天ドリルと鼻くそティッシュ
うちの豪州人は、天使とマンドリルを足して2で割ったものを天日干ししたような男だ。(天日干しする理由は顔がレーズンに似ているため。)
ただの天日干ししたマンドリルなら人生の伴侶になど選んでいなかったが、彼は決定的な要素である「天使の片鱗」を持ち生まれた。
うちの豪州人は、「助けられる人」なのだ。
受動態ではなく可能の意。
ダッシュさんが「人助け」について書いたこのnoteを読んで、真っ先にうちの豪州人のレーズン顔が浮かんだ。
困っている人を見つけたらすぐに飛んでいくうちの豪州人の慈悲深さを、私は非常に高く評価している。
今日は、それに関するストーリーを一つ、紹介しようと思う。
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あれは、約四年前。
久しぶりに母国で暮らしてみたくなった私が、うちの豪州人を日本に呼び寄せたばかりの頃。
うちの豪州人が勤務先から帰宅するやいなや、「バスで鼻くそティッシュをもらった」と告げてきた。
捨てたかったけど、ゴミ箱がなく仕方なくポケットに入れて持って帰ってきたのだそうだ。
割と大きなティッシュの塊が、ポケットから出てきた。
私もかつて、不気味な人に「剥がした爪10枚セット」をもらったことがある。
その類かと思いどんな人にもらったのかと尋ねると、バスで助けてあげたおばあさんがくれたのだという。
恩を鼻くそティッシュで返す。あまり聞かない話だ。
狐につままれたような顔で、うちの豪州人は全貌を語り始めた。
バスの中で、おばあさんが派手に転んだらしい。
このときまだ日本語を全然話せなかった彼は、天日干ししたマンドリルのような自分が手を差し伸べても怖がられるだけだ、と一瞬躊躇ったものの、そこに居合わせた他の乗客全員が見て見ぬフリをしたため「ダイジョブ?」とおばあさんを起こしてあげたのだそうだ。
その後程なくして、おばあさんが下車するときに彼のところにやってきて、ありがとうと言いながら手を握るようにぐしゃっと鼻くそティッシュを握らせてきt……
わかった。
それ、鼻くそティッシュとちゃう。
ティッシュの塊をほぐさせると、中からくしゃくしゃになった千円札が出てきた。
転んで恥ずかしいという思いと痛み。見て見ぬフリをする地域の人々。
しかしそこには、天使とマンドリルを足して2で割ったものを天日干ししたようなうちの豪州人がいた。
手を差し伸べて当然だと頭ではわかっていても、その当然が、意外と難しい。
そして人は、その意外と難しい当然の行いに、心から救われる。
嫌なこともあったけど、おばあさんの心は今とても温かいんじゃないだろうかと、くしゃくしゃになった千円札から推測する。
鼻くそティッシュだと思いこんでいたうちの豪州人は、その千円札で大好きなパルム(チョコのアイス)を買った。幸せそうだった。
そんな彼を見て、私も幸せを感じた。
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うちの豪州人は、天使とマンドリルを足して2で割ったものを天日干ししたような男だ。
少し目を離せば私が栽培中のもやしをつまみ食いしたりするけれど、今日もIKEAで人助けをしていた。
帰りに彼の好きなチョコミルクを買ってあげ、喜ぶ彼を見て私もまた幸せを感じる。
優しさは、人を優しくする。
非接触が推奨される世の中になってしまったけれど、人の温もりや優しさはなくならないで欲しい。
あぁ、大事なことを言い忘れるところだった。
タイトル部分の画像はマンドリルではなくマントヒヒだ。
それに気づけたあなたは今日、きっといいことがあるはずだ。
▲マンドリルはこっちね。おならは多分めっちゃ臭い。