「ライフヒストリー」についての覚書
暑い日が続いております。流石にバテ気味の私です…。蓄積していきますね…。いつの間にか8月も最終日となってしまいました。
1ヶ月に一回noteを書いているのですが最近はいつもギリギリになってしまっています…。
今年は職場も変わったばかりで学会発表をする予定もなかったのですが、色々とあり…学会発表の準備をしています。2年ぶり?3年ぶり?の学会発表です。
2年前も今回も、ライフヒストリーをある程度収集したうえで、それを支援に活かすといった内容です。
せっかくなので、考えたことをまとめておこうかと思いこのnoteを書き始めました。
相変わらず勉強にはならない、私のお気持ち表明みたいな文章にはなるとは思いますが…笑。お付き合いいただける方はお付き合いください。
あくまで私はこうしているレベルの話なので突っ込みどころがあるのはご容赦ください…。
ライフヒストリーについて
今回はライフヒストリーという言葉を選びましたが、似たような言葉にライフストーリーだったり、日本語訳としては生活史といったようなものがあります。個人的には生活史というのがしっくりきています。
また作業療法の中では、どのような作業をしてきたかといった視点から作業歴という言葉を使うこともあります。
私は対象者の方に語ってもらったこと、どちらかといえば「物語」のほうが多いのかもしれません。
しかし、意志疎通に問題がある方や、記憶の問題で自分の過去を思い出せない方の「物語」をどう扱うか、という課題に直面することもあります。
そのような場合、本人が語る「物語」ではなく、家族や周囲の方々の協力を得て「ライフヒストリー」を捉えていくことが必要かもしれません。
ライフヒストリーをどのように知るのか
これはいくつかに分かれると思っていて、本人が語れる場合、本人が部分的に語れる場合、語れない場合くらいにパターンがあると思います。
本人に語ってもらう場合です。結構自由に今までの生活や、印象に残っている出来事、あるいは自然な会話の中で話題に上がった過去のことを、話の中で時系列を整えていくという形が多いです。
本人に語ってもらえる場合は、人間作業モデルのOPHI-Ⅱなども参考になるかもしれません。
本人が部分的に語れる場合は、家族などに協力を得ながら確認していきます。自由に話してもいいかもしれないですが、私はプール活動レベルの生活歴プロフィールを使用することが多いです。幼少期から今までが時期別になっていて、時期ごとに質問が書いてあります。紙面になっているため、複数人で進めやすいです。
本人が語ることができない場合は、家族などの周囲の方から情報を収集することになります。病院勤務の際には、コロナ禍で面会ができなかったため、家族にライフヒストリーカルテを記入してもらうことが多かったです。
作業療法の中でのライフヒストリー
作業療法(作業科学?)の中では作業ストーリーテリングとして、今まで行ってきた作業を喚起してもらい、それらを時系列に並べ、重要なことについて話し合って価値感などを分析していきます。その後、作業ストーリーメイキングでストーリーが将来へ続いていくように支援します。
詳細は以下に書いてあります。
一方で将来へ続いていくように支援できない方も多くいると思っていて、今までのストーリを振り返ること自体に意味があるのだというのが今の私の立場な気がします。
支援者の支えとなる
なぜライフヒストリーを知る必要があるのかといえば、もちろん支援の役に立てるため、敷いてはクライエントのためにといったところではありますが、支援者自らのためになるといった側面もあります。
医療の現場だと患者を脱人格化して捉えてしまう、極端に言えば物のように扱ってしまうことが意図せずして起こってしまう場合があります。クライエントのライフヒストリーを知るということはそれを防止する役割があると思っています。
まとめ
まとまらないんですが、まとめ…笑。
ライフヒストリーを語ることは、それ自体が意味のあることになる場合もある。また、ストーリーを共有することが、ストーリーのその先クライエントと作っていくための開始地点となることがある。また支援者がクライエントのライフヒストリーを知ることで脱人格化への抑止力となる。
こんな感じですかねぇ…。もう少し学会までに考えていこうかと思います。
ではまた!