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新たな挑戦


みなさん初めまして、酒見美香です。

普段はみんなから「みかちろ」と

呼ばれていることが多いですが、

私のことはSakemikaでもみかちゃんでも

なんでも呼んでください(笑)

なぜ今日からブログを始めたかと言いますと、

本日29歳の誕生日を迎えました!!

三十路と呼ばれる年になるまでには

そう時間はかからず、

あっとういう間に年月は過ぎました。

と言ってもまだまだ気持ちは20代前半で、

年を一つとる前にしておきたかったことを

全て終えて今日を迎えることができ、

本当に嬉しく思います。

そのまず一つに、名字を変えました。

今までは2番目の父の名をもうかれこれ

25年間も使い、ずっと自分の名前は

好きではありませんでした。

でも法律上の関係で、名字を変えるには

家庭裁判所へ行く必要があり

変えられずにいましたが、

母(普段はママと呼んでいるので

以降ママの愛称で書きます)の協力もあり、

ようやく縁のある祖父母の名字を

名乗ることができました。

二つ目に、

ようやく自分が創る先の道筋が見えたこと。

そしてその道筋の第一歩を

踏み出すことができたことです。

ここから先は私のこれまでの人生も

振り返りながら書きたいと思います。



幼い頃から和の伝統文化には興味があり、

日本舞踊や茶道・織物・日本酒など

いろんな文化に触れてきました。

小学生の時、

日本伝統文化に関わる仕事がしたいとママに

「舞妓さんになりたい」

と言ったことがあります。

でも猛反対をされ

伝統文化では食っていけないと言われ、

本当に伝統文化では食ってはいけないの?

まだやったこともないのに

私だったらできるかもしれないのに、と

足踏みしていた幼少期を覚えています。

17歳の時、祖母が勝手に応募した

呉服屋さんの着物オーディションで

グランプリを受賞しました。

そのとき、着物に触れれることが幸せで

こんな仕事をしたいと思いましたが、

高校が看護科ということで一旦

看護の道を歩みました。

看護の就職をして3年後・・・

やっぱり夢は捨てられないと

呉服屋さんで会社員として就職するか

悩んでいたところに

京都の花街で当時女将さんを

されていた方との出逢いがあり、

お手伝いをさせて

いただくことになりました。

その世界は、今まで生きてきた世界とは

ほんとに180度違っていて、

右も左もわからないくせに

何が正解か聞くことさえできず、

結局、女将さんや関係者の方の心を

傷つけてしまいました。

初めての挫折。

そして挫折を経験したことで

自分の愚かさ、傲慢さに

初めて気づくことができました。

期間でいえばほんの数ヶ月だけど、

今思うとあの時が

ターニングポイントの一つで

あったように思います。

挫折した後の私といったら

脱力感で自信喪失して、

もうどの仕事も

むいていないのではないかと

心の底から思っていました。

そんなときに、一人の知り合いが

連絡をくれたのです。

「みかちゃん、

ちょっと手伝ってくれない?」

私「私で本当にいいんですか?」

「もちろん!

動いてくれる人を探しているんだから、

是非みかちゃんに仕事をお願いしたい」

この言葉は5年経った今でも

鮮明に覚えています。

その方は、媒体で地方の文化を海外へ向けて

PRしたり、海外のショッピングモールで

和に関するイベントを開催するなど

他にも多彩な仕事をされていて、

毎日が忙しいけど充実していました。

と、このまま続けるつもりだったのに、、、

突然ママからの電話

「家が緊急事態なの。福岡に帰ってきて」

まさに究極の選択でした。

そのとき、

挫折したときのことを思い出しました。


誰にも頼らなかったこと


もう二度とあの気持ちは

味わいたくないという思いで

ありのままの現状を相談しました。


「今すぐ帰りなさい。今している仕事は、またいつかみかちゃんにお願いすることはできる。その間、誰でも代わりを探すことはできる。でもね、みかちゃんにしかできないことってあるんだよ。大事なときっていう瞬間が。それが今だと思うから今すぐ明日にでも帰りなさい。」

私はこの言葉の優しさにすごく救われました。

それから4年間は実家にいましたが、

家族を助けたって言うよりも、

周りを見渡せば知り合いや友人、家族、

私を知っている人達から守られていることに

気づかされました。

その後、働いていた仕事先の転機により

昨年10月、

外からみる日本を知りたくなって

オーストラリアへ留学しました。

しかし、

今年の1月新型コロナウイルス到来。

帰国することとなりました。

さぁどうするか。

方向性が決まらぬまま、

とりあえず貯金しようと

応援ナースをしました。

せっかく帰ってきたんだからと

名字変更のため家庭裁判所へ行った際、

また新たな出逢いがありました。

そこはその市内では一番古い酒店。

そこに背が小さく小柄だけれど、

話せばエネルギッシュで

気さくな70歳の女将さんがいました。

そこのお店で受け継がれている日本酒「潮」


話せば話すほどワクワクして

1時間も日本酒について話していました。

「あなたには是非

唎酒師になってもらいたいわ。

そしてこれからの若い人達

に日本酒の良さを知ってもらいたい。」

その夜、唎酒師をとろうと思い調べていたら

MissSAKEオーディションというのを

見つけました。

これは、外務省、農林⽔産省、国税庁、

観光庁、⽇本酒造組合中央会等の後援のもと

開催された 2013 年 10 ⽉開催の

選考会において、初代の

「2014 ミス⽇本酒(2014 MissSAKE)」

が誕⽣し、現在は

①日本酒および日本の魅力を伝える事業
②地域の食・農産業に関する事業
③日本の伝統文化に関する事業

の3つの柱を軸に幅広く活動を展開している

というものでした。

まさにやりたいことだ!!と思い、

応募したところ一次審査が通りました。

2次審査は12月12日。

もし、名字を変えてなければ

新たな出逢いに出会すことはない。

もし、自分が行動しなければ

このオーディションを知ることはない。

全ては自分次第で良くも悪くも

転がっていくと思います。

もし今読んでるあなたが、私の記事を読んで

運がついてて幸せそうだなと思っていたら、

それは違います。

私は幼少期から思春期の頃まで

家庭環境は正直最悪でした。

でも、それは人のせいにしたって

何も状況は変わらない。

全ての運は自分次第だと思います。

それからこのオーディションは

あくまで道筋で、

私の人生は転倒虫です。

これがゴールじゃない。

失敗してもこれまた人生。

どう転がってもまた、

新たな人生を創りあげるのですから。

失敗しても後悔はしない。

たくさん転がっていいんじゃないかなって

思うんです。

どんな未来になるのか、

自分も今後が楽しみです。



役職や型にはまらない

「心に寄り添う看護師×???」

という自分をこれからも探し続けながら、

自分らしさを見つける挑戦は続きます。



またボチボチ書いていこうと思います。

今日、私をお祝いしてくださった皆様、

心から感謝申し上げます。

2020.12.5  

酒見美香





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