世界を魅了する女性の醸し方 8杯目 ~大和桜を救ったブランデーケーキ。~
駅前の、昔懐かしいお米屋さん。
子供の頃に月刊漫画誌を買いに行っていたような、小さな本屋さん。
すっかり日に焼けてしまった、スーツで有名なチェーン店の看板。
東急目黒線・田園調布の1つ隣の町・奥沢は、懐かしい香りがたくさんする町だ。
駅から奥沢神社の角を曲がって3分ほど歩いたところに、昔ながらのケーキ屋さんがある。
静かな町にゆったり構えた、小さな洋菓子店・ロワール。
ガラスのドアが開いて1歩踏み入れると、ほんのり甘くて優しい香りに包まれた。
「いらっしゃいませ。」
まるで俳優さんのような、低温で優しい声のおじいちゃんが、奥から出てきてにっこり笑った。
小さな店内に大きく広がるショーケース。
ショートケーキにアップルパイ、シュークリームにサバラン…
シンプルでレトロなケーキやチョコレートがショーケース内に綺麗に陳列され、棚の上には焼き菓子たちが、所狭しと並んでいる。
「この品数、すごい…!」
その中で、1番端っこにいながらも、隠しきれない存在感を放って陳列されていたのが、お目当てのブランデーケーキだ。
「50年のロングセラー」
と書かれたブランデーケーキは残り3本。
手土産用に2本。
と、自分の分。
買い占めてしまうことが、なんだか申し訳ない。
「あの…すみません。ブランデーケーキ、3本、いいですか…?手土産に持って行きたくて…」
私が恐る恐るたずねると、
「はい」と、おじさんはにっこり笑った。
雨が降っているからと、丁寧にビニール袋に包んでくれたブランデーケーキはずっしりと重たい。
そのまま帰ってしまってもよいのだけど、
なんだか、どうしても伝えたかった。
「鹿児島に住んでいる方へのお土産なんですけど、このブランデーケーキがその方にとって特別なようなので、どうしても持って行きたくて。」
おじいちゃんはまた、深みのあるいい声で、
「そうですかぁ。覚えていただいていて、ありがとうございます。」
と、にこやかに会釈した。
このブランデーケーキに、救われた人がいる。
鹿児島県いちき串木野市で芋焼酎を作る、
大和桜酒造の若松徹幹さん。
“かっこよさ”と“お洒落”のど真ん中で生きていた人が、家業を継ぐために、鹿児島に呼び戻された。
「超だせぇ」
「誰よりもイケてる焼酎を作ってやる!」
そうやって内にこもって1人でひたすら焼酎を作っていた5年間を、自ら自分の「暗黒時代」と断言しているのは有名な話。
その「暗黒」から救ってくれたのが、このロワールのブランデーケーキなのだ。
自分の「黒歴史」を、恥ずかしいと思うことなく曝け出している徹幹さんのインタビューを、私は眩しく読んでいた。
全てを、「超ださい」と思いながら、”寿司屋”という家業に入った自分がそこにいたからだ。
洒落ていて、かっこよくて、流行に敏感な「今」の人達の心をがっちりつかんでいる同業者達を見ながら、「どうしてウチは新しいことができないんだろう」と毎日悶々とイライラしていた時期があった。
しかし、365日、年中無休で稼働する職場を眺めていて、気づいたことがある。
「どんなにかっこよくて、新しいことを“はじめる”よりも、変わらずにずっと”続けること”が一番大変で難しいことなのだ」と。
それはまさしく、ロワールのお店に入った瞬間に、そしてブランデーケーキを口に入れた瞬間に、肌で感じることでもあった。
「50年のロングセラー」というポップを見て、「いったいどんなケーキなのだろう」と期待は大きく膨らむ。
その期待が膨らめば膨らむほど、シンプルなブランデーケーキを見て「あれ?」っと思う人もいるかもしれない。
ロワールのブランデーケーキよりも高級で華やかで、豪華なブランデーケーキは、探せばいくらでもあるだろう。
ケーキにも包み紙にも「映え」などというものは、そこには全くない。
けれど、食べる人の味覚や嗜好が変わるであろう50年間に、ロワールのブランデーケーキはずっとそこにあり続け、ずっと愛されてきたのである。
思えば、我が家業も同じ「50年」という時代を経ているのということに、まさに今、これを書きながら気づいた。
世界には、「お洒落なもの」が溢れている。
きっと今日もまた、この瞬間にもどこかで
「映え」た「新しい」ものがたくさん生み出されている。
今日生み出された
「お洒落」で「かっこいい」ものは、
1年後、10年後、50年後に残っているだろうか?
何十年間、変わりなく作り続けること。
それがベストセラーであり続けること。
見た目の「かっこよさ」が溢れるこの時代に、
彼らの「かっこよさ」が、どれだけの人に響くだろう。
焼酎の仕込みの真っただ中。
徹幹さんは今日も朝6時から、ひたすら芋を洗っているのだ。