#17 雄町について
今回の問題
雄町について述べよ。
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200字回答
雄町は150年の歴史をもつ酒造好適米の品種であり、山田錦をはじめ酒米の多くは雄町を先祖とする。当初は二本草と名付けられたが、育成地の地名から雄町と呼ばれるようになった。収量が低く栽培も難しいため、戦中・戦後に生産量が激減したが、近年は生産量が回復している。晩生品種のため、日照時間の長い岡山県で9割以上が生産されている。雄町で作られた酒は適度な旨味をもち、酒質にまろみがあって秋上がりする。(195字)
回答の要素
雄町について
150年以上の歴史を持つ、現在栽培されている中で最も歴史のある品種。
山田錦や五百万石など、酒米の多くは雄町を先祖とする。
9月上旬に出穂、10月下旬に成熱する晩生品種。
適度な旨味のある酒になる。酒質にまろみがあり、秋上がりする。
雄町の歴史
1859年、岡山県雄町村の岸本甚造が立派な穂を見つけた。
1866年、選出。もらった2本の穂にちなんで「二本草」と命名。やがて育成地である岸本の地元「雄町」という地名で呼ばれるようになる。
大正末期から赤磐郡軽部村(現在の赤磐市)の村長・加賀美章が雄町の宣伝に努める。
昭和初期の清酒品評会では上位を占めたが、戦中には収量の低い雑町の生産が激減。栽培の難しさゆえ、戦後も作付面積が約3haにまで落ち込んだ。
近年、岡山県内の蔵元らの熱心な働きかけによって復活栽培が推進され、岡山県内での作付面積は約500haまで復活した(2021年度推計)。
岡山県と雄町
岡山県は「晴れの国」と名乗るほど日照時間が長く、晩生品種である雄町の栽培に向き、9割以上が岡山県で生産されている。
雄町村近郊の赤磐郡部で作られたものは質が高く、「赤磐雄町」というブランドになっている。
回答の構成
・150年の歴史、多くの酒米の祖先
・二本草、育成地の地名から雄町
・収量低く栽培難、戦中・戦後に生産量激減、近年回復
・晩生品種、岡山県で9割
・適度な旨味、まろみ、秋上がり
回答の補足
雄町の魅力に取り憑かれた人たちを「オマチスト」と呼ぶが、品種による違いは素人には全くわからない。言われればそんな気がするのだが、ブラインドで当てるのはほぼ不可能である。
利守(2017)は、雄町復興ものがたり。『夏子の酒』もそうだけど、酒米復活はドラマである。江戸時代の熊本在来種「穂増」を使った 産土、石川在来種「巾着」を使った 吉田蔵u など。新しい酒米が開発されれば、同時に古い酒米も増えていく。
関連
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先人たちの回答
参考文献
J.S.A SAKE DIPLOMA 教本(Third Edition)p. 34
利守 忠義, 幻の米「雄町」米に魅せられて, 日本醸造協会誌, 2017, 112 巻, 5 号, p. 318-322
SAKE Street, 飲み手を魅了。酒米「雄町」の特徴を知る, 2019年5月14日, 閲覧2023年9月27日
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