理由
ボー・ティムケンは17年前、サンフランシスコにアメリカ初の日本酒専門店「True Sake」をオープンした。
今回のニュースについて話したところ、彼は眉を顰め、こうコメントした。
「日本酒というのは、そもそもローカルなものだろう。その地域の人々のために造られ、その地域の人々に飲まれ、その地域の人々に愛される。海外に売るために造られた日本酒に、果たしてよいシナジーは生まれるだろうか?」
この言葉に、はっとさせられた。
一日中、なぜ、こんなにも胸が塞がるのだろう、と考えていたが、彼の言葉が、答えを教えてくれた。
わたしが今回のニュースを読み、こんなにもショックを受けたのは、まさに前日まで、Arizona Sakeにいたからなのだと。
Arizona Sakeの櫻井さんは、人口5000人しかいないホルブルックの町でひとりSAKEを造り、砂漠の中を一時間半車で走り、飲食店の並ぶフラッグスタッフまで届けている。
「アリゾナで造られたSAKE、こんなの事件でしょう? 日本から来た男性が、ホルブルックから車を運転して、カートを引きずってお酒を持ってくる。彼はいつも笑顔で、SAKEについてたくさんのことを教えてくれる。ここに来るお客さんは、みんなアツオのことが大好きなの」
レストランの女性はそう語り、「彼について良く言うのは簡単よ、だって彼はすばらしいんだもの」とうれしそうに笑った。
櫻井さんだけではない。
先月訪れたカナダ・バンクーバーの酒造YK3 Sake Producerの春日井敬明さんは、「ウチの酒は、日本で造られる日本酒とは違う。カナダの人が『おいしい』と言ってくれるSAKEなんです」と語った。同じくバンクーバーでArtisan SakeMakerを営む白木さんも、ほとんど同じことを言っていた。
オークランド・Den Sake BreweryのYoshiさんは、「オークランドの人々は地元への誇りが強い。オークランドのSAKEだと言うと、それまで日本酒を飲んだことがなかったような人も飲んでくれる」と微笑んだ。
Brooklyn Kuraのテイスティング・ルームを訪れるのは流行に敏感なニューヨークの若者たちで、彼らを楽しませるために、BrandonとBrianはタップルーム限定の多彩な商品をコンスタントに生産している。サンフランシスコのSequoia Sake Companyは、Sake Clubというメンバーシップを設け、地元のファンに向けた限定商品やイベントでの交流を行っている。
世界におけるクラフトブルワリーの興隆とは、そういうことだ。
彼らは、「地酒」を造る。
それは目の前にいる人々を笑顔にするためのSAKEだ。
わたしは綺麗事や美辞麗句は嫌いだ。しかしこれは、わたしたちが立ち返るべき〝根っこ〟の話をしているつもりだ。
サンフランシスコには、Farm to Tableと呼ばれる動きがある。ローカルで取れた野菜を、ローカルに届けるというものであり、クラフトブルワリーの興隆もまた、この流れに大きく紐づいている。
ご存知のとおり、サンフランシスコをはじめとしたベイエリアは、ブルーボトルコーヒーやダンデライオンチョコレートなど、世界的な食ブランドが次々と誕生し続けるグルメの中心地だ。
しかしその根底には、Farm to Tableの魂がある。地元で作られ、地元の人々へ愛されたものが、世界の人々の注目をあつめ、世界へと飛び立ってゆく━━それが世界の流れなのだ。
急いで書いてしまった。リサーチが甘く、なるべくないと信じたいが、間違えてしまったところもあるかもしれない。
というのも、個人的な話になってしまうが、これまでは間違えることや誰かを傷つけることを恐れ、「今はまだ書くタイミングではない」と言い訳をしすぎていたように思う。今回のニュースは、「それではいけない」ということを思い知らされるものだった。
自分の知っていることを書いたつもりだが、もし粗があればここから軌道修正し、アップデートしていきたいと思う。
何度でも言うが、わたしの夢は、自分の愛する日本酒/SAKEが100年後、1000年後に世界中で愛される世界をつくることだ。
そのために、わたしは自分の知っている物語を伝えてゆく。