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シーワンはツーコンの一撃を喰らった
1985年8月13日に
『ファミリーコンピュータロボット ジャイロセット』(1985 FC)
が発売されたため、
『ファミリーコンピュータロボット ジャイロセット』
が37周年になりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384905789-csiUBVBqg3.jpg?width=1200)
「ファミリーコンピュータロボット」自体は
『ファミリーコンピュータロボット ブロックセット』(1985 FC)
と同時に発売されているため、
1985年7月26日の時点で37周年に突入しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384918203-1D3iSrH4D3.jpg?width=1200)
「ファミリーコンピュータロボット」は、
テレビからの光信号をキャッチすることで反応するつくりなので、
ブラウン管以外のテレビでは正しい反応をせず、
現在では遊べる環境がかなり難しくなっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384929328-ZLlCK91aq5.jpg?width=1200)
それゆえに今ではファミリーコンピュータで遊んでいた人よりも、
マイコンピュータテレビC1を使い続けている人の方が、
遊びやすい環境になっていると言えなくもありません。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384941166-FIlp494G9n.jpg?width=1200)
マイコンピュータテレビC1はファミリーコンピュータの互換機で、
ブラウン管のテレビの下にカートリッジの差込口がある、
大変便利なテレビでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384952929-upaQDPzO55.jpg?width=1200)
ところが、
ファミリーコンピュータ時代の中期になると、
『燃えろ!!プロ野球』(1987 FC)など一部のゲームが
マイコンピュータテレビC1で遊べない事態に陥ったため、
ファミリーコンピュータ時代が終焉するまで
マイコンピュータテレビC1を使い続けた人は
ほとんどいなかったのではないでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384968344-7X7jZ5a7JV.jpg?width=1200)
光線銃やバンダイのハイパーショットを使う際にも
ブラウン管のテレビが必要なため、
今こそまっとうにファミリーコンピュータのゲームを遊ぶ環境として
マイコンピュータテレビC1の時代が来た
と言えなくもありません。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384980085-03tS9t3zmP.jpg?width=1200)
しかし実のところ、
マイコンピュータテレビC1で普通に遊べないゲームの第1号こそが、
実は『ファミリーコンピュータロボット ジャイロセット』だったのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1660384993170-8TEMnXf8Fl.jpg?width=1200)
ファミリーコンピュータとマイコンピュータC1では
コントローラの形状が異なるため、
トレイに2コントローラをセットすることができず、
互換機の互換性はスペックのみならず
形状まで含めて維持されなくてはならないことを、
この出来事がシャープに教えてくれました。
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