『独占公開。東洋大学陸上部当該選手の想い。東洋大陸上部で、何が起きていたのか?』
筆者は箱根駅伝の25年来のファン。
『箱根』という文字を見ただけでもワクワクする。
箱根駅伝は、自分のライフワーク。
そして、この取材をしている時が正直一番楽しい。
陸上の競技経験はあるので、指導者の視点を学びたいと思い、一年間指導者養成講座にも通った。
福島大学陸上部川本監督そして、当時田村高校監督だった現札幌国際大学陸上部監督の下重氏の目から鱗が落ちる理論を、必死にメモに取った。
また当時トップハードラーだった久保倉選手の華麗な、見事なハードリーング、実技指導に感動した。
箱根駅伝、陸上競技が大好きだ。
もちろん東洋大学もいちファン。
なぜ今回の取材をすることになったか。
まず読者の皆さんに理解して頂くために、少し長くなるがご容赦頂きたい。
この件をセンセーショナルに取り上げようという意図は全く無い。
とにかく事実は何なのか?
ファンの視点と記者の視点。
どちらを優先すべきか悩んだ。
しかし今回は後者を優先せざるを得なくなった。
まずこの件を気付くキッカケになったのは当該選手のTwitter。
終日、SOSを発しているように感じた。
その後、東洋大学の応援掲示板に当該選手にDMを送った方の投稿が書き込まれた。
YouTubeには暴力行為があったということが、あるYouTuberのコメント欄に書き込まれていた。
目を伺う内容だったが、これは事実を確認しなくてはいけないという使命感に駆られた。
日体大のパワハラ問題が起こってから、日体大広報課への密着取材を続けていた。
日体大は選手側への取材は、広報課を通じて、というお願いがあったために、毎日広報課へ色々な問いを投げ掛けた。
広報課の対応は真摯で、答えられる内容は、全て一つひとつ丁寧に明らかにしてくれた。
その後の日体大記録会ではミスが起こってしまったが、その後の対応、そして再レースでの運営は感動する程、素晴らしものだった。
こういった一連の動きを取材していたので、東洋大学でいったい何が起きていたのか?
事実を伝えなければと思った。
ここから大学への取材を開始した。
大学への取材依頼を行ったことで、大学側は関係各所に聞き取り、確認を行い、広報部責任者の方から一連の回答文を口頭で頂いた。
それを全てメモに取り、齟齬が無いように一つ一つ確認した上で、掲載許可を取り、note上にアップした。
掲載一週間で1万5千アクセスを越えている。
noteでは、先週のアクセス数が4300前後で、次の週の頭、つまり月曜日に、先週最も読まれたノートの認定を受ける。
一週間で1万5千アクセスを超えているということは、それだけ世間の皆さんが注目している現れでもある。
当該選手の取材に戻る。
なお今回の記事は当該選手が未成年ということもあり
母親の取材許可、そして取材への全面協力を頂いている。
当該選手がTwitter発信以降、密書取材を続けているが、総取材時間は35時間を超えている。
そして当該選手は、何か起きた時に母親にLINEを送っている。
そのLINEを母親に呼び起こして貰い、それをもとに記事を書いていく。
そして今回の記事を書くにあたって、その現場に複数の方がいた場合、その複数の視点を照合して、記事にする。
あくまで客観性を保つためだ。
そして今回複数の選手の名前が出てくることになるが
一切の実名公表は控えさせて頂く。
この実名に関しては今後ご質問頂いても、お答え出来ないことをご了解頂きたい。
選手側の取材結果を全て広報課へぶつけたかったが
広報課としては、発表したコメントが全てとの回答の
ため、なるべく複数の視点を照合させて、これから時系列で追っていく。
まず当該選手が東洋大学を進路先に選択した時期に
タイムスリップする。
『設楽選手の背中を追って、いつか追い付きたい。』
これが選手の夢だ。
選手は過去都道府県駅伝に三回出場しているが、二回目の時、本人いわく納得いかない走りになったそうだ。
その時、設楽選手に『次、頑張れよ』と言って頂いたことが強く印象に残っている。
そして三回目の時、1区を担当し、区間9位。
チームの流れを作り設楽選手と共に埼玉県優勝に貢献することが出来た。
設楽選手には『良くやったな』と声を掛けてもらった。
お母様も祝勝会に参加され、本当に良かったと語っている。
高校三年の冬の駅伝シーズンは本当に調子が良くて都道府県駅伝以外に出場した、全ての駅伝で区間1位を取ることが出来た。
『当時は希望と夢に溢れていた』
設楽選手の背中を追って、いつか追い付けたらとの想いから、将来実業団HONDAに入社したいという希望もあった。
この希望がこの先の進路選択に重要な影響を与えて来る。
選手には約10チームのスカウトからの接触があったそうだ。
その中で最終的に選択肢に残ったのが東洋大学と
帝京大学。
帝京大学は中野監督からの『中学時代からずっと活躍を見ていました。』ということばに大変感動したとお母様、そして本人が語っている。
その熱心な誘いを蹴って、設楽選手を目標にするために東洋大学を選んだのだ。
2月に入寮し寮生活を送ることになるが、6月頃から本人が異変を感じ出した。
まず寝坊して坊主になったことがあったそうだ。
この時、同室の三年生が遠征で居なかったために、消灯後一時間程、二年生の選手は他の方とゲームチャットをしていた。
その声で寝れないことがあった。
その影響で寝坊してしまったかも知れないと本人。
消灯は22時。起床が5時。朝練開始が5時半。
起きる時に1年生は目覚まし時計では無く、携帯のバイブレーションで起きるそうだ。
ここで筆者が不思議に思ったのが、先に起きた先輩が
朝練行くぞと後輩を起こさないのか?
と思ったがそれは無かったそうだ。
先輩で起こしてくれる方は、中にはいらっしゃると語っている。
寮は三人で時々部屋替えがあるそう。
三年生1人。二年生1人。一年生1人。
起こす、起こさないは広報課が発表している、時をまもりという寮生活の基本を学んで貰うという意図が含まれている可能性があるのでこれ以上は触れない。
朝練は5時半から。朝食は8時までに各自で食べる。
朝食の時が1年生の唯一のテレビを見れる時間だそうだが、一年生は会話はしてはいけないそうだ。
そして東洋大学では数々のミーティングが開かれている。
全体ミーティング、週報ミーティング。
1.2年生ミーティング(週2回)など。
この1.2年生ミーティングで2年生から
『辞めろよ』という言葉が6月頃から度々発せられるようになる。
このミーティングでは1年生の至らない点を、2年生から指摘されるそうだ。
理由はあいさつの声の大きさ、先輩に対する気遣いなど。
これを理由に当該選手が指摘を受けることになった。
本人も自ら不器用だと語っているが、決して反抗的な態度を取ったつもりはないと。
広報課のコメントの舌打ちについてもそのような意図で行ったことは無いとのこと。
実は橋本選手が指摘を受け続ける前は、他の1年生のA選手がこれを受け続け、それに耐えかねて、寮を飛び出す件が起きている。
この選手は結局退部することになった。
続いてベッドの上の冷蔵庫の件。
日曜日は寮のご飯が出ない。
その時のことを考えて母親が夏場、食品が腐ってしまうことを心配し、それを祖父に相談したところ、祖父が約50cm×50cmの小型冷蔵庫を買って来てくれた。
それを母親が選手に連絡を入れて、選手は当時の部屋の四年生に『持ち込んで良いか』と確認を取って、許可を得て寮に持ち込んでいる。
その持ち込まれた冷蔵庫を選手本人が、部屋のスペースを気遣って、他の選手のことを考えて、自分のベッドの上に置いたのだ。
当該選手側が主張する事実と大学側が発表した事実に食い違いがある。
本人は祖父がわざわざ買って来てくれた冷蔵庫が、本当に、嬉しかったはずだ。
後に冷蔵庫が家に帰って来た時、ほぼ新品のままだったと母親が語っている。
選手が大事に、大事に使っていたのだろう。
当該選手に何度も取材をし、話しを聞いているが、非常に素直だ。
受け答えもしっかりとしている。
しかし選手は数々の悲鳴、悲痛な様子をLINEに書き込んでいた。
部内にはこころ許せるひとが、誰も居なかった。
当該選手はぶつけどころの無い怒りを母親に
必死に伝えた。
それに母親は懸命に応えた。
LINEの現物の提供を受けているがもの凄い数だ。
一つひとつ目を通したが、それはもう筆者が落ち込むほどの悲惨な内容だった。
後の会議では、該当選手が蹴る、胸ぐらを掴む、
暴言、手を出した。
この事実を認めて謝罪している。
その会議で手を出すことはいけないことだと監督も語っている。
ただ日に日に当該選手のストレス、怒りはピークに達していく。
当該選手が在籍当時Aチーム、Bチーム、Cチームに
分かれていた。
当該選手はストレスによるやけ食いでベスト体重から
5~6キロプラスの状態が続いた。
Cチームで練習することが多く、記録会でのタイムは
1500mで4分、5000mで15分以上。
ベストの走りとは、程遠いものだった。
そして彼の精神状態も限界に達していく。
この時の彼の気持ちもLINE上に切々と綴られていた。
そして9月2日から9月7日までの山古志合宿。
この合宿中にバランスディスクを忘れたことで
E選手に首を片手で掴まれて『まじで死ね』と
言われたと当該選手が語っている。
その場に目撃していた選手も複数いたそうだ。
その選手達は最初は、この目撃証言をしてくれたようだと母親から聞いたと、後に本人が語っている。
結果的には監督側は調査の結果、この事実は
認められないと、後の会議では、語っている。
正直、筆者は、彼が嘘をついているとは思えない。
但し、大学側は、首しめを否定していることを
併記しておく。
彼は絶望の縁に追い込まれていく。
ここで辞めたいという気持ちに至ってしまった。
これを母親にLINEで相談した。
それに対して母親は彼の今後を気遣い、『もう一週間だけ頑張って見ようよ』というアドバイスを贈る。
9月7日からの日本インカレ。
9月8日の練習の集団走を途中で止めた。
後の選手と監督との会話には、監督が『そこで異常を感じた』と語っている。
それに対して『気付いていたら、声をかけて欲しかった』
『同学年にも指導される回数が多くて相談しずらかった』と当該選手。
そして9月8日のインカレからの帰り道。
彼は寮に戻らず失踪した。
『死んでやろう』と思ったそうだ。
周りのお宅から自転車をお借りして、ひたすら西に向かった。
所持金は1000円。
彼は絶望の淵をさまよい続けた。
自転車で滋賀県まで行き、その後、ヒッチハイクで
福岡まで行くことになる。
ここで彼の命を救ったのは、ヒッチハイクで、出会った方々だ。
驚くことだが、そこで出会った方々の9人の内3人が、
彼のことを知っていたそうだ。
彼が全国都道府県駅伝の出場の時の、彼の姿を覚えてくれていたのだ。
九州の大学の陸上部の4年生と同じヒッチハイクをしていて、出会った。
この方々との出会いで、彼は、命を断つことを、思いとどまった。
彼に対するネット上の評価は様々だか、彼は、取材に対して、敬語を使えるし、純粋なこころを持った青年だと筆者は、思っている。
純粋故に、自己表現を、誤ってしまうところがある
かも知れない。
しかし、彼は、未成年だ。
バッシングで、彼を追い込むことに、何のメリットがあるのか?
失踪時に戻る。
彼は、何とか踏みとどまったが、関係者は、相当混乱する。
監督以下陸上部関係者は必死に探した様子も伺えるし、母親は、9月17日に西入間警察署に、捜索願を
提出している。
高校時代の恩師、中学時代の恩師も心配し、彼の携帯に連絡を取り続けた。
何とか福岡で発見され、その後、自宅へ戻った。
その際の高校の恩師、そして監督との会話も、全て残されていた。
高校の恩師は切々と選手に諭すように語りかけた。
『K先生は本当に良い先生だ』という本人の呟きも
そのデータに残されていた。
退部を決意した当該選手、そして母親は、会議に出席することになる。
9月20日に部長、監督、当該選手、母親、大学関係者3名が出席。
2時間半を超える会議だったが、全て音声データで
この会議の様子が記録されている。
流れはこうだ。
最初に部長、監督による暴行の件に関する説明。
その後該当選手4名による謝罪。
当該選手もその場で、謝罪している。
ここで当該選手が、涙ながらに語ったことばを紹介する。
『中学の顧問と話した時に、実業団で活躍して
都道府県駅伝の埼玉県代表として当該選手が出場し
顧問の先生が育てた選手からの襷を当該選手に
渡したい。
それが顧問の先生の夢だと。』
そんなことを言われて自ら辞めたい訳が無いじゃない
ですか。
この部分は、筆者のこころに、深く、響いた。
その後、部長、監督による退部届についての説明。
ここで不可解なことが起こる。
部長、監督が退部届を遡った日付で書くように
求めたのだ。
本人が退部届を出した日付が9月20日だと、後に実業団に行った時に、失踪の事実が発覚してしまうと、本人に取って不都合になるという理屈だ。
円満に話して自主退部したということにする。
退部させられたとなると、実業団に行く際に不利になる。
この会議の前半で部長、監督は実業団へ進むことも勧めている。
その際登録上の問題や練習間隔が空かないように退部届をなるべく早く出すように促している。
18歳の青年が1日で決断することが果たして可能だったのか?
母親は『今日中に結論を出さなくては行けませんか?』
当該選手も高校の指導者から、まずは、事実関係を明らかにして貰って、進路選択をすることはその後とアドバイスを受けていると語っている。
大人の自分が聞いて、じわじわと大学側の意図する方向に追い込まれていく感じを受けた。
もしや、万が一、失踪した時の捜索願を隠蔽する意図は無かったか?
失踪し戻って来た後の当該選手と監督との電話の会話では、捜索願が、その後、どうなったか?
これを気にしている様子が伺えた。
この会議で日付をなぜ遡らせたのか、大学側の正式な回答が必要だろう。
この会議内容の音声データを全て聞いているが、ここで、詳細を明記していくと、当該選手の意図がぶれるので、今回は、この辺りにする。
当該選手も、母親も、チームの選手に対する恨みは無い。
当然、チームが駅伝不出場になることは、望んでいない。
最初は、母親、当該選手はこの事実を黙っておこうと思ったそうだ。
しかし大学側の発表した回答に納得がいかずに、今回、筆者、文春、そして、もう1社の雑誌社の取材を受けることを決めた。
事実を伝えて欲しい。
大学側も暴力があったことだけは、認めて欲しい。
それを教訓に、以後無いようにして欲しい。
これが選手と母親の想いだ。
そして以前大学側に、取材した時に、回答文の内容を
ひとつひとつ、広報部責任者に確認したように、当該選手、母親に事前にこの記事を読んで頂いている。
当該選手の意図と母親の意図が、間違って伝わらないように、細心の注意を払った。
当該選手の主張したい真意を、世間の皆さんに、是非理解して頂きたい。
その一心で必死に取材し、記事を書き上げた。
この件が起きてから、寝る間を惜しんで、取材活動を行って来たが、これで、少しだけ休めそうだ。
最後にこの記事を読んだ当該選手から、コメントを寄せて貰った。
今回記事が上がるにあたっては、周りから、バッシングを受けることは、覚悟していました。
東洋大学は良い大学だし、暴力がなければ、辞めていなかったと思います。
沢山の人に応援されていることを、感じられますし
目標に向かう気持ちを部員全員が持っています。
でも事実を認めてくれなければ、今後、同じようなことが起こる可能性があります。
自分が第三者に叩かれても構いません。
だけど後輩に同じ思いをさせたくないという覚悟で
今回取材を受けました。
恨みや金銭的な欲求で受けたわけではありません、
週刊誌に情報を売ったというような書き込みが
見受けられますが、そのような事実はありません。
そして週刊誌の取材があったために、それを受けました。
金銭的なやり取りも一切ありません。
ここまでが、本人のコメント。