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最近行った美術館3館【展覧会】

最近、と言いつつ年末~1月にかけて行った展覧会なのですが……
初めて行った美術館や、印象的な展示などがあったのでまとめておきます。

関東に帰ってくると、見たい展覧会があっちこっちでやっているので、お金や時間のやりくりが大変だけれど楽しい! と嬉しい悲鳴をいつもあげてしまいます。
気軽に行かれる場所に美術館やギャラリーが沢山あるのは、贅沢なことなんだなあと、都会に来る度感じるようになりました。


SOMPO美術館『カナレットとヴェネツィアの輝き』

たまたまX(twitter)で展覧会ポスターを見掛け、綺麗な風景画だなーと見惚れ、展覧会最終日の12月28日、駆け込みで行ってきました。

閉館まであと1時間半ほどしかなかったのに、入口はかなりの混雑具合。展覧会の内容以上に、土曜日だったことや、新宿駅からすぐという立地の良さのためかと思います。
 
わたし自身は、実はSOMPO美術館に行くのは初めて。
新宿はちょくちょく行きますし、建物の前は何度も通ったことがあったのですが、なぜか縁がなかったのです。

さて、今回の展示のメインは、18世紀の景観画家カナレットヴェドゥータ(景観画)です。
とはいえ、この展覧会に行くまでカナレットのこともヴェドゥータというジャンルも全く知りませんでした。

それもそのはず(?)、今展覧会はカナレットの全貌を日本で初めて紹介する企画で、ヴェドゥータとはその性質上、画壇で評価されるなどして広く人口に膾炙するのではなく個人が所有・鑑賞する類の絵画だったので。

ここでカナレットやヴェドゥータについての簡単な解説を載せておきますね。
もっと詳しく知りたい方は、合わせて美術館の公式サイトもご覧ください。

カナレット(1697~1768)
本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナル。ヴェネツィアに生まれ、その都市景観を描いたヴェドゥータがイギリス人旅行客に人気を博す。
 
ヴェドゥータ(景観画)
透視図法を用いて、主に都市の景観を精密に描いた言わば名所絵。18世紀のヴェネツィアやローマで発展。
貴族の子どもが教育の一環で各地を巡った「グランド・ツアー」で、イギリスの上流階級をはじめとする外国人旅行者が旅の記念品として買い求めた。

カナレットの作品に限らず、同時代の他の作家の絵画も展示することで、18世紀のヴェドゥータの成立・変遷を辿り、さらにカナレット後の展開やヴェネツィアの描かれ方を追う構成でした。

 
基本的にヴェドゥータは“精密な透視図法を用いて緻密に描かれ”ているもの。カナレットは描く際にカメラ・オブスキュラも用いていたそうです。

だからといって全く見たままというわけではなく、よりドラマチックになるように適宜虚構を織り交ぜて描かれています。
もちろんヴェネツィアという都の持つ魅力の大きさもあるでしょうが、感動的な情景がとても多かったです。

カナレットの作品で特に印象的だったのは、『ロンドン、ラネラーのロトンダ内部』という作品。
※展覧会のサイトで画像を見られます!

ロトンダとはドーム屋根を持つ円形の建物のこと。ここで描かれているのは、ロンドンの遊興施設「ラネラー」にあったロトンダで、豪奢な内装で演奏を楽しむための空間だったそうです。

アーチ型に柱の並んだ円形の空間は、現実と非現実のあわいにあるような、不思議な印象を持っています。
現代ではあまり馴染みのない建築が緻密に描かれているために、却ってそんな感想を抱くのかもしれません。
 
 
それと、「海とヴェネツィアの結婚式」が行われるという祝祭・昇天祭を描いた作品が二枚並んで展示されていました。

なんてひどい写真の撮り方……!
こちらが後年のもの

この二枚には20年の時の隔たりがあるのですが、解説では後年のものの方が描き方が洗練されていますね、というような解説が付されていました。

けれどどうにもわたしには昔の作品の方が明るくセンス良く見え……うーん? と思っていたら後ろで鑑賞していた方がこんな呟きを。
「えっ、昔のやつの方が新しい作品かと思った。まあ天候とかも違うだろうけど、え~」
 同じことを考えている! とちょっと嬉しくなってしまいました。

ちなみに晩年のカナレットは光を粒のように表現するのが特徴なのだそうです。


カナレット以外の作品でいいなと思ったのは、まずカナレットと同時代のイタリアの巨匠・ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの『アントニウスとクレオパトラの出会い』

なぜかクレオパトラが西洋のドレスを着ていて、タイトルがなければとてもクレオパトラが題材だとは気付けません。
何かの寓意なのか、当時の慣習なのか? 特に解説がなかったので分からないのですが、彼女がクレオパトラであろうがなかろうが、何とはなしに惹かれる作品です。
※こちらも展覧会のサイトで画像を見られます!
 

それからフランチェスコ・グアルディの『サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂』

宗教画や人物画から、正確な景観画を通り、さらに感覚的な風景画へと画風が変わっていった画家だそうで、これはやや虚構の入った作風。
そのせいなのか全体に幻想的な雰囲気を纏った、一見どこなのか分からないこの作品に心惹かれました。水の描き方なども、カナレットよりグアルディの方が好みです。 


そして新印象派の画家ポール・シニャックの『ヴェニス、サルーテ教会』

20世紀のこの作品ではヴェネツィアの景観が明るい点描によって描き出されており、まるで全身から光を放っているかのよう。
おとぎ話みたいな色彩ながら、水や大気の揺らぎが感じられ、街の息吹が伝わってくる、ヴェドゥータとはまた違った魅力にあふれた絵画です。


展覧会の締めは、今展覧会唯一のコレクション展示であるゴッホの『ひまわり』でした。

実はてっきり展示は2フロアのみだとばかり思っていたので、最後のフロアはあと数分で閉館という限られた時間の中、駆け足で観ることを余儀なくされていました。
なので解説もろくに読めず、パッと見てあまりピンとこなかった絵はすっ飛ばし……とんでもない見方をしていたのですが、それでもその引力に足を止めてしまうゴッホの力は凄いですねえ。
 
絵画は印刷で見るのと実物では感じ方が違うものですが、特にゴッホは絵具の厚みや筆触故でしょうか、全く別物だと思います。
印刷では大して好きじゃないのに、実物を前にすると絵の気迫に圧倒されてしまう。
以前観たドキュメンタリー映画で、ゴッホの模写で生計を立てている画家が初めて本物を目にして愕然としていたシーンを思い出しました。

DIC川村記念美術館

自然の中に建つメルヘンチックな館の写真を前に見て以来、ずっと行きたかったんです、こちらの美術館。
 
でも成田空港にほど近い立地でなかなか気軽に出掛けることができず……
今年の1月で休館という報を受け(反響が大きかったため4月から休館に変更されました。行ったことのないの方はぜひ!)、これは絶対に行かなければ! と友人を誘って行ってまいりました。

最寄りの佐倉駅から出ている送迎バスは思いの外たくさんの人が待っていて、やっぱり休館前に一目でも、といらした方が多かったのでしょうか。
そしてバスに乗っている時間も随分長いなあ、車窓がどんどん田畑ばかりになっていってかなり田舎だなあ、と思いながら友人とくっちゃべり、ようやく降り立ったDIC川村記念美術館。

円筒形の塔が二つ並んだ特徴的な建物は、戦後モダニズムの建築家・海老原一郎によるものです。
館内は撮影禁止のため中の様子はご紹介できないのですが、内部も決して自己主張は強くないのに場所によって印象が変わっていく興味深い作りになっていました。

一等心を掴まれたのは、天井の高い丸いエントランス。
何というか、滑らかで暖かながら清らかな雰囲気の漂う、聖堂のような空間なのです。

ほの暗いその場所にぼんやりと開いた紙細工の花のようなデザインの照明器具や、ミュージアムショップの壁にピンク色の光を投げかける小さなステンドグラス、建物に沿って螺旋を描く階段も、すべてが絶妙な関わり合いの中でこの雰囲気を作り出している。
このエントランスに足を踏み入れられただけでも、十分遠出をしてきた甲斐があったというものです。

 
一階の展示は、美術館の設立者であるDIC株式会社(当時は大日本インキ化学工業)2代目社長の川村勝巳氏の、20世紀美術のコレクションを中心とした展示。
教科書に載っているような近代の有名画家たちの絵画が目白押しの展示室から、段々と時代が下っていって、やがて2階へ上る階段へと誘われます。

常設展では、なまめかしい背中の曲線美が微枠的な、両性具有の椅子(彼女が両性であると、友人に言われて初めて気が付きましたが……そしてタイトルも作者も覚えていない……)に惚れ惚れしたり、秋ごろに大阪中ノ島美術館の「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」で観たコンスタンティン・ブランクーシ『眠れるミューズ』のバリエーションと再会したりと、素敵な出会いが色々ありました。


二階は常設展示室の他に企画展示も行われており、今回の展示は『西川勝人 静寂の響き』でした。
西川氏はドイツを拠点に、50年に亘って彫刻を主とした多様な手段で「静けさ」の美学を表現してきた美術家とのこと。
現在はハンブルグ美術大学の名誉教授で、日本での回顧展は今回が初だそうです。
 
わたしたちは第一に建築が見たくて来たので、正直この作家のことはよく知らず、下調べもほとんどしていない状態でした。
しかも何となく、じっくり解説を読みながらではなく、ふわふわと漂うように鑑賞したい気分。気に入ったり気になったりしたもののところではじっと立ち止まり、そうでないところはふらりと通り過ぎる、お気楽な見方で歩いていきました。

各展示物に解説が併記されているのではなく、各自が手に取るパンフレットに解説も記載されている形だったため、余計にそんな見方になったのかもしれません。
 
展示の構成もすべて作家が決めたとのことで、部屋ごとにまとまりがあり、どこも居心地のいい場所でした。

特に最後の展示室の景色が気に入りました。
腰の高さ程の白い展示台が格子状に並びながら道を作っていて、鑑賞者はその中をさまよいながら順路を進んでいく。
展示台にぽつぽつと並ぶのも、格子の中に置かれているのも、白を基調とした彫刻たち。
色のせいなのでしょうか、誰にでも似合う空間というか、何でも受け入れられる感じを受けました。

 
展覧会の趣旨は

静寂が拡がり、静謐さに包まれた空間で、私たちはどのような情景と出会うのでしょう。日常から隔たった美術館という場において、観想に耽る一人ひとりのための展覧会です。

だったそうで、館や作家の思惑とはちょっと違ったかもしれないけれど、空間に浸り楽しむことができました。

展示を見終わった後は、外に広がる広大な庭園へ。
白鳥の泳ぐ大きな湖や、小高い丘、桜や椿に縁どられた芝生の広場など、冬だったので花はほとんどないながらも自然豊かで散策の楽しい場所でした。
 
こんなに素敵な場所なのに、休館したらどうなっちゃうんだろうね。
きちんと整備されるのかしら、花見の時期だけでも公開されたりするのかしら、などと友人と未来を憂いつつ、隅から隅まで歩き回って堪能しました。
なぜ庭の写真を一枚も撮っておかなかったんだ! と後からカメラロールを見返して悔やみましたが、それだけおしゃべりが楽しかったのでしょう。

 
普段あまり人と美術館に行くことはないのですが、今回一緒に行った彼女とはとても自然に心地よく見て回ることができました。
久しぶりに会って積もる話もできましたし、念願の美術館を楽しい思い出として記憶に残せたことが嬉しいです。

松涛美術館『須田悦弘展』

松涛美術館は、渋谷駅から程近いのに、静かで建築も素敵で大好きな美術館。
そこで本物そっくりな植物の彫刻を制作する須田悦弘氏の展覧会が催されていると聞き、早速行ってきました。

展示数自体はそれほど多くありませんが、あたかも展示室に元からあったような佇まいの彫刻に、わくわくどきどき。
展示ケースの下にひっそり生えていた子は、あやうく見逃すところでした……!
外の掲示板の片隅にも!

普段は目にも留めないような小さな草花を、この展覧会では皆がこぞって探し回り、何枚も写真を撮っている姿に皮肉も感じつつ、しっかりわたしもその一員になって楽しんで参りました(笑)

 
植物の彫刻以外の展示も興味深かったです。
驚いたのは、ウイスキーの竹鶴や余市、ペットボトル飲料の十六茶などのイラストも須田氏の手によるものだということ!

大学卒業後に一度デザイン会社に入社した縁で、商品パッケージのイラストも手掛けているのだそうです。身近なものでも、それに携わった人を知ると、見え方が違ってきますよね。今度十六茶を見掛けたら、じっくりラベルを観察してみようと思います。

それから、近年取り組んでいるという古美術品の欠損部分を補う補作の作品として展示されていた、『春日若宮神鹿像』

鎌倉時代の鹿の彫刻の、角や木(榊)、瑞雲などを新たに制作したのだそうです。
修復の腕云々ではなく、この幻想的なデザインが元からのものだということに感嘆しました。

雲に乗り背から木を生やした鹿の姿は何とも神秘的です。
神話に根差した表現だったりするのでしょうか?
ここからもまた物語が生まれそうな、魅力的な彫像です。
 
 

ところで、松涛美術館には中庭の吹き抜けの上を渡る小さな橋があります。
行った時は晴れていたのでこの橋が開放されていたのですが、展示を見終わって帰る頃には雨がぱらついて、外に出ることができなくなっていたのでした……。
とても好きな場所なので、何とも残念です。
晴れている日に(できればそう遠くなく)また行きたいなあ。

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逆盥水尾
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